9月21日に築地本願寺の境内に新しくオープンした雑誌ソトコトプロデュースのロハスカフェ「カフェ・ド・シンラン」。だいぶ遅くなってしまいましたが、前回の記事に引き続き「カフェ・ド・シンラン」のレポートをお送りいたします。「カフェ」というスタイルに込められた親鸞聖人の教えと築地本願寺の願いについて、本願寺職員の方にお話をうかがって参りました。
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---カフェ・ド・シンランのコピーに、「仏の教えはロハスだ」というのがありますが、「仏の教え」と「ロハス」の関係についてお教え下さい。
親鸞聖人の教えというのは「罪悪性の自覚」や「欲望は断ち切れない」ということがすごく大きな意味を持っています。「信心による救い」と「罪悪性の自覚」が表裏一体になっているんですね。
ロハスという考え方も色々な言われ方をしますが、基本的に人間の欲望を否定するのではなくて、それを受け止めて良い方にもっていこうよ、ちょっと方向変えてみようよという、人間という存在をよくを知った上での智慧だと思うんです。
そこがすごく浄土真宗が言う「悪人の自覚」ということ。そして、そのうえで自分の欲望とどう折り合いをつけるかという、「たしなみの生活」に繋がってくるんだと思います。念仏の行者というのは、自分の罪悪性を自覚するゆえに救いがあるんです。それと「もったいない」ということ。自分みたいな存在が救われていくことがもったいない。そういう意味で、ロハスと親鸞聖人の教えはどこかつながっていくんじゃないかと思っていました。
この親鸞聖人の教えとロハスのつながりに関しては、このカフェをきっかけにソトコトさんに記事を載せていただけることになっています。カフェ・ド・シンランという名前から、そもそも親鸞聖人とはどんな方なのかについて取り上げることになっていて、「仏教×ロハス 親鸞聖人の教え」と題して10月5日発売のソトコト101号から4回連続で掲載していただくことになっています。
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