2009年11月 8日
講演会終了直後の愛媛県武道館の様子。5500人が集まり会場は熱気に包まれていた。

2009年11月3日(火・祝)に愛媛県武道館で開催されたダライラマ法王四国特別講演 「自分を幸せにする生き方」のTwitterでのリアルタイム中継をもとにしたまとめです。

速記録ですので、不正確・不足がある場合もございますので、その点をご承知の上でお読み下さい。

文責:松下弓月

ダライラマ法王四国特別講演 「自分を幸せにする生き方」

このような機会をいただけたこと、みなさんに御礼申し上げます。英語が話せる方はいますか? あまりいませんね(笑)今日は質問もたくさんしてください。私自身考えたことのないことことを言われると、とても勉強になります。

幸せの鍵は心

私たちは一人の人間として幸せを得たい、苦しみを除きたいと願がっているという点で、誰もがまったく同じ立場にあります。生まれてから死ぬまでずっとそう思っています。

この誰もが望んでいる幸せには、肉体と精神という二つのレベルがあります。精神的に幸せでも肉体は不健康だったり、その逆もある。みなさんもおわかりですね? 今日は体調が悪いが心は健康ということがあります。逆に心が健康でないときもある。このように幸せには精神と肉体の二つがありますが、私たちに対してどちらがより大きな影響力を持っているでしょうか? 肉体的に病にかかっても心が安らいでいれば肉体の苦しみをのりこえることができます。スポーツ選手がトレーニングするときの肉体の苦しみもメダルを取れば報われます。しかし心の苦しみは肉体を鍛錬しても克服することはできません。ですから、肉体よりも精神の方が私たちにより大きな影響力を持っていると言えます。

豊かな国では肉体的な充足を得られますが、貧しい国ではそうでありません。そういう国では物質的な発展をすることは大切です。しかし日本などの近大国家では物質的な充足は得られても、精神的な問題を抱えている人が多かったりします。最近の社会では若者が心の苦しみをかかえ暴力に走ったり鬱になったりしています。アメリカなどではドラッグに手を出したりしているのです。物質的な苦しみと同時に精神的な苦しみも取り除く努力が必要です。

精神的な苦しみをどう取り除くか。肉体的な充足では解決できません。スーパーで心の平和が売っていますか? スーパーでそんなことを尋ねても笑われるだけです。病院でそんな注射を頼んでも一時的に楽になるクスリしかもらえないのです。中国の湾岸地帯では経済が発展し肉体的な充足が得られるようになりましたが、心のなかではなにか欠けたものを抱えているのです。

問題の原因は利他の心と幅広い視野の欠如

私たちの時代には様々な問題が次々と起こっています。20世紀には多くの戦争が起こり広島・長崎には原爆も落ちました。これはすべて人間が作り出した問題です。誰一人として問題を起こそうなどと考えてはいないのにこれほどの問題が起きてしまったのです。こうした問題は自分さえ良ければいいという感情が大きくなることで発生します。暴力が起きるのもそうした状況を作り出した人間の心が原因です。これを解決するには人間の心のあり方を変えなければなりません。個人でも家庭でも国家でも、自分のことばかりを考えて他人のことには無関心になると、今私たちが抱えているような問題が起こることになります。18、9世紀には自分のことだけを考えていても大丈夫だったかもしれませんが、今はすべての国がつながりあい関連性を持つ時代です。世界は共通の問題を抱えており、誰もが世界全体の利益を考えなければならない時代なのです。

人間が作り出した問題の原因は教育でテクノロジーでもありません。他の人を思いやる利他の心、全体を見渡す視点の欠如が原因です。インド前首相のアブドカラム(該当者不明)は世界の問題は自我意識から生まれていると述べています。心に必要なのは、社会全体を捉えそのためを考えることです。世界には60億人がいて、私たちはその一人でしかありませんが、世界すべての人への責任があります。普遍的な責任感を持つことが重要なのです。

もう一つ重要なのは全体的・包括的な視点を持つことです。広い視野で様々な角度からお互いが深い関連性を持つことを認識し、いま私たちが抱える問題の解決法を探さなくてはなりません。一つのことが起きることにも様々な条件が関わっています。一つの直接的な原因を見つけるだけでなく、そこに関わっている様々な原因を見出さなければ問題解決は不可能なのです。

怒りが認識をゆがめる

これらには慈悲の心が深く関係しています。自分以外のすべてのものを慈しみ役に立ちたいという気持ちです。自分のことだけを考えていてはこの慈悲の心は生まれてきません。広い視野を得るにも、心に偏見がなく正直であることが欠かせません。怒りや偏見の満ちた心では物事をあるがままに正しく見ることはできないからです。

アメリカの精神学者の研究で、なにかに怒りを持っているときにはその対象を非常に醜いものと見てしまっていることがわかりました。怒った時に感じている醜さの90%は、怒りの心によって歪められ誇張されたものだったのです。これはナーガールジュナが言っていることととまったく同じです。煩悩に影響されているときには、現実をあるがままには見られないのです。

だから愛や思いやりで心を満たし穏やかな心を維持しなければなりません。怒りや恐怖に満ちた心では穏やかな心を保てないのです。智慧の力によって穏やかな心の重要性を認識しなければなりません。みなさんも怒った経験があるでしょう。私もときどきカッとなります(笑)。その時は対象物をほんとうに嫌なものと感じますが、気持ちが落ち着けばそうでもなくなります。心はこれほど物事を誇張させてしまうのです。怒りを爆発させたときにも、違ったときには相手がよく見えたりするものです。状況が違えば良いものと感じたり、悪いものと感じたりするのです。心の反映に過ぎないのですね。広い視野に立って同じものを見れば、怒っていたこともたいした事でないと気づく事ができます。

広い視野に立つ事は健康面でも大切なことです。医者が言うには、病気を防ぐにも病からの回復にも心の平和は重要です。私が去年胆石の手術をしたときのことです。胆石が普通の三倍くらいの大きさでとても大変な手術になり、普通は15〜20分で終わるのに私は3時間もかかってしまいました。しかし回復は普通よりもずっと早かったんです。そのことに驚いた医者は免疫が素晴らしいと言いました。私は普段からゆったりとリラックスして過ごすようにしています。それがいい事なんでしょう。手術のあとで行ったヨーロッパで私に超能力やヒーリングーパワーがあると思っている人に出会いました。もし本当に私にそんな力があるなら、手術をする必要もなかったのではないでしょうか。そんなものがないことが科学的に証明されたのです(笑)。

愛と思いやりが心を平和にする

心が愛と思いやりに満ちていれば、人の役に立ちたいという利他の心がわき、人を騙そうとか考えなくなります。その時には不安もありません。しかし恐怖や不安に満ちていたりすればそうはならないのです。本当の友人を作るのに重要なのは相手を騙したりしない思いやりの心です。お金や知識ではありません。動物に好かれるのも心からの愛情があるときです。お金なんて関係ありませんからね。女性は外面的な美しさを大切にしますが、本当に大切なのは心の美しさです。とてもたくさんのお金や時間を美容に使いますがこれからは内なる美しさを追及してください。お金もかかりませんよ。奥さんが化粧品にお金をたくさん使ったら旦那さんは文句を言いたくなりますからね。

人間は社会的な生き物です。人とつながって生きるのです。愛は良いものを引きつけ、怒りは嫌なものを遠ざけます。だから宗教的な側面でなく世俗的な側面でも愛と思いやりは大切です。宗教関係者は愛と思いやりを宗教で養うべきと考えますがそうではありません。宗教だけに基づけば一部の人だけのものになってしまうからです。

私は8〜9歳のころラサでオウムを飼っていました。世話係をしていた若い職員がすごくかわいがってクルミをあげたのでとても懐き、見かけると遠くからでも喜んで飛んできました。自分も真似してやってみたのですがどうしてもオウムは懐かず、私は怒ってクルミを投げつけてしまいました。若い職員は純粋に可愛がる気持ちで接していたのに、私は好かれようとしていました。だから結局懐かれなかったのです。愛は本当の友人を得るには欠かせません。家庭でも同じです。愛があれば家庭全体が幸せになりますが、そうでなければいくら裕福でも疑惑ばかりが産まれてしまいます。友人に対するときには愛を持って接しなければいけません。これは宗教を持つ人だけがすれば良いことではありません。

愛情を高める三つの方法

愛情を高めるには、三つ方法があります。1、神を信じる人は神の本質は愛と考えます。これはクリスチャンの考えです。本当の愛を持つ神様を信じることで、自分の愛も高めようとするのです。2、神を信じず因果の法則を信じる人。物事には原因と結果があると考える人です。良いことをしたら良い結果が得られ、悪い行いをすれば苦しみが返ってくると信じているから、他の人に害を与えるのが誤りで良いことをしなければと考えるのです。3、世俗的な倫理観に基づき愛を行う方法です。これはいまの世界には欠かせない方法です。

世俗の倫理観に基づき愛を高める方法にも二つあります。一つは生物学的な母親の愛情です。生まれたばかりの子どもを慈しむ心。これはすべての生き物に共通するものですね。もう一つは論理による愛情です。幸せになりたい、成功したいと考えたら愛が必要です。母の愛は大切な相手であれば育むことができますが、嫌な相手にはそうはできません。しかし論理による愛はどのような相手にも働かせることができます。害を及ぼす相手でも無関係なものでも、相手と行為を分割することで相手にも対して愛情を持つことができるのです。

すべての人間には生物学的な愛情が備わっていますが、成長するにしたがって一人で生きていけると考えそれを減らしてしまいます。しかし小さな子どもは非常に大きな生物学的な愛情を持っています。学校に行くころになると生物学的な愛情はだんだん減ってしまうので、愛情の重要さをきちんと教育すれば生物学的な愛情の代わりに論理的な愛情を育むのですことができます。私たちは近代教育に愛情教育の重要性を組み込むことをしなければなりません。自分以外のすべての命に愛情を持ち役に立つことを願う気持ちを教える必要があります。

縁起と非暴力

最後に簡単に仏教の教えについて紹介しましょう。世界には色んな考えを持つ宗教がありますが、愛情、忍耐、足るを知ることを教えることは共通です。世界には色んな考え方・性質・思考を持つ人がいて、それに従って色んな宗教が必要になります。 仏教の教えの真髄は哲学的には縁起であり、実践的には非暴力です。相手に愛情があれば暴力を振るいませんが、怒りを持つ場合は違います。非暴力とは外面的なものだけではなく、そのような心を持つということです。私たちの誰もが幸せを望み苦しみを避けています。私たちは社会の一員であり一人で生きているわけではありません。縁起をもとにこの社会で生きることを考えるならば、そこにあるのは非暴力という生き方です。

これで以上です。よく考えて役に立つと思ったら深く考えて自分でも実践してください。そうでないと思ったら忘れていただいて構いません。

質疑応答

Q: 幸せには肉体、精神学者が両方あるとおっしゃっいましたが、一言で言うとどういうことでしょうか?

猊下: 単純に考えても私たちには肉体と精神がありますね。また感覚にも肉体と精神のものがあります。心は複雑ですが、一般的には心と体と分けて考えますね。古代インドでは意識を色々分類します。あなたも今私の話を聞いていますが、それは肉体のレベルのものです。五感を塞いでみると、そこには意識だけが浮かんでいるように感じるでしょう。誰もが「私」という意識を持っていますが、これは心から生じるものです。精神と肉体二つのレベルがあって、肉体を鍛えればできるようになることがあるように、精神も鍛えればできるようになることがあるのです。

Q: 出会いについて。心と心の出会いがあれば、体と体の出会いがある。法王は出会いをどう考えますか?

猊下: 出会いにも肉体と心二つがある。どちらが良いというわけではない。言葉による出会いもありますね。一般的に出会いとは人が集まること。愛情があれば幸せなものになるが、怒りがあったらそうではない。

Q: チベット死者の書はチベット仏教と同じものですか?

猊下: 一般的には中有は顕教にも密教にもある。中有での実践をどう修行するかについては、ニンマ派の教典に色々出ていますよ。

Q: 人の幸せについて。幸せは比較にあるとみんな勘違いしている。煩悩を振り払って絶対的な幸せを求めるべきではないでしょうか?

猊下: 幸せは相対的です。幸せもどん要素に基づくかが重要。私は普段「心の中にある満足感」という意味で幸せについて話しています。酷い苦しみのときも、もっと苦しかったときのことを考えればこのくらいで良かったと思うでしょう。病気でも命にかかわるものと、そうでないものがあります。たいした事がなければ、それですんでよかったと思うでしょう。

Q: 愛の溢れた人間になるのはどうしたらいいでしょうか?

猊下: 習慣によってそういう状態に心を馴らしなさい。恐怖や不安があったらできませんから、そういうときは原因を分析しなさい。克服できないことの場合は、過剰に心配しても意味はありません。心配しすぎるのはやめましょう。

Q: お会いできて夢のような気持ちです。先日会う予定だった人がその直前に亡くなってしまった。ずっと悲しんでいる。どう乗り越えたらいいでしょうか?

猊下: 仏教徒としては四つ方法がある。さきほどの比較の方法が一つ。また、対策があるか考えてみること、因果について考えること、四聖諦について考えることです。煩悩にまみれて暮らし行いをした結果として、私たちは輪廻のなかに生まれている。輪廻のなかにある限りは苦しみとともにあるのです。幸せになったときにはそれをすべての命あるものに振り分けること。また苦しいときにはすべての生き物の苦しみを背負っているのだと考えることことです。

Q: 論理による愛を役に立つとおっしゃってられたが、普通は打算的に感じてしまう。どういう意味かもう少し説明してください。

猊下: 一つには利他の心を起こすことで、自分の心がリラックスします。自分の心を大切にしなければ人の役に立つこともできないのです。ただ自分のことだけを考えることは間違いだと言っているのです。自分の心を大切にするという意味で利己主義が必要だが、それにも智慧を備えたものと愚かなものがあるのです。

Q: 私は教育者です。子どもは愛情を欲していてそれを与えたいが、この便利な国で私たち教師も自分の心をすり減らしながら生きている。心の平穏をどう得たらいいでしょうか?

猊下: 愛は単なる言葉ではなく、教育であれば子どもの生涯を背負おうというものであるべきです。授業では愛情をもったらどうなるかなど具体的に示して教えることができます。それに馴染むにつれて子どもの心にも愛情が育ってきます。家庭では親の立場から、学校では具体的な体験を通して教育すれば愛情をはぐくめます。徐々にカリキュラムにも愛情教育を取り入れられたらいいと思います。

Q: 子どもが小さいころ病を得て、大人になってからも仕事につけず恋人にも離れられてしまった。そういうときにどういう心でいればいいか。家族はどう接したらいいか?

猊下: あなたの話を聞いてほんとうに悲しい気持ちになった。世界には同じ状況の人がいる。輪廻の世界を生きることは悲しみに満ちているのだという事実をよく考えれば、苦しみもやわらぐ和らぐのではないでしょうか? 世界にも同じように苦しむ人がいて、私もまた苦しいのです。いま直面する苦しみはどうしようもありません。シャンティデーバの言葉にあるように、どうにもならないことを考えても意味のないことです。だから他のことを考えてみてははどうでしょうか? 私がここでなにかアドバイスするよりも、ご自身で考えられたほうが良いと思います。

Q: 不正義への怒り、破壊への怒りをどう愛情に転換したらいいでしょうか?

猊下: 怒りを愛に変えることはできません。肉体的なレベルでは免疫が力を持っていればウイルスに対向できますが弱っていてはそうはできません。心も同じです。瞑想などで心の基本的な精神力を高め安定させられます。精神が弱いとすぐに悲劇から怒りが起こってしまいます。しかし、心を強めればそこまでひどい事にはならずにすむようになります。

Q: 先日チベットに行った。法王は毎日瞑想されるそうだが、旅行中でもしているのですか? 何を考えているのでしょうか?

猊下: 普段は3時半におきて4時間くらい瞑想します。時々眠いときもありますが。感情的なレベルで変化を起こすためにしています。考え方、認識での変化です。それはとても時間がかかることで、何年もかけてやっと小さな変化が起こります。しかし小さくてもとても良い変化が起こります。だから続けること。継続することが大切です。

Q: 母の愛情について書かれた本で、お母さまの焼いてくださったパンについて書かれていました。今でもその味を思い出しますか?

猊下: 時々思い出します(笑)。

Q: 空をみてよく考えています。チベット問答に空とは永遠かというものがあるらしいが、どう思うか?

猊下: それは哲学的すぎる質問です(笑)。今日はこれで終わります。ありがとうございました。

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