2007年5月10日

A.来ません。

な、なんかすいませんね、初回なのに、夢も希望もない答えで。

と言いますのも、サンタクロースの名前の元は、聖(セント)ニコラウスさんで、「聖(セント)」というのでもおわかりかと思いますが、この方はキリスト教の聖人なんですね。ですから、仏教とサンタさんは残念ながら関係が無いですし、そもそもクリスマス自体がキリストの生誕を祝う行事ですから、仏教徒にとっては、なんでもない日であります。

しかし、子どもにとっては重大な問題で、かく言う私も、子どもの頃、みんながもらえるクリスマスプレゼントを、自分だけもらえないのが寂しくて悲しくて、なぜ家にはサンタさんが来ないの、って両親を困らせた事もありますねぇ(しみじみ)

でも、サンタさんからすれば、お寺の子どもだって、かわいい子どもに違いないでしょうし、こちらからちゃんとお願いすれば、お寺にもプレゼントを持ってきてくれるかも?しれません。

そう考えると、仏教だから、お寺だから、と言って、サンタさんやクリスマスをむやみに否定しちゃうのは、心が狭いのかもしれませんね。

2007年6月11日

A.基本的には大丈夫です。


確かにお寺って敷居が高いというか、勝手に入っていいのかわからない雰囲気ってありますよね。私も僧侶でありながら、知らないお寺には入りにくいこともあります。

ただ、基本的にお寺は、僧侶の修行の場の意味もありますが、檀家さんや一般の人が仏法に触れるための、半公共の施設でもありますので、許可が無くとも出入りできます。ただ、どのお寺でも自由に出入りしてもよい、と言うわけでもありません。特に最近ではお寺の鐘や仏像が盗難に遇うということもあるので、セキュリティー上の都合で、普段開放してないお寺もあるでしょうし、檀家さんの為のお寺ではなくて、私的なお寺もありますしね。

そんな時には、入ってもいいのかどうか、簡単にわかる方法があります。それは、お寺の門が開いているかどうかを見るんです。そのお寺の門がもし開いておれば、それはお寺を開放してます、ということですので、入っても大丈夫と思います。逆に、門が閉ざされていれば、入らないでくださいと言うことですから、入らないほうが良いでしょう。

敷地だけでなく、お堂に入ってお参りしたい時には、同じように、扉が開いていれば入っても大丈夫でしょう。もし扉が閉まっている場合や、堂内に入るのがちょっと不安な時には、庫裏(母屋)の方の玄関から、インターホンなど使ってお寺の人に声をかければ良いと思います。門が無い場合も、敷地内に入っても問題ないと思いますが、お堂の中に入りたい場合は声をかけた方が良いかもしれませんね。

お寺の側としても、お参りに来てくださる事は嬉しい事ですので、門が開いているようなお寺には、 ぜひ気軽に入ってみたり、声をかけたりしてみてください。

2007年6月14日

A.あります。


僧侶や住職と言いますと、どうしても男性のイメージが強いようですが、女性だからといって僧侶や住職になれないということはありません。そもそも女性僧侶はお釈迦さまの時代からおりますし、現代でも女性僧侶はもちろん、女性の住職さんもおられますよ。

あ、ちなみに申し上げれば、「僧侶=住職」と思われている方も多いようですが、それは少し違います。住職というのはお寺をお店に例えれば「店長」のような役職ですので、所属する僧侶が複数いる寺院でも、住職は一人だけです。

とは言え、お寺を取り巻く環境の中では「住職は男性であって欲しい」という意見を持つ檀家さんがいるという話も聞きますし、僧侶になろうとする女性の数は男性に比べると少ない、というのが現実でしょう。ですから、女性が住職の役職を務めるお寺は、まだそれほど多くはありません。

けれども、男女平等が推進される現代でもありますし、これからどんどん女性の僧侶や住職さんも増えるでしょうし、そうあって欲しいなと思います。

2007年6月21日

A. 一言で言えば、お坊さんのサポート、でしょうか。


この質問は、私よりも「お寺に嫁ぐということ」を書いておられるみちこさんに答えてもらったほうがわかりやすいかと思いますが、せっかくご質問いただいたので、私なりに答えさせていただきますね。ただし、男性僧侶の視点になってしまうのはご了承ください。

で、お寺に嫁いだ女性のお仕事を一言で言うなれば、「パートナーのお坊さんのサポート」でしょうか。

具体的にどんな事?と言われるとちょっと困るのですが、例えば、ご法事でお寺にお参りに来られる方をお迎えする準備をしたり、お寺の様々な行事の案内や準備の作業など、といった感じです。もちろんそれは、お寺の住職やお坊さんが全くしないわけではなくて、基本的には一緒に役割を分担しながら行なうことですが、その分担の仕方はお寺うんぬんということよりも、単純に夫婦二人の関係に依るところが大きいと思います。

男性僧侶として奥さんにしてもらえると助かるかなと思うのは、お寺の行事のお手伝いなどに来てくださる檀家さんの女性とのお付き合い、でしょうか。男性住職より女性同士のほうが話や気が合うと言いましょうか、関係がスムーズにいくでしょうし、話しやすいことなどもあるでしょう。そのお寺を取り巻く人間関係を実質的に支えているのが、男のお坊さんよりも奥さんが中心であるというケースもかなり多いと思います。

もちろん、そのような裏方的なお仕事だけでなくて、女性であっても僧侶になれますし、お参りに出かけたり、法務を勤めることもできますから、パートナーと協力して法務を勤める、というのも、私は素敵じゃないかと思います。

2007年7月12日

A.おります。


います、と書きましたが、教科書で習ったようなお坊さんの中で、公式に子孫がいる、と言えるのは、親鸞さんや蓮如さんといった、浄土真宗のお坊さんだけかもしれません。

というのも、浄土真宗以外の宗派において僧侶の妻帯は、明治時代まで、公のものとしては認めれられていなかったからです。ですから、もし空海さんや最澄さんといった有名なお坊さんの子孫がいる、となれば、「ダヴィンチ・コード」並のスキャンダルかもしれません。
あ、でも、一休さんは、実子がいたと言われますので、その子孫の方が今も残っておられる可能性はありそうですね。

浄土真宗では、親鸞さんが朝廷より還俗(僧籍返還)させられ、越後に流罪になった時に結婚され、その子孫が代々今の東西本願寺の住職と、宗派の長である門主となっておられます。ですから、蓮如さんは親鸞の子孫になりますし、今の東西本願寺のご門主も、親鸞の子孫、ということになります。また、蓮如さんは沢山子どもがいたとされますので、蓮如の子孫の方は、全国にたくさんおられると思いますよ。

2007年7月26日

A.ありがたくいただいております。ただ、全部ではありません。


これは全てのお寺に当てはまるかどうかはわかりませんが、とりあえずウチの場合ということでお答えさせていただきます。
お供え物と一口に申しましても、いろいろございます。例えば、ご法事のとき等で、お供えとしてお饅頭や最中などを、お参りにされる方が持って来られますが、基本的には、お参りが終わった後、お供え物をお下がりとして、お参りに来られた皆さんで分けていただく、という形をとります。また、生花や、果物籠、お菓子の籠も同様に、参拝者の皆さんで分けられて、その一部を、お寺の方にも、と、おすそ分けをいただきます。

あるいは、大勢の人で分けるのではなくて、手みやげのような形でお供え物をいただくこともありますが、それは、仏前にお供えをし、一緒にお参りをした後、お下がりとして頂戴させていただきます。

ただ、たくさんのお供え物をいただいて、お寺のものだけで全部をいただくことができないような場合もあります。そういう時には、お寺によく来てくださる方やご近所の方におすそ分けする、と言うようにさせていただいております。

2007年8月30日

A.神社は神様の宗教、お寺は仏様の宗教です。

神社とお寺の違い、ということですが、神社は、日本の様々な神様をお祀りし、神様に対しての儀礼を行なう場であります。対してお寺は、仏様をご安置し、儀礼を行ない、自らのさとりを目指していく為の場であります。
これだけだと、なんだ、違うのは信仰の対象だけか、と思われるかもしれませんが、それが大きな違いなんです。

まず仏教は、インドでお釈迦様(ブッダ)が興された宗教であり、世の真理を明らかに見つめる中に、自らの抱える根本的苦悩を解決=「解脱」を目指す事を基本とする教えです。そして、神と人との関係を基軸として成り立つ一神教や多神教とは異なり、神に祈念するのではなく、どこまでもブッダの説かれた真理=「法(ダルマ)」を依り所とし、自己を見つめていく、という特徴があります。

対して神道は、古代国家の成立の過程で、国生みの神話や、原始的な民俗信仰・自然信仰とが結びついて自然発生的に生まれた宗教で、祖霊信仰や、アニミズム的な要素も強く、日本の農耕文化と深い関係を持つ宗教で、開祖となる人物がいないこと、多神教である事、神と人との関係を中心とし、教えよりも祭祀・儀礼を重視する、などの特徴があります。

と、仏教と神道はこのような違いがあるのですが、「神」と「仏」も全く違う存在です。神道における「神」は、自然や祖霊などの、人智を超えた力を神格化したものでありますが、「仏」と言うのは、真理を悟り、人の持つ根源的な苦を解決した者の事を指します。ですから、「神」に対する儀礼は、豊作などの利益を得、天災や病などの不利益を回避する為の意味合いが強いですが、「仏」を信仰するというのは、私自身が真実に目覚め、あらゆる苦悩を超越した「仏」の状態を目指す、という意味のあるものと言えます。
ですから、お寺と神社では、単に信仰の対象が違うだけでなく、宗教としての目的や意味も、全く違うものなんですね。

2007年9月20日

A.正確な割合まではわかりませんが・・・

確かに、学校の中には、稀にお寺の子っていましたよね。私はその「稀に」の方の人間で、まあ珍しがられたりしましたが、ごくごくフツーの小学生でした。一つ困ったことと言えば、生活調査?のようなものがあった時、親の職業を選ぶ項目に「僧侶」という選択肢が無くて、どうすれば良いのか、悩んだ事くらいでしょうか。結局先生に相談して、「その他」のところにチェックしたのですが、その時初めて、お坊さんという存在の稀さに気づいた気がします。

ただ、私の通っていた小学校には、私と、私の一つ上にはお寺の娘さんがいましたし、私の弟2人もいた時期がありますから、一つの小学校に4人いた計算になります。田舎の、一学年2クラスくらいの人数の小学校なので、これは結構割合的には高いかもしれません。

まあ、これはウチのお寺の子どもが3人もいたわけで、ちょっと特殊な例だと思いますが、大抵の学校に、一人か二人は、お寺の子がいてもおかしくないのかな、とは思います。

2007年9月27日

A.よいです。

お寺といえば、世襲制で、お寺の子どもがお寺を継いでいかねばならない、というイメージがあるかと思いますが、必ずそうでなければならない、というわけではありません。お寺の生まれであっても、お坊さんになってない人もおられますし、以前「有名人で実はお坊さんって人いますか?」という質問で答えさせていただいたように、お寺生まれでも、お寺以外のお仕事をされておられる方も、たくさんおられます。

同じように、お寺の後継ぎとなるべき嫡子であっても、どうしてもお寺を継ぎたくなく、他の仕事をしたい、と思われれば、お寺を出る選択肢も無いわけではありません。お寺や檀家さんの今後の事をしっかりと考えるのが、お寺に生まれ、檀家さんのお布施によって育った者としては大事なことなのですが、やはり個人の意思や気持ちも大切ですからね。

ただその場合は、キチンと住職や檀家さんと話し合うのはもちろん、二度とお寺を継がない決意と、約束がなければならないかと思います。でなければ、いつか帰ってきてくれるかもしれないという淡い期待を住職に持たせて、お寺の次の後継者を決める事ができないこともあるでしょうし、養子をもらったり、他のお坊さんに入寺してもらったりして後継者を立てても、その後で出て行ってたお寺の嫡子がお寺に帰ってきて「継ぎたい」なんて言い出した日には、必ずもめますから。

ですから、もし、もうお寺には帰らないぐらいの不退の覚悟があるのならば、お寺の跡継ぎさんであっても、他の生きる道を見つけても良いのかなと思います。

2007年9月27日

A.あります。

お寺の引っ越し、ということですが、やっぱりあります。ウチのお寺も、興った頃は今の町とは違う所にあって、どういうわけがあったかは定かではないですが、今から250年位前に今の場所へと移ってきたと言われています。と言っても、その時に本堂の建物を移動したわけではなく、新しくお寺を建てたわけですけれども。

また近年では、ダムが作られて、村が沈むからということで、町の方へと移ったお寺があるとも聞いたことがありますし、過疎の地域のお寺では、だんだんと檀家さんが都会へ移ってしまったということで、街に移ったという話も聞いたことがあります。やっぱり人あってのお寺ですからね。ということで、お寺の引っ越しという事も、全く無いわけではないし、これからの時代、ちょくちょく聞くようになるのかもしれません。

また、最近の技術では、お寺の本堂をジャッキアップして移動するという、曳屋(ひきや)工事という事もできるようですので、お寺が動いて引っ越し、なんてこともあるかもしれませんね。

2007年11月15日

A. 基本的には、普通に親子、という関係ですが・・・

お寺の人の親子関係についてのご質問ですが、まあ、お寺によって様々かなと思いますが、基本的には、普通に親と子、という関係だと思います。これはウチの場合ですが、子どもの頃、父のことを「住職」と意識して見ていたわけではないですし、父も、私に接するに当たって、住職と言う立場で接する事はありませんでしたので、住職-子と言うような親子関係ではなかったように思います。

ただし、現在の私のように、実家のお寺で法務を勤めておりますと、ただの親子、というわけにはいかなくなります。やはり父はお寺の住職であり、私はその下で法務を勤める、という形になりますので、親子でありながら、上司と部下、という関係でもあるわけです。

それでも、住職を親と思うな、子を子と思うな、というような徹底した上下関係でもないので、親の側、子の側、それぞれにやり易さとやり難さがあって、なかなか一筋縄では行かない関係のような気がします(笑)

で、家族関係で寂しいと思った事、ですが、住職である私の父は、会社員のようにほとんど家にいないというわけではなく、家にいる時間も多く、祖父母も母も家におり、晩御飯は、家族揃っての食事でしたので、家族について寂しさを覚えることは、私は少なかったように思います。

ですから、家族が一緒にいられる時間が持ちやすいと言う点では、お寺の家族関係は良いものかもしれません。もちろん、一概に言えることでは無いですけどね。

2007年11月22日

A. そうでもありません。

もうすぐ12月ですね。12月といえば、師走。「師走」という言葉の由来は、年末でお坊さんもせわしなく走り回る、というところから来ているという説がありますが、実際に年末お坊さんが忙しいかと言うと、そんなこともないように思います。もちろん年末特有の差し迫った感じはあるのですが、それよりは、お盆やお彼岸のほうが忙しい時期だと言えるような気がします。

まあもちろん、宗派や地域、それぞれのお寺によっても異なっていて、私の住む地域のお寺はお盆はさほど忙しくありませんし、お彼岸も法要が勤まる程度ですが、今の時期、10月から12月にかけては、報恩講という浄土真宗の宗祖親鸞聖人を偲ぶ法要やお参りがあるため、1年で一番忙しい時期になります。
しかし、同じ浄土真宗のお寺でも地域が異なると、お盆やお彼岸は忙しく、今の時期はそれほど忙しくないということもありますから、一概には申し上げることはできません。
しかし、「師走」という言葉が生まれるほど年末になるとお坊さんが一年で一番忙しくなるわけでもないとなりますと、「師走」の語源も考え直してみる必要があるかもしれませんね。

2007年12月 6日

A. 果物やお菓子がポピュラーかと思います。

仏様へのお供え物について、ですが、いろんな種類があるとは思いますが、お菓子や果物が最も多いかと思います。それは、仏様にお供えするものには、宗派によって違いはあるかと思うのですが、一応決まりごとがありまして、「灯明」・「お香」・「お花」・「香水(こうずい)」そして「仏飯(ぶっぱん)」と呼ばれるご飯が、まずは基本となります。そしてその他のお供え物として、「餅」・「菓子」・「果物」がお供え物として適当とされます。

で、お寺でご法事などの仏事がある場合は、「灯明」から「仏飯」まではお寺の側で用意させていただきますので、お参りにこられる方は、お菓子や果物、或いはお花を持ってきていただくことになり、必然的にお供え物にはお饅頭や最中などのお菓子や果物が多くなります。

他に、仏事のお供えとは違いますが、檀家さんがお寺にいろんなものを持ってきてくださることもあります。それは、地域や地方によって違いがあって、海の近くなら海産物、農業が盛んなところでは、地の野菜など、様々です。
ウチのお寺でもいろいろ野菜をいただいたり、珍しいところでは、今年は柚子をたくさんいただきました。海のほうのお寺ではこの時期、蟹をいただく、と言う事も聞いたこともあります。

これらは、仏事のお供え物の基本にはないものかもしれませんが、大切なのは持ってきていただいたそのお気持ちですから、まずはきちんと仏様にお供えさせていただいて、それからお寺の者が、ありがたくいただいております。

2007年12月20日

A. 本来的には仏教には占いはありません。

新聞、テレビ、雑誌、インターネット、どんなメディアを見ても、占いの無い物はないんじゃないかと思うくらい、世間には多種多様な占いが氾濫していますよね。これだけ科学が発達し、物事の考え方の基礎となっている時代に、科学的とは言い難い占いが、これほど人気なのは不思議な気がいたします。

で、仏教に占いはあるのか?と言うご質問ですが、本来的に仏教には占いはありません。なぜかと申しますと、仏教は、物事の因果関係を正しく見つめる教えだからです。

因果関係を正しく見る、というのは、結果が起こるのには必ず原因と、様々な間接的な要因(=縁)によって起こる、ということを、正しく捉えると言う事です。

例えば、花が咲くという結果には、種と言う因があります。しかし、いくら種があっても花は咲きません。花が咲く為には、土の養分や水、太陽の光や温度など、様々な条件=縁が必要となり、それらが全部揃って花が咲くのです。そして、結果と言うのは、何も花が咲く事だけではなく、花が咲かないと言うのもまた一つの結果であり、そこにも様々な縁が見え隠れしています。

逆に言えば、物事の結果と言うのは、実に様々な事柄に影響されて起こってくるもの、ということです。縁は縁を生み、果はまた何かの因となり縁となり、影響される事柄によって物事の起こりも結果もいくらでも変化します。ですから将来
起こる事柄を予測するのは、非常に難しい事なのです。

しかし占いというものの性質は、手相や姓名、星座などのいくつかの要素、しかも物事の結果とは関係性の弱いものを根拠にして、結果を予測しようとする物です。果たしてそれによって正しく結果を予測できるのかと考えてみますと、やはり疑問が残りますし、仏教の教えからは、依るべき正しいものであるとは言えないのです。

そればかりか、占いに頼りすぎると、例えば悪い事が起こった時、霊や祖先、土地の良し悪しなど、全く関係の無い事柄のせいにしてしまい、物事の正しい道理を見つめられずに現実から逃げ、妙なものに騙されたりするなどの弊害もありますので、迷信、迷いや苦しみを深める物とみなされるわけです。

しかしまあ、私は占いを全否定することもないのかな、と思います。占いも、生き方に注意を喚起するもの、或いは娯楽の一貫として捉えれば、悪い面ばかりでもないでしょうからね。それでも、あまりに占いをあて頼りすぎるのも問題かな
と思います。なんと言っても占いは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ですから。

2008年1月10日

A. 大きいにもいろいろ解釈の仕方があるので一様には言えませんが・・・

東京で一番大きいお寺、との事ですが、大きいにも、境内地が大きい、伽藍(建物)が大きい、檀家さんや参拝者の数が多い、教団としての規模が大きいなど、いろいろな解釈の仕方があるかと思いますので、一概にどのお寺が一番とは、判断が難しいように思います。

しかも、私は地方在住の為、東京に関しては疎いので・・・今回は、浅草にお住まいの江戸っ子彼岸僧、KAKUさんにお知恵を拝借してみました。

すると、東京で大きいお寺と言えば、芝の増上寺池上本門寺、浅草の浅草寺、上野の寛永寺が有名どころとして挙げられるそうです。個人的には、それに築地本願寺も加えたいところです。

あと、東京だけでなく、首都圏まで視野を広げると、千葉県の成田山新勝寺や神奈川県の川崎大師総持寺もかなり大きいお寺のようですね。私も、浅草寺と築地本願寺以外は行ったことはありませんが、どのお寺も名前は良く聞きますので、一度は参拝に行ってみたいですね。

2008年1月24日

A. あることはあります、が…

まさに今、受験シーズンですねー。それで、受験によいお守り、とのことですが、やはり一番最初に浮かぶのは、学問の神とされる菅原道真が祀られる、京都の北野天­満宮や福岡の太宰府天満宮ではないでしょうか。しかしこれは神社ですので、お寺で言うと、京都の東山に即成院というお寺があり、ここは那須与一の縁のお寺らしく­、那須与一と言えば弓の名手、つまり的に当てる名手ということから、願いが的にあたると言う事で、合格を願いにこられる人が多いそうです。

他には?と言われると、ちょっと悩みます。なんせ、お寺はたくさんありますし、皆さんお住まいの地域も違いますし。で、いろいろ探してたら、こんなサイトを見つけました。このサイトの「学業成就・受験合格」のところをクリックすると、いくつかヒットするお寺があります。あとは、以前紹介したような、浄土真宗以外の大きなお寺さんに行かれても、合格祈願・学業成就の祈願はできますし、お守りもあることでしょう。

しかし、仏様にお参りすることは、自分の願望・欲望を叶えるためにする物ではありません。そもそも仏教は、自己の欲望や煩悩をなくしていきましょう、というのが­教えの基本です。ですから、本来的に仏様はこちらの願いを何でも叶えてくれる神さまとは違うわけです。

じゃあ、お寺にお参りすることや、お寺のお守りを持つことは意味がないのかと言われますと、そうでもありません。

お守りは、魔を退ける効果のあるものと考えられます。一般的に魔とは、災悪や不幸というような、外部から来るものと考えられますが、仏教にとっての魔とは、私の­内に潜む煩悩です。ですから、お守りを持つ事、そしてお寺にお参りすることは、自らの煩悩に惑わされないように、という意味があると言えるかと思います。

受験の時、不安から神秘的なものに頼りたくなる気持ちは私もよくわかります。が、やはり、目標達成の為に自分の欲望・煩悩に打ち勝ち、勉強に専念する事が最も大­切なはずです。自己に克つ、そのためにお寺にお参りしたり、お守り持つことは、意味のあることかもしれませんね。みなさん、試験頑張ってください!

2008年2月 7日

A. 正確な数はわかりません。

仏教にはいろんな宗派があり、宗派ごとで使うお経が違っていたりと、お経って一体どれだけあるの?と言うことは、疑問に思われる方も多いかと思います。しかし、その正確な数まではわかりません。

と言いますのも、お経はブッダのお言葉を、お弟子さんたちが後に編纂した物なのですが、ブッダの伝道スタイルと言うのが「応病与薬」、つまり病に応じて人に薬を与えるように、人の悩みに応じて法を説かれた為、その数は膨大な物になります。それが後にいくつかの経典としてまとめられていったわけです。

また、お経と一口に申しましても、狭義ではブッダの語られた仏となるための教え=「経」を指しますが、広義では、戒律をまとめた「律」や、ブッダの教えを注釈した「論」もお経とみなされます。この「経」・「律」・「論」の三つを合わせて、「三蔵」と言います。三蔵法師とは、この「三蔵」を求められたお坊さん、と言うことです。

さらに、お経は元々インドのものですが、それがチベットや中国へと伝わる中で翻訳がなされ、一つのお経でも、何人ものお坊さんが訳されたため、何種類かの訳が異なるお経もあります。例えば、『阿弥陀経』というお経では、これは鳩摩羅什(くまらじゅう)というお坊さんがまず漢訳され、後には「西遊記」で有名な玄奘三蔵が同じお経を漢訳しておられます。そう言うわけで、お経は大変多くあり、はっきりと申し上げられないわけです。

ですが、「法句経」「阿含経」「維摩経」「華厳経」「涅槃経」「般若経」「法華経」「浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)」などが代表的なものとして挙げられるかと思います。

2008年2月28日

A. お寺それぞれに由来があるかと思います。

そう言えば最近、運慶作の大日如来像がNYにてオークションにかけられると言うニュースがありましたね。日本の貴重な文化財ですから、海外に流出してしまうよりは、国内にあって欲しいな、と、仏像好きとしては思ったりもします。しかし、落札予想額が約2億円とは…驚きです。

さて、そのお寺の仏像はどこから来るか、ということですけども、お寺それぞれに由来があるかと思います。お寺を建立するのに合わせて仏師に作ってもらったりとか、何かの機会に有力者から寄進・奉納していただいたとか、お寺でお世話になった方が、お礼に彫ってくれたとか、大きなお寺や本山から下附されたなど、いろいろにあるかと思います。

現代の場合では、仏師さんに作ってもらうなり、仏具屋さんから買う、というのが一般的ではないかと思います。ネットでも、「仏像」と検索かけると、たくさん製作や販売を受け付けるサイトが出てまいります。もし新しい物より、年季の入った古い仏像が良いと言う場合には、それこそオークションでは無いですけど、古物商などから手に入れることもあるかもしれませんね。

ちなみに本願寺派では、阿弥陀仏の絵像や「南無阿弥陀仏」と六字名号が書かれたものなどを下附しております。

2008年3月13日

A. あるようです。

即身仏についてですが、今現在、20体あまりの即身仏が祀られている、とのことですので、実際にあるものと言えるでしょう。

で、この即身仏ですが、入定(にゅうじょう)という思想からくる物で、この修行によって、生死を超え、肉体を残したままで永遠の命を持った仏となるための方法として考えられていたようで、日本だけでなく、中国でも行なわれていたとされます。

で、即身仏になる方法ですが、二つの段階に分かれています。まずは、木食修行とよばれる段階で、穀物を断ち、木の皮や木の実だけを食べて、読経や坐禅などの修行を続け、徐々に体の脂肪分や水分を落としていきます。そして、次の段階として、土を掘って、石を組んでスペースを作り、そこに行者が入る木箱を納め、呼吸できるように竹筒を土から出して、その中で断食状態のまま、行者は鐘を叩きながら読経を行ないます。そして、その声や鐘の音が聞こえなくなった時、入滅したと判断されて、一旦掘り出され、その後また土中に埋められるそうです。そして1000日の後、掘り起こすと、ミイラ化し即身仏と成っている、と。

いやはや、実に壮絶な修行ですね。しかしなぜこのような事を行なったか、と言うことですが、自らの命を賭して仏と成ることで、世の人々を救う為、だそうです。こういうことを思うと、同じ僧侶でありながら、到底真似できない事だなと、頭の下がる思いがいたします。

と、ゴチャゴチャ書きましたが、百聞は一軒にしかず。実際に見に行かれてみるのが一番かもしれませんね。是非、私もお参りに行きたいものです。

2008年3月27日

A. たまにありますし、ありがたいことだな、と思います。

この方は「私は子供時代には祖母に連れられて実家の菩提寺にお参りに行ったりしていたのですが、長い間お参りに行っていません。 旅行などではお寺に行ったりします」ということで、昔よくお寺に行かれていて、またお寺へ伺いたい、とのことですが、それはもうお寺としては、ありがたいことですし、お坊さん冥利に尽きる事であるな、と私は思います。

ウチのお寺にも、たまにですが、今は遠くに住まわれている方が、実家に帰ってきたときに、お寺に顔を出してくださるということや、ふらっと、お寺にお参りさせてくださいと来られる方がおられるのですが、やはり大変嬉しいものです。おそらく、どんなお寺さんも、そう言うことがあるのは嬉しい事であるかと思います。

ですので、どうぞ、気兼ねなくお寺へ行かれてはどうでしょうか。お寺は、たいてい留守、ということがなく、誰かしら人がいると思いますので、いつでも大丈夫だと思います。
ただ、住職が不在であったり、ご法事などを勤めている事もありますので、前もって連絡すると、なお良いかもしれません。

お寺は、お坊さんが修行する為の施設であると共に、人々に仏法を伝えるために開かれた施設でもありますから、また是非、行かれてみてくださいね。

2008年3月27日

A. ブッダであり、ブッダのお弟子さんたちです。

お経は誰が作ったの、とのことですが、そもそもお経とは、ブッダの説かれた教え、説法を文字にしたものです。が、ブッダ自身が、それを書き記したわけではありません。ブッダは、お弟子さんはもちろん、多くの人々に教えを説いていかれましたが、文字には残されませんでした。ブッダがおられた時は、それでも良かったのですが、ブッダが亡くなられた後、後世に教えを正しく広め残す為には、やはり文字にする必要があると、お弟子さんたちが集まってそれぞれに聞いたブッダの教えをまとめて、文字に記していきます。それが、最初のお経です。

ですから、お経に書かれた内容は、ブッダの教えであるので、教えそのものはブッダのもの言えますが、実際文字に興してお経の形を作ったのは、お弟子さん、ということになるでしょう。

そして、今現在日本で使われているお経は、インドの言葉で書かれたお経を、漢訳された物です。そこでも多くのお坊さんが漢訳作業に携わっていますが、高校の歴史などでも出てくる有名な方を挙げますと、鳩摩羅什や、『西遊記』で有名な玄奘三蔵法師がおられます。ちなみに、三蔵法師とは、お経には、ブッダの教え「経」、戒律を記した「律」、教えを注釈した「論」の3つのタイプがあり、それをまとめて「三蔵」といい、その3つを修めたお坊さんを三蔵法師、というわけで、玄奘さんの他にも三蔵法師と呼ばれる方はおられます。

と、話が逸れましたが、そういう漢訳作業を行なったお坊さん達も、ある意味では現在のお経を作った方、と言えるかもしれませんね。

2008年4月 3日

A. およそ75,000です。

日本にはどのくらいのお寺があるのか、ということですが、総務省統計局のデータ(宗教・23-22のA)に依りますと、仏教系では75,924のお寺があり、その他の施設が1,830あるそうです。

で、都道府県別でお寺が一番多いのはどこか、ということですが、これも同じ総務省統計局のデータ(宗教・23-22のB)に依りますと、愛知県が5,145と最も多く、ついで大阪府、3位が兵庫県、4位が東京都、5位が滋賀県、6位が京都府となってます。ただしこの数字は、宗教団体の数であり、純粋に寺院だけの数ではないようです。

こちらのブログでは、ソースは定かじゃないですが、寺院数では5位が京都、6位が滋賀となってます。

それにしても、全国で、75,000もの寺院があるんですね。よく寺院の数はコンビニよりも多い、なんてことを耳にしますが、コンビニは全国でおよそ40,000店舗で、寺院数のほうが、相当数上回っているようです。ですが、コンビニほど、人々のお役に立てているのか、と考えると、少々複雑な思いがいたします。

都道府県別では、なるほど、愛知県がトップですか。ちょっと意外な気がいたします。なにか理由があるのでしょうか。京都や大阪、滋賀が多いのは納得ですが、奈良が意外と少ないようで、ブログのほうのデータでは19位になってますね。これまた意外です。

こういうデータも、調べてみると、いろんな発見があって、面白いものですね。

アニメ一休さんで、お坊さん同士が「そもさん、せっぱ!」と問答を掛け合うシーンがありますね。この連載では、ふだん聞きたくてもなかなか聞けないお寺や仏教への素朴な疑問に、お坊さんがわかりやすく答えます。読者のみなさんからの質問も、お待ちしています!
(なおご質問は、メールでinfo@higan.netにお送りください。みなさまからいただいたご質問の中からいくつかを取り上げさせていただきます。)
ケンユウ
石川県のとある温泉街に住む僧侶。みなさんからの質問に、わかりやすく答えます。
→著者 公式サイト