2008年9月15日

kikka-konbu.jpg 9月1日のブログでも書きましたが、お盆中、棚経(たなぎょう)でまわったあるお檀家さんから、うどんを頂きました。 私のお寺の場合、こうした頂き物は、お寺の本尊さまに対するそのお檀家さんからの御供物としてお供えさせていただいたあと、お寺の人間で食べています。

 この仏さまにお供えをするというのは、仏像という”偶像”に対してではなく、あくまでも仏像が象徴している ”お釈迦さまの教え”に対してのものであり、その行為自体が我々の仏道実践となっています。 つまり、お供えをするという具体的な行為を通して、お釈迦さまの 「欲というものには限りがない。 貪(むさぼ)りから離れよ。」 という教えを、自分以外の何らかの存在に供養 (くよう・・・供え養うこと) することで、実践しているということです。

 この行為を布施 (ふせ) と言い、実際に行うことを布施行 (ふせぎょう) と言います。 これは、六波羅蜜 (ろくはらみつ・・・6つの仏道実践) の1つで、誰にでも簡単に行うことができます。 供養するものは、物でも行為でも構いません。 お仏壇にご飯を供えるのも、家族に料理を作るのも、電車で席を譲るのも、自身のためではなく他なる存在のために自発的に行動していれば、それは布施行です。

 法事のあと、お檀家さんや信者さんがお坊さんに渡す 「お布施」 も同様です。 お坊さんは法施 (ほうせ・・・人々のために仏の教えを説く) をし、現代のお檀家さんは財施 (ざいせ・・・人々のために財を施す) をしているのです。 この考え方のポイントは、お坊さんのお経の対価として「お布施」 が存在しているのではないところです。 あくまでも双方が、相手側のことを想い、その慈悲心から施すのであって、決して見返りを求めての行為ではありません。

 永平寺の中食 (ちゅうじき・・・昼食) では、生飯 (さば) といって、給仕してもらったご飯の中から各々が、お米を7粒ほど差し出し、浄人 (じょうにん・・・給仕役) がそれを全て集めていきます。 集められたご飯は、生飯台という石の台に乗せて、鳥や虫に施されます。 この行為のベースには、自分が受けている恩恵を、是非とも他なる存在にも受け取って頂きたいという思いがあるのです。

 我々は生きていると同時に、生かされている存在です。 その意識を皆が持って、自分の外の存在に対して慈悲心から布施を行うことが出来れば、皆が皆のことを思って行動し、自分という枠を超えた優しさの循環が生まれます。 どんな小さなことでも構いません。 隣人に笑顔で接することでもよい、倒れた自転車を起こすのでもよい、日々何かしら他者のために我々が出来ることはあるはずです。 このような自発的な積み重ねによって、皆に優しい、生活しやすい環境が整っていくことでしょう。



生活そのものが修行であるとする曹洞宗の大本山永平寺では、修行僧が料理を作ります。 料理を作ることも、食べることも、坐禅や掃除と同様に仏道修行そのものなのです。 その永平寺で本場の精進料理と出会った吉村昇洋が、分かりやすく且ついい感じに、精進料理とその背景を紹介していきます。 見やすく分かりやすいレシピ付き!
吉村昇洋
広島県内の曹洞宗寺院副住職。 1977年生まれ。駒沢大学大学院仏教学専攻修士課程修了後、学問の世界から飛び出して実践の場を求め、曹洞宗大本山永平寺にて2年2ヶ月間の修行生活を送り、現在に至る。