
岡本太郎と野沢温泉
温泉地の中には、
「自然湧出」というのを提唱している温泉地もあって、
たとえば野沢温泉は自然湧出のみで温泉をまかなってるらしいです。
これ、すごいことですよ。
実は晩年の岡本太郎は、40半ばくらいからスキーをやり始めて、
野沢温泉に行き始めたんです。
「湯」という岡本太郎デザインの字を書いてたりして。
野沢温泉のホームページを見たら、今でもその字が出てきますね。
で、岡本太郎という人は縄文文化、縄文パワーというものをすごく提唱していた人で、
あの縄文の爆発をみんな忘れちゃいけないってことで、
若いころから青森とかの古来の日本が残ってる場所に行ったりして、
それこそ「なまはげ」なども縄文の名残なんだとか言うことで研究してて
写真など撮ってるわけです。
そんな岡本太郎が晩年野沢温泉に行き始めたというのは、
たぶん彼は野沢温泉にそういった縄文のパワーを見たんだと思うんです。
その縄文パワーっていうのは、
今以上に自然や土地のパワーとかを肌身で感じて、
自然の摂理の中で生きてたという、
科学文明以前の、自然を大事にした文化で、
そこをもとめたゆえに、彼は野沢温泉に行き着いた、と僕は思うんです。
温泉という太古の昔から自然に湧いてるものに触れることによって、
縄文に触れる、
自然のパワーに触れる、
いわば自然の神様にも触れる、
というところにも行き着くんじゃないかと。
そしてそこには、
目に見えない「気」みたいなものもあるんだと思います。
自然湧出温泉には湯の良さのみならず、
掘ってポンプアップした温泉には到底出しえない
「気」のパワーみたいなものがあるのでは、と。
なぜなら、
自然湧出温泉は地球が自ら地表の生命に対して与えてくれた、
ギフト、なのですから。
非科学的な話ですけど、僕はそう信じたいですね。
「源泉掛け流し」から「自然湧出」へ
皆さん、
源泉掛け流し、から、
さらに一歩進んで、
自然湧出温泉に目を向けましょう。
そうすることで、
本物の温泉をさらに感じられるはずだと思うし、
温泉の繊細な湯の良さ、
良い湯のバイブレーションを感じられるようになるはずですから。
それは人間が忘れてきた、
自然の気のパワーを感じる力を、
取り戻す行為でもあるのではないかと思うのです。
今数多ある、自然湧出ではない温泉を否定するわけではありません。
今の日本の全温泉の7割は自然湧出ではないとのことです。
それを否定しちゃうと、数多の旅館や温泉地に対する否定、
ないしは今の日本の温泉文化の否定へとつながっていきますから。
されど、温泉を享受する僕らが
「自然湧出温泉こそ温泉の本来の姿なのだ」
という認識を持って温泉に接していくことが、重要なのではないでしょうか。
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今回の僕の持論に対しては、
かなりの反論も出てくるものと思います。
いろんなご意見、ドンドンお寄せください。
喧々諤々、
温泉というものについて論じていくことが、
ここ
「温泉道場」
なのですから。