A.私はありません。
お寺って、確かになんだか夜は薄暗くて不気味で、いかにも幽霊が出そうな場ではありますよね。私も小さい頃は、夜の本堂は無茶苦茶怖かったことを思い出します。
それで、実際お寺に幽霊が出るのか、ということですが、そもそもお寺とは、僧侶が修行を行ったり、仏さまに礼拝したり、生きている私が仏さまや仏法に出会わせていただくための施設であり、いわば私がさとりを目指す場、仏と成るための場だと言えると思います。
そして、幽霊といいますのは、まあ通常、未練を残して亡くなった人の魂が、この世に彷徨い続ける存在として考えられるかと思います。
で、ここでは幽霊がいるかいないか、という議論は避けまして、お寺という性質と、幽霊の性質を考えていきますと、お寺に幽霊というのはちょっと矛盾する気がします。もしですよ、お寺に幽霊が出るとしましょう。するとその幽霊は、仏法に、仏様に出遇うことになります。そんな仏法に出遇った幽霊の事を、仏様は放ってはおかないでしょうし、仏法に出遇った幽霊は、恨みを抱えたままではなくなるんじゃないでしょうか。そうしますと、まだこの世に未練があって成仏したくない幽霊は、たぶんお寺には出ないでしょうし、もし幽霊がお寺に出たとしても、私は成仏していくんじゃないかなと思います。そう考えますとお寺って、実は怖い場所ではないのかもしれませんね。
A.必ず切らなければいけないわけでもありません。
ご質問は、女性がお坊さんになったら、剃髪をしなければいけないのか、と言うことを聞いておられると思うのですが、必ずしも剃髪が必要とは限りません。と言っても、剃髪するかしないかは、完全に自由選択できる、と言うことではなく、宗派によって違いがある、と言うことです。
基本的には、男性であろうと女性であろうと、出家をして僧侶になる時には、お釈迦さまを倣って、剃髪することが慣わしです。ですから、僧侶の調髪が認められている浄土真宗においても、僧侶となる時、これを「得度」というのですが、男性は必ず剃髪します。
ただ、女性に関しましては、社会的なことを考慮して、浄土真宗では剃髪しなくても良い、ということになっていまして、剃髪したくない人は、うなじを剃るだけでOKです。
浄土真宗以外の宗派に関しては、禅宗などでは厳格に剃髪を必要とする宗派もありますが、近年では、僧侶も社会の一員であるし、積極的に社会と関わる事を求められますので、それを考慮して、女性は髪の毛があっても良いし、剃髪しても良いとする宗派もいくつかあるようですよ。
A.「ピンきり」です。
ど真ん中直球の質問が来ましたね(笑) こういう質問が一番難しかったりするのですが、頑張って答えさせていただきます。
厳密に言えば、お経をあげて受け取ったお布施は、実はその僧侶のものではありません。なぜならお布施は、お経をあげてもらった事に対する労働の代価ではないんです。
と言うのも、お布施の対象は本来、仏さま、そして仏法に対してであり、ひいては、仏さまとその教えを護持するためのお寺の維持や、仏教を広める事業を支えるために為されるものであるからです。
なので、多くのお坊さんは、「お預かり」したお布施を持ち帰ってお寺への布施収入として計上し、そこからそれぞれお給料をいただくという形になってます。
ただ、檀家さんからすれば、対象がお寺であろうが僧侶であろうが、お金を出すことには変わりないし、それをもらっているのだから、その額が聞きたい、ということだと思うので、それにお答えするならば、ぶっちゃけ「ピンきり」です。
お布施をするという事は、物に対するとらわれの心を離れるために、自分の財産を喜捨、喜んで捨てるという修行であるというのが、本来の意義です。また、お布施をするということは、仏法に触れた喜びと感謝を形に表す行為でもあるので、額を決めるようなものではなく、人それぞれ、その時々のものなんです。なので実際には、100円のことだってあるでしょうし、大きな会社の社長さんのお葬式などでは、ビックリするような額のことも、稀に、ですがあるかと思います。
私の場合は、毎月の給料が決まっていますし、お預かりしたお布施はお寺に持ち帰ってそのまま会計に渡してしまいますので、自分でお布施の額を見ることはないです。
A.それほどたくさんではないですが、おられます。
有名人でお坊さん、と言えば、最近では保坂尚希さんが出家したのが記憶に新しいですが、他では、「指パッチン」でも知られる、故・ポール牧さんや、「刑事コロンボ」のコロンボの吹き替え声優としても知られる俳優、石田太郎さん、元フジテレビアナウンサーの松倉悦郎さんなどがおられます。そして、今年3月に亡くなられた植木等さんも、父親がお坊さんで、植木さん自身も僧侶の修行の経験があり、ハナ肇さんの葬儀では自ら読経されたそうです。
あと若い方では、「ドラえもん」や「クレヨンしんちゃん」などのアニメの脚本家として知られる、もとひら了さんや、シンガーソングライターの二階堂和美さんという方も、僧侶の資格を持っておられるそうです。
と、私が知っているのはこのくらいですが、探せばまだまだおられるかも、しれません。もしそう言う方を知っていたり、発見したら、是非ご一報を。
A. 決まりがある場合と、個人の好みとによります。
髪の毛のある私がこの質問に答えるのは、少しはばかられますが、大勢のお坊さんが修行する場では、4の付く日と9の付く日、つまり5日おきであったり、3の倍数の日、つまり3日おきであったりと、決まりがあるそうです。でも、それ以外に剃ってはいけないということではなくて、特別な儀式や法要の前にも剃るそうです。
そういう集団での修行の場以外では、これといった決まりがあるわけではなく、個人の判断によるみたいですね。毎日剃る人もいれば、少し伸びたと感じたら剃るなど、様々のようです。そして、剃り方も、T字カミソリを使ったり、バリカンを使ったりするみたいですね。
ちなみに、いつもスッキリとした坊主頭をしている彼岸寺住職の松本は、1週間から10日に一度くらい、ニュースを担当されている「イケ住」こと彼岸僧yuzukiさんは、2週間に一度くらいのペースで頭髪を整えられているそうですよ。
A. できます。が、仕事より、僧侶の責務を優先させねばならない事もあります。
お坊さんの兼業は可能か、ということですが、檀家さんが少なく、法務に裂く時間が多くないお寺さんの中には、先生や公務員、あるいはそれぞれの宗派のご本山の職員などなど、兼業されているお坊さんはたくさんおられます。そう言う方は、平日お仕事に行かれて、土日にご法事などの法務を勤められてます。
ですから、お坊さんをしながら他の仕事が出来ない、ということは無いと思います。
でも、お坊さんとしての役割を担う場合は、他の仕事よりも、僧侶としての責務を優先せねばならない場面も多いですし、お葬式などの急なことにも対応できねばなりませんので、今しているお仕事にもよるのではないでしょうか。
A.そう多くは無いと思います。
お坊さんと言うと、不殺生戒という戒を由来として、肉食をせず、精進料理や、質素な菜食をするものだ、というイメージがあるかと思います。実際、道場などで修行中のお坊さんの食事は精進料理で、動物性のものは、ダシを含めて一切口にしません。
しかし、お坊さんがみんなベジタリアン、ということではありません。修行をしているお坊さんも、道場を出れば、肉・魚を食べる、と聞きますし、かく言う私も、ベジタリアンではなく、お肉もお魚も、正直、大好きです。また、ベジタリアンを公言しているお坊さんを、私はあまり聞きいたことがありません。
と、こんな事書きますと、坊さんも堕落したもんだ、と思われる方もおられるかもしれません。しかし、私たちは動物であれ植物であれ、他の生き物の命を食べなければ生きていけないのが現実です。ならば、「食べる」と言う行為の上で大切になってくるのは、動物だからダメ、植物だから良い、と考える事よりも、食べると言う事、命をいただくと言う事の意味を見つめ、いろんな命の支えられて私の命はあるのだ、という感謝の気持ちを持って食事をするということではないでしょうか。 その事が、命を粗末にしない、という仏教の教えにも繋がってくると、私は思います。
A.大学に行くだけではなれません。
まず、お坊さんはどんな大学に行くかということですが、仏教各宗派がそれぞれに大学(※)を持っておりますので、僧侶になる為に、こういう大学に行かれる方もおられます。 しかし、たとえば私は普通の国立の大学に行ってましたし、彼岸寺の主の松本も、東大を出てますから、仏教系の大学に行かずとも、お坊さんになれる道はあります。 また、仏教系の大学に行ったとしても、僧侶となるためには得度をしなくてはいけません。そしてその得度を受けるためには、ある程度専門の「単位」が必要になります。教員免許の試験を受けるのに、単位が要るのと同じですね。
また、家がお寺でない方の場合は、その得度をするために、所属するお寺や師僧を見つけなければなりませんので、仏教系の大学に行ったからといって誰もが必ずお坊さんになれるわけではありません。ただもちろん、他の一般の大学に行くよりは、情報等も得やすいですから、僧侶となるための道が広いことだけは間違いないと思います。
(※)詳しくはこちらを参照してください。
A.私はまだ聞いた事はありません。
遺体が怖くてお葬式ができないお坊さん、ですか。私は今まで聞いたことが無いし、あんまりいないんじゃないかな、と思います。 そもそも、なぜ、遺体が怖いと思うのでしょうか?まさかゾンビ映画のように起き上がることもないでしょうし、遺体は幽霊のようなものでもありません。
しかしまあ確かに、お坊さんは、亡くなれらた方のお顔を見たり、亡くなった方は仏弟子ですよ、という儀式をするのに、お体に触れることはありますので、その時は、少しは緊張はします。しかし、お体はキチンと整えられていますから、怖いという気持ちとは、ちょっと違うと私は思います。 ただ、遺体によっては損傷が激しい場合もあって、そう言う時は、お顔を見るのが辛い事もある、ということは聞いたことがあります。
それでも、仏教の教えに照らして物事を正しく見つめる時、遺体は、恐怖の対象などではなく、残された人たちにとって大切な方のお体であります。ですから、もし多少怖い、という気持ちがあったとしても、しっかりと最後の別れの儀式を勤めるのが、僧侶ではないかなと思います。
A.私はそれほど気になりません。
私は、街で坊主頭の人を見ても、さほど気になりません。なぜなら、私も髪の毛がありますし、坊主頭では無いお坊さんもたくさんおられます。そして、坊主頭だからといって、お坊さんとは、限りませんからね。
ただ、街で衣を着ているお坊さんを見ると、気になることはあります。あ、仲間だ、というような、妙な親近感を持ったり、どこのお寺のお坊さんだろう?どこの宗派のお坊さんだろう?あの衣の形、あのお袈裟の形は、ウチの宗派ではないかな、とか、考えたりします。 まあ気になると言ってもその程度で、その後特に調べたり、後をつけてみたり、なんてことをするわけではありませんけどね。
A.ご本尊をちゃんとご安置している人もいます。
私も、大学時代は一人暮らしをしていたのですが、一人暮らしをする際に、両親から「これ持って行きなさい」と、小さな仏壇の形をしたケースに入ったご本尊を渡されて、それを部屋の棚の上にご安置しておりました。同じように、お寺から離れて住んでいる方でも、小さな仏様を部屋にご安置してる方や、僧侶として、きちんと毎日手を合わせている方もおられます。
ただ、一人暮らしのお寺の方みんながみんなしている、というわけでもないかな、と思います。お寺の人でも、お坊さんではなく、普通の仕事をされている方もおられますし、お寺生まれでも、お寺や仏教と少し距離を置いている方は、ご本尊を家にご安置してないこともあるでしょう。 私も、仏様を部屋にご安置していたとは言え、その頃はまだ仏教にさほど興味があったわけでも、お坊さんともなっていない身でしたので、毎日手を合わせたり、お花や蝋燭、お線香などをお供えしていたわけでもありませんでした。ですから、厳密に言えば、お祀りしていた、というほどでは無かった、ということになりますし、ね。
A.おります。
お坊さんから見て、すばらしいと思うお坊さん、ということですが、もちろんおりますよ。お坊さんの中には、大変ありがたい先生方が、たくさんおられますから。 とは言え、私はそんなにたくさんのお坊さんの事を知っているわけでもありませんし、どちらかというと、同世代のお坊さんの知り合いが多いのですが、皆さんそれぞれに個性的で、まだ若いのにありがたいお話をしてくれる方、大学院でしっかりと勉強されている方、お寺でいろんな新しい試みをされている方、厳しい修行を経験された方、などなど、皆さん、僧侶としての私に足りないものを持っていたり、新たな気づきや刺激を与えてくれたりしますので、それぞれにすばらしいな、と感じます。 後は、少し気恥ずかしいですが、私にとっては、ウチの父も、そう言う存在かもしれません。お寺を住職として護持する中で、様々な問題や葛藤を抱え、それを乗り越えてきた経験や、現場の僧侶としてのあるべき姿勢や心構えをしっかり持っているという点で、私にとっては、見習うべき存在であると思います。
まあこれは、私の個人的な思いであって、僧侶目線での話、ですから、私がすばらしいと思うお坊さんが、皆さんが求める素晴らしいお坊さんとは、ちょっと違うのかも、しれませんが。
A.あります。 が・・・
お坊さんとお付き合いされているんですね。では、土日にデートというのはなかなか難しいかもしれませんね。お坊さんは、平日さほど忙しくなくても、ご法事などはどうしても土日に多く入りますので・・・
で、お休みですが、多くのお坊さんにとって、基本的に決まった休日というのは少ないと思います。地域によっては、「友引」の日に火葬場がお休みのため、お寺もお休みというところもあるようですけれど、そうでないところでは、お坊さんには普段オンとオフの切り替えがはっきりとはないかもしれません。
ではお坊さんはいつお休みするのか。それは、予定をやりくりして、お休みを作ることができれば、休めます。ですから、まとまった夏休みなども取れないことはありません。ただ、もし一人で法務を行なっているお寺のような場合、お休みが取れても、長期間出かけるのは難しいかもしれません。旅行に出かけても、目的地に着いたと思ったらお葬式が急に入ってお寺に呼び戻された、というのはとてもよく聞く話です。
それでも、平日や夜に時間が空くことは多いでしょうし、土日に時間が取れることもあるでしょう。ですから、2人で上手く時間を合わせていけば、楽しくお付き合いできるかと思いますよ。
A.私は(たぶん)ありません。
寝言でお経、は、今のところ私は経験したことないですね。まあ、もしかすると寝言でお経となえた事あるのかもしれませんが、寝言は自分じゃわからないので・・・
ただ、お経を称えている時に、意識がボーっとして、気づいたら終わっている、ということはあります。あ、誤解なきよう一応言っておきますが、寝てませんよ。ちゃんと目開けて、経典読んでるんですから。
あと、これはウチの祖父の話なんですが、脳梗塞になったことがあって、一時期言葉が出にくくなった事があるんです。でも、日課にしてるお経は本も見ずに、称えてました。きっと、泳ぎや自転車と同じで、頭で覚えているのではなくて、体に染み込んで、身に付いてるものなのかもしれません。
ですから、お坊さんの中には寝言でお経を称えた事がある方も、もしかするといらっしゃるかもしれませんね。
A.衣は着れますが、着物は・・・
お坊さんと言えば、衣、つまり着物に近い物を着ていますよね。あれはもちろん、自分で着ております。でも衣は、女性の着物のように帯の結びや形こだわったり、武士のように袴や裃をつけたりするわけでもないので、実はすごく簡単なんです。
ただ一つ「七条袈裟」というお袈裟だけは、大きくて着け方もちょっと複雑なので、手伝ってくれる人がいると助かります。
まあ、衣を毎日着るといってもその程度ですので、私はちゃんとしたと言うか、ちょっと小粋な帯の絞め方も知りませんし、まして女性の着物の着付けができるわけでもありません。おそらく、今の若いお坊さんのほとんどは、衣を着ける事はできても、一般的な着物を、キチンと帯を結んで着ることができる人は、そんなに多くないのではないかな、と思います。
A.パッと見で、宗派まで見分けるのは、難しいです。
街でお坊さんを見かけて、その人がどこの宗派のお坊さんかを見分けるのは、お坊さんからしても、結構難しいんです。というのも、基本的には衣やお袈裟というのは、どの宗派もほとんど同じような形をしているからです。
もちろん宗派によってお袈裟の色や刺繍されている紋が違っていたり、衣も細かなところで違いはあるので、法要などで同席する時などは「自分と違う宗派だな」ということはわかります。その時にもし、それぞれの宗派の衣やお袈裟の特徴を知っているならば、宗派までもわかるかもしれません。
もう一つ、お坊さんを見分けるポイントに「頭髪」があるんですけれど、浄土真宗では、坊主頭にしなくてもいいということになっていますので、有髪のお坊さんがいれば浄土真宗の可能性は高いでしょう。ただ、それ以外の宗派のお坊さんは、坊主頭にされている事が多いので、やはり宗派を特定するのは難しいと思います。
あと、お坊さんが私服の場合、その人がお坊さんかどうかを見た目で判断するのは頭髪しかヒントがないのですが、坊主頭の方がみんなお坊さんとは限りませんので、あとはその人の雰囲気から判断するしかないでしょうね。
A.それはデマです。
えー、私もそう言うことを初めて聞いたので、本当かどうか、アデランスさんにお電話して聞いてみました。すると「そんなことはありませんよ」というご返答をいただきましたので、どうやらこの噂はデマのようですね。
でもよく考えれば、基本的には坊主頭にするのがお坊さんなのに、髪の毛が少なくなってきたからと言って、増毛したり、隠そうとしたりすると言うのも、おかしな話ですよね。まあ私は髪の毛伸ばしてますが、いざと言う時は、坊主頭にしたって何の支障も無いわけですから。
じゃあなぜこんな噂があるのかな?と思ってググってみると、どうも「坊主丸儲け」ということと関わりがあるようで、ナマグサな、お金のことばかり考えるような強欲な坊さんが目に付く、というところからきた噂のようです。
そういうお坊さんがいることは同じ僧侶として、情けなく思うことですが、お坊さんがみんな強欲な人たちばかりではありません。真面目にやっていらっしゃる方のほうが多いのですが、どうしても、そう言う派手なほうが目立ってしまうので、こういう噂も出てきたのでしょうね。
この噂はデマでしたが、僧侶としては、一つの戒めとして受けとらなければなりませんね。それと、アデランスさん。妙な質問にもご丁寧にご返答いただきまして、ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。
A.ちゃんと税金、払ってます。 「お坊さんって、税金払わなくていいって、ホント?」これは、お坊さんと初めて会うような人に、必ずと言っていいほど聞かれる質問なんですが、答えは「NO」です。お坊さんも、ちゃーんと税金払ってますよ。ちょっと前、住民税の大幅増税が話題になりましたが、その住民税、私たちお坊さんも、払っております。もちろん私も納めております。
そして、お坊さんの収入というは、実はお寺からのお給料なんです。ですから、その収入に対する所得税も、きちんと納めなければなりませんし、その他の消費税などの細々とした税金も、たいていのものは納めております。 ではなぜ、お坊さんは税金払わなくて良い、なんてことが真しやかに囁かれるのか。それは、お寺という「宗教法人」は公益法人とみなされ、一部の税金が免除、あるいは軽減されているということにあるかと思います。どういうことかと申しますと、宗教法人としての活動、つまりお寺としての宗教活動によって得られるお布施等の収入は、課税が免除され、お寺の土地などにかかる固定資産税も免除されるということです。
ただし、お寺が宗教活動以外によって収入を得る場合、例えば、土地や駐車場を貸したり、製造・販売など収益事業から生ずる所得に対しては、一般事業の税率より軽減されて課税されます。ですから、お寺が全く税金を払わなくても良いというわけではないんです。 でも、お寺は住職が運営しているんだから、結局全部が収入みたいなもので、給料制にしなければ、所得税納めなくてもいいのでは?とも考えられるのですが、そんなことをすれば、税務署が黙ってはいません。ちゃんと宗教法人としての会計と、私生活に必要なお金を分けていないと、必ずチェックに入ります。また、檀家 さんによる会計監査もありますし。ですから、お寺の会計と、個人の収入支出は、きちんと分けて管理してますし、お坊さんもちゃんと税金を納めているんですよ。当然と言えば、当然のことなんですけどね。
A.国によって違う、ということではないようです。
もともとお坊さんの衣服と言うのは、財産になるような私有物を持つことが禁じられていた為、雑巾のような古布を縫い合わせて作られた、糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれる物が由来となっております。
その糞掃衣は、インドのある王様が、仏教僧と、バラモン教の僧とを間違えた為、一目で仏教僧とわかるように、服飾規定が設けられ、純色と呼ばれる青・黄・赤・白・黒に色を混ぜて濁らせた壊色という色が基本とされ、草木の汁や、鉄サビなどを使って染められた、と言われます。「袈裟」と言う言葉も、インドの言葉で混濁色意味する「Kasaya(カシャヤ)」という言葉に漢字を当てたものだそうです。
ではなぜ、国によって衣の色が違うのか、ということなのですが、国というよりも、宗派や文化による違い、と考えたほうがよいのかもしれません。日本でも、各宗派によって、衣に関する決まりはそれぞれ異なりますし、東南アジアと日本では、仏教のタイプも、また文化や気候も大きく異なるため、衣の色が異なってきたと考えられます。
東南アジアの衣は、インドに気候が似ているため色も形も基本に忠実なものですが、日本の衣は、インドや東南アジアより寒い気候風土に合わせた形になり、黒色がよく使われるのは、慎み深さを表している、と言われます。
ただ、衣にはいくつか種類があり、日本で見る黒い衣は普段使いの物で、法要などでは色のついた衣を身につけることもありますし、普段も黒以外の衣をつける宗派もありますので、日本のお坊さんも衣は黒でなければならない、というわけでもないんですよ。
A.あります。
ミャンマーでの出来事ですが、軍事政権の横暴によって尊い人命が虐げられているのは、大変心苦しい事であり、亡くなられた方々には、謹んで哀悼の意を表します。
さて、お坊さんが政治に関わる事があるのか、という質問ですが、答えは「ある」です。今では、政教分離が日本の政治の原則としてあり、国家が特定の宗教団体に対して援助したり圧迫したりすることは禁じられていますが、かつては日本の政治と仏教は深く結びついていました。聖徳太子の頃や、奈良・平安時代では、朝廷が仏教を用いて国家の安定を図ろうとしていたため、仏教が保護され、僧侶が政治に対して影響力をもっていたことは、想像に難くないでしょう。
他にも歴史を紐解けば、徳川幕府成立時に、天海という僧が政治に関わっていたり、彼岸寺にて安藤優一郎先生が連載されております「江戸のお寺浮世草子」でも、お坊さんが大奥と関わりを持つことで、政治にも影響していた事が書かれておりました。どうやら近代以前では、お坊さんが政治に関わることは少なからずあったようです。
しかし現代では、先ほども書いたように政教分離の原則がある為に、お坊さんが政治に大きく関わるということは、それほどありません。とは言え、国会議員として活躍されているお坊さんもおりますし、国家の政策に対して、抗議を行なうなどのアクションを起こすこともありますので、今でも政治に全く関わりを持たない、というわけではありません。
僧侶と言えば、俗世から離れた存在として考えられがちです。もちろん、世を捨て一人山に篭り修行されたお坊さんもおりますが、権力の中枢と積極的に関わった怪僧もおりました。しかし、ただ自らの道や利益だけを求めるのではなく、世の人々の為に救いの道を説こうと、実社会に深く根ざしたお坊さんもたくさんおられます。ですから僧侶は、決して社会と隔絶した存在ではないのです。
同じように、現代でも僧侶も社会の一員として役割を果たすべきであると考えられております。ですから、その延長として、僧侶も政治と関わることが必要な場面もある、ということでしょうね。
A. あります。
お坊さんの衣に衣替えがあるのか、ということですが、あります。ちょっと他宗のことは定かではないですが、私が所属する浄土真宗本願寺派の服飾規定では、世間と同じように、6月1日に冬用の衣から、夏用に衣替えし、10月1日に、冬用の衣に衣替えをするように決められております。
具体的にどう変わるのか、と言う事ですが、その前に、大抵お坊さんは、3枚の衣類を着けています。一番肌に近いところから襦袢(じゅばん)、その上に白衣(はくえ)を着ます。この2枚は下着のようなもので、この上に、黒い衣や、色のついた法衣を着、そして、その上にお袈裟を着けます。
で、それぞれに、気候に応じて夏用と冬用があるわけですが、その大きな違いは、素材と、生地の厚さや織り方でしょうか。夏用の下着は、綿の、軽くて吸湿性の高いもので、冬用では、ウールが使われたりします。法衣に関しては、夏冬ともに、絹か化学繊維を用いてありますが、生地の厚みと、織り方が異なります。冬用の法衣はみっちりと織られていますが、夏用は、なんと言うか、透け感のある風通しの良い織り方がされています。
しかし、衣替えすると言ってもその程度で、洋服のように袖や丈の長さや形が変わったりすることはありません。ですから、よほど注意して見ないと、その違いはわからないかもしれませんね。
世の中にはいろんな職業があって、それぞれに、職業病と呼ばれるもの、ありますよね。まあその中には、職業柄の習慣や、体の一部を酷使する事などによって、身体的に異常をきたすなどいろいろあるかと思いますが、お坊さんにもやはり職業病と言うものはあります。
私が自分で職業病だなあ、と感じるのは、いろんな物事に対して、仏教と結び付けたくなる、ということでしょうか。歌を聴いて、本や新聞を読んで、仏教と全く関係なくても、「ああ、これ仏教っぽいな」とか、「法話のネタに使えそうだ」と考えてしまいます。
あとよく聞きますのが、テレビのドラマやワイドショーなどで、お葬式が映されますと、どこの宗派かな?というのが気になったりすると言うもの。確かに私も、テレビからお経が聞こえると、何のお経だろうか?と気になったり、同じ宗派のものと思われるお経が聞こえたりすると、妙に嬉しかったりします。
まあこれらは習慣的なものですが、体に関しての職業病と言うと、正座に関してが多いかもしれません。私も長時間の正座によって、足に「正座ダコ」が出来てますし、人によっては、膝を悪くされる方もおられます。また、これは本当かどうか定かではないのですが、かかとにお尻を乗せ、足がしびれてくると、お尻を動かして足を組替えたりする事が原因で、痔にもなりやすい、なんてことも聞いた事があります。よく見ると「痔」という漢字。病ダレに「寺」ですからね・・・なんだか意味深です。
A. 個人的には、怪しい人だと思われないことでしょうか。
お坊さんで得をしたこと、ということですが、正直申しまして、パッと思いつきませんでした。それはつまり、おそらく大して得をしたという経験がない、ということなのでしょうけど、私が一つだけ感じるのは、初対面でも怪しい人だと思われない、ということかなと思います。
お坊さんならちゃんとしている、というようなイメージがあるからか、初対面でもそれほど警戒せず、とっつきやすく思ってくださることがありますので、その点ではお坊さんで得したな、と思います。
他には、そうですね、京都のあるタクシー会社のタクシーには、法衣を着ていると1割引になるサービスがあります。ただこれは、着物を着ていれば誰でもそのサービスを受けることができるので、お坊さんだから、というものでもないかもしれません。
あと、これは私も確認したことがないのではっきりとは言えないのですが、京都で拝観料が必要なお寺に入る際、僧侶である事を申し出て、それを証明できれば、拝観料が無料になるお寺もある、と聞いた事があります。これが事実なら、実にありがたいことなのですが、普段私は全く僧侶らしくなく、また僧侶の身分証明証というのもないため、証明するのが難しく、実践にはちょっと勇気が要りそうです。
A. ありません。
お坊さんに定年はありますか、とのご質問ですが、お坊さんはサラリーマンとして会社に雇われているわけではありませんので、基本的には定年はなく、僧侶の資格も、年齢によって失効するものではありません。ですから、80歳でも90歳でも、体さえ元気であれば、お坊さんとしての勤めを果たすことは可能です。
事実、ウチの祖父も、80歳になる前までは、現役でお寺の法務を勤めていましたし、現役引退し、外へお参りへ出る事は無くとも、お寺での日課のお参りはキチンとしておりましたし、かなり年配でも、まだバリバリやっておられる方もおられます。
ただし、法務員と言って、本山などの組織の職員として働かれている方には、定年はあるかと思いますが、それも、その職員としての職を終えるだけで、僧侶を辞めないといけないわけではありませんから、お坊さんには定年というものはないんです。
むしろ、人生経験を経ることによって、より深く仏法を味わえるようになることもあるでしょうから、世間で言う定年の頃が、お坊さんにとっては最も脂ののっている時期かもしれませんね。
A. 一般向けに求人はして無いと思います。
お寺に婿入りしたい、ですか、残念ですねー。嫁入りしたい、なら、私のところで受け付けているのですが(笑) と、リアルな冗談はさておき、お寺に婿入りするためにはどうしたらよいのか、ということだと思いますが、お寺出身ではない一般の方には、ちょっと難しいかもしれません。そもそも婿入り、ということは、単にお寺に勤めるというわけじゃなくて、お寺の娘さんと結婚をするということですから、そのような求人は世間一般に向けてなされてはいないと思います。
もし、どうしてもお寺に婿に入りたいと思われるのでしたら、まずお寺の娘さんと知り合わなければなりません。しかも跡継ぎとなる男の兄弟がいない娘さんでないと、お寺に婿に入る事はできませんから、そう言う女性と知り合って結婚するのは、意識してもなかなかできることではないかなと思います。
さらに、お寺に婿に入る以上は、当然、跡継ぎとしてお寺の法務を勤めることが要求されるでしょう。ですから、僧侶としての資格をとって、ご自身もお坊さんにならなければならない必要性も出てまいります。
ですから、お寺に婿入りしたい、とお考えであれば、お坊さんになってしまわれるのが一番の近道かと思います。お婿さんが欲しい、というお寺は、結構あるかと思いますし、お坊さんとなって、僧侶社会の一員になれば、そう言う情報も得やすい事があると思いますので。そのためには、まずは最寄のお寺さんに行ってみる事から、ですね。
A. 私は、今のところあまりありませんが・・・
新興宗教の方とお話をする機会、ということですが、私は今のところあまり経験ありません。まあそれは私がまだ僧侶になってそれほど時間が経っていない、というのもあるかもしれません。或いは、僧侶としての私のあり方が、あまり外向きではなくて、内向きの活動ばかりになってしまいがち、というのもあるかもしれません。
しかし、こちらから対話を拒否してる、というわけではなくて、いろんな価値観や信仰を持っておられる方と、お話しできる機会もあるといいな、と思います。
ただ、もしそういう機会があった場合、自分の信仰を絶対的に正しいと思うあまりに、お互いの信仰を否定的に見たり批判するだけになってしまいますと、せっかく対話する機会があっても、ただの口論のようになってしまいますので、気をつけなければならないかな、と思います。
信仰は、優劣を競ったり、相手を言い負かすための武器ではないですし、対話も、互いの違いを認め合ったり、信じるものは違えども、それぞれの信仰を喜べる、そう言う機会に出来てこそ、意味深いものとなるでしょうからね。
A. 今ではあまり無いようですが・・・
私がこの質問を聞いてパッと思いついたのは、「じゅげむ」と言う落語です。この落語の中では、お坊さんに名前をつけてもらおう、というところから始まるのですが、そんな落語があるくらいですから、かつては子どもの名前をお坊さんにつけてもらうと言う事はよくあったことだろうと想像できます。
これは、おそらく江戸時代くらいまでは、一般の人の識字率が低く、お坊さんや庄屋さんなどの、ある程度の知識人に名付けてもらうことが多かったからだと思います。
しかし現代では、ほとんどの人が読み書きできますから、他の人に、我が子の名前をつけてもらうよりも、自分たちで名前を付けてあげたい、というのが親の気持ちとしてあると思います。ですから、お坊さんが法名や戒名を付けることはあっても、子どもの名前を付けてとお願いされることは、稀なようです。
一応私も、祖父と父にそのような経験があるか確認してみましたところ、祖父は二人ほど名付けたことがあり、父は経験無いとのこと。やはり、稀な事のようですね。
それでも、お坊さんは法名や戒名付けるときに、しっかり漢字の意味を調べたり、考えていますから、名前をつけるのに迷ったら、字画などを気にするよりも、お坊さんに相談してみるのもアリかもしれませんね。
お坊さんの集まり、と言えば、去る15日、築地本願寺にて、いろんな宗派のお坊さんが集まって「東京ボーズコレクション」なるイベントが行なわれました。私は遠方にいるもので、残念ながら参加できなかったのですが、いろんな宗派のお坊さんが集まってイベントをするという機会はそんなに多くないものですから、どんな様子だったのか、気になるところです。
さて、世界のお坊さんが集まることがあるのか、というご質問ですが、あります。その代表的なものが、「世界仏教徒会議」という会議かなと思います。これは、世界仏教徒連盟と言うタイに本部を置く組織がありまして、その連盟の世界大会として、世界各国から仏教者が参加されます。
そしてこの「世界仏教徒会議」は2年おきに行なわれており、さらに今年はビルマの軍事政権による支配の問題を中心とし、平和構築のための国際フォーラムが行なわれ、来年は第24回目の世界大会が東京・浅草で行なわれるとのこと。どのような会議になるのか、これまた興味津々ですね。
ちなみに、他にも日・中・韓の仏教友好交流会議と言うものや、国内では全日本仏教徒会議と言うものがあったり、またいろんな宗教指導者が集う世界宗教者平和会議にも、各国・各宗派の仏教指導者が参加されておられます。
A. 「無い」と言ったら、嘘になるかもしれません(笑)
他のお寺が羨ましいと思った事、ということですが、そうですねぇ、私に限って言えば、全く無い、ということはありません。やっぱり、他のお寺さんを見て羨ましいなあ、と思うことはあります。
どういうところで羨ましいな、と感じるかと言うと、やはりそのお寺を取り巻く環境と言うか、土地、地域性、などでしょうか。例えば、私が今おりますお寺は、石川県の田舎の方にあるのですが、日々田舎暮らしをしておりますと、都会に近いところのお寺が、やっぱり羨ましいな、と感じたりもします。
また、お寺によっては、たくさん檀家さんがおられるお寺もあれば、檀家さんが少なく、兼業をしているお寺さんもおられる事と思います。檀家さんがたくさんおられるお寺さんは、お参りが毎日忙しくて、なかなか自由な時間が取れなかったりするでしょうし、兼業しておりますと、お坊さんとしての活動が疎かになってしまいます。ですから、檀家さんの多いお寺さんは、もう少し時間が取れる環境を望んだりするかもしれませんし、兼業しておられるお寺さんは、兼業の必要の無い環境を、羨ましいと思うかもしれません。
しかし、これらは言ってみれば無い物ねだりのようなものだったり、隣の花は赤く見えるようなもの。どんなお寺でも、やはり大変な事や悩みはあると思いますから、他のお寺を羨ましいと思うよりも、どのような形であれ、自分のところで自分が一生懸命頑張ることが、大切なんでしょうね。
A. こればかりは、お寺によっていろいろあるかと思います。
お寺は年始は忙しいのか、ということですが、これはお寺によっていろいろで、一概には言えないでしょう。例えば、私の友達のお寺では、三が日に、お茶会をするため、かなり忙しいとか。そんな特別な行事が無くとも、年頭のご挨拶に檀家さんがたくさん来られるお寺も多いようです。が、ウチのお寺は三が日、挨拶に来られる方も少なく、お参りもお休みなので、のんびり過ごさせていただいておりました。
で、タイムスケジュールですが、これもやっぱりお寺によるでしょうね。例えば大きなお寺などで、お坊さんが修行の為に共同生活するようなお寺では、起床や坐禅・修行、お勤め、食事や、掃除など、毎日のスケジュールが決められているかと思います。
あるいは、大きなお寺で、たくさん職員さんや法務員さんと共に寺務を行なう場合でも、一日のスケジュールはある程度決められている事でしょう。
しかし、一般的なお寺では、そうではありません。朝夕にお勤めをする以外は、その日その日で予定が変わってきます。ウチのお寺では、毎日月忌参りというお参りを、門徒(檀家)さんの家に一軒一軒訪ねて勤めますが、その家々で都合のよい時間がありますから、日によってまちまちです。また土日にはご法事が入ることも多いですし、お彼岸やお盆などの時期によっても変わってきます。お葬式は、いつ何時あるかわからないですし。
ですから、一般的なお寺では、スケジュールが無いというよりは、直前まで決められない、というのが実情ではないかなと思います。
A. あると面白いのですが。
お坊さんの独身・既婚を見分ける方法ですが、一般的には、左手の薬指に結婚指輪をつけているかどうか、ですよね。が、結婚しているお坊さんでも、指輪をつけている方とつけない方がおられるため、指輪で見分ける事は難しいと思われます。
そもそも、結婚指輪の由来は、古代エジプトまで遡るそうで、ヨーロッパでは古代ローマ頃から契約履行の証としてリングが使われ、後にキリスト教における結婚の儀式にも取り入れられていったようです。それが日本に入ってきたのは明治以降のことですから、結婚指輪をするというのは、西洋の文化、と考えられます。
また、お坊さんとはそもそも出家した方。出家すると言うことは、本来は、世の常識を離れ、さとりを目指す事でありますから、欲望を掻き立て、身を飾るための装飾品をつけたりはしないもの。お釈迦様も出家にあたり、装飾品を全て従者に渡したと言われています。ですから、お坊さんが指輪をつけるということは、本来的にはあまりないことということで、結婚指輪をしない方もおられます。
しかしまあ、もともと結婚が許されていなかったお坊さんも、今では結婚が許される時代ですから、別に結婚指輪をつけてはいけない、というわけでもなく、結婚指輪をつけている方もおられます。
また、お坊さんだからと言って、既婚・独身の特別な見分け方があるわけでもないですので、外見で見分けるのは難しいと思われます。どうしても気になる場合は、聞いてみるのが一番手っ取り早い、でしょうね。
A. 憧れる事も、無いわけではありません。
お寺の跡継ぎに関してご質問ですが、お寺の跡を継ぐのは、なにも長男(長女)でなければならない、というわけではありません。弟や妹がおられるばあいは、長男・長女が別の職業に継いだり、お嫁に行ったりと言う話もよく聞きます。ですから、お寺の生まれだからと言って、お坊さん以外のことをしない、というわけではありません。ただ、弟が継ごうとしている時に、長男がやっぱりお寺継ぎたい、となると、話がややこしくなったりしますので、長男が継ぐ方が、丸く収まりやすく、ベターであるというくらいでしょうか。
あと、会社勤めに憧れるか、ということですけど、私も僧侶になる前は、やはり他の職業に就くことも考えてました。それが憧れかどうか、と言われるとちょっと違う気もしますけど、学者になりたいとか、そう言った夢を持っていたことはありました。
ちょっと他のお坊さんがどう思っているかは定かじゃないですが、私は今、僧侶として頑張っていきたいなと思っていますので、他の職業に就きたいとは、さほど思いません。
ただ、お坊さんで一つ辛いなと思うのは、お休みが定かじゃない事。週休も無いですし、ゴールデンウィークや、お盆休みのようなまとまったお休みも、あまりとれません。ですから、毎週土日がお休みとか、1週間休みをもらって海外旅行とか、そう言う話を聞くと、ちょっと羨ましくもなります。
しかしまあ、他の職業の事を羨んでも仕方ありません。どんな仕事にも、やりがいと、辛い面がありますし、今自分ができる事を精一杯頑張る事が大切ですしね。
A. ひどいと言えばひどいですが…
ブッダは、出家する前にはゴータマ・シッダールタという名の、シャカ族の王子でした。出家されるのは29歳のころですが、16歳のころに、ヤショーダラーという女性と結婚され、ラゴラ(ラーフラとも)というお子さんもおりました。その妻子を捨てて、出家していかれたわけですから、妻子だけでなく両親にとっても、それは大きな悲しみだったと思いますし、一般的に考えても、ひどい行いであると思えなくもありません。
しかし、ブッダご自身にとってみれば、自分だけが王子として贅沢この上ない暮らしをしている事に葛藤を覚えたでしょうし、自分自身が、そして世の人々が「生老病死」という苦を抱えている現実に直面し、漫然と生きていく事に疑問を感じられ、悩み抜かれた上での決断が、出家という道だったのだと思います。
これはあくまで推測ですが、出家にあたり、家族の事をどうするかで葛藤もあったことでしょう。しかし、それを二の次にしても、求めるべき物があると決断され、地位も名誉も財産も全てを捨てていかれたわけです。
しかし、家族を捨てたとは言え、その後全く家族の事を無視したわけではありません。6年の修行の後、さとりを開いて仏(ブッダ)となられた後、故郷に立ち寄り、家族に会っていろいろな説法をし、それによって両親も、ヤショーダラーも、ラゴラも、ブッダに帰依したと言われています。
出家、そしてさとりを得て仏となった後、家族と家庭生活をしたり、特別視することはなかったかもしれませんが、多くの人の苦を解決し、家族にも苦悩を解決する道を示すことで、真の救いを与えたわけですから、ブッダの行いを一概にひどいと非難することはできないのではないかな、と思います。
A. 基本的に不合格は無いかと思います。
得度するに当たり、不合格があるか、と言うことですが、まず浄土真宗本願寺派に限って言えば、不合格はほぼ無いかな、と思います。本願寺派で得度するためには、得度習礼という合宿があり、実技・筆記の試験などもありますが、合否を決めるというよりも、最低限の知識や儀礼作法を身につけているかを測る為のもので、試験の成績が悪い場合は、フォローして再試験、という形になりますから、基本的に不合格は無いかと思います。ただ、その合宿中に、体調を崩すなどして、最後まで達成できない場合は、その限りではありません。
その他の宗派につきましては、得度するために、師僧に指導をまず受け、得度式を受けるという形を取るか、各宗派の大学に行って、専門の単位を取る事から始まるようですが、得度は僧侶としてのスタート地点に立つ事。ですから、僧侶となりたいという確固たる意思を持った人であれば、得度できない、ということはまず無いのではないかな、と思います。
まあもちろん、素行が悪いなどの問題があれば、その限りではないかもしれませんが、基本的には、僧侶となるための門戸は、誰にでも開かれたものですので、僧侶になりたい強い気持ちがあれば、大丈夫かと思いますよ。
A. 宗派の教義と相反する異なる教えを標榜した場合や、重犯罪を犯した場合などが考えられます。
お坊さんが破門される、ということについてですが、これは、各宗派それぞれに宗教法人としての規定がありますから、それによっていろいろに決められているかと思います。
浄土真宗本願寺派に限って言えば、この「破門」の処分に当たる場合として、
・「『宗制』に定める教義に相異する義又は相異する虞(おそ)れのある義を主張して、宗門の秩序を紊(みだ)し、勧学寮の教諭に服しないもの」 ・「仏祖に対する不敬の行為によって、宗門の秩序を紊(みだ)したもの」 ・「禁固以上の処刑を受けて、僧侶の本分に背いたもの」
などの決まりがあります。宗派の教義に相反するような事を言うということは、別の教え、宗教になってしまう、ということでもありますしね。
その昔親鸞聖人は、息子の善鸞が、教えとまったく異なる事を吹聴した為に、親子の縁を切る、「義絶」をしたということも言われています。僧侶でありながら、仏法にそぐわない教えを述べるというのは、仏法を傷つけ、敬うべき仏を誹謗することでもありますから、重罪であるということでしょうね。
また、僧侶でありながら重大な犯罪を犯し、社会秩序を乱した者も、「破門」されるというのも、わからないことではありません。
ただ僧侶といえども人間。縁によっては人を殺してしまう事が無いとは言えません。そう言うことも考慮されてなのかどうかはわかりませんが、最近本願寺派では、「破門」という処分は、その人個人の信仰をも奪いかねないものであるとして、「破門」をやめて、「僧籍剥奪」の処分に制度を変えようとしているようです。犯罪を犯したことは、当然罰せられるべき事ですが、宗門から追い出し信仰を奪うことは、仏教教団としての趣旨に反する、ということでしょうね。