2007年4月 3日

あまり…、というかまったく仏教とは関係ないのですが、面白かったのでご紹介します。

「村上春樹風に語るスレジェネレーター」

何でも好きな単語を入力すれば村上春樹風に語ってくれるというので、さっそく「お坊さん」について語ってもらいました。

「完璧なお坊さんなどといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」


「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人ってお坊さんのこと考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはお坊さんのことを考えながらやっているんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」


六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はお坊さんのことを考えていた。


「お坊さん?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくお坊さんよ。完璧に。二〇〇パーセント」


そして今日でもなお、日本人のお坊さんに対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見てお坊さんが生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
お坊さんは国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがお坊さんだ。


僕はなんだか自分がお坊さんにでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。


ウェイトレスがやってきて、僕の前にコーヒーカップを置き、そこにコーヒーを注ぎ、まるでお坊さんを他人に押し付けるみたいにそっと、伝票差しに差して去っていった。


彼女は小馬鹿にしたような顔つきで我々を見た。
雨上がりの舗道に落ちているお坊さんでも眺めるような目つきだった。


その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことにお坊さんほどではない。


泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。


 僕は・お坊さんが・好きだ。


あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。


全文はこちらの「村上春樹風にお坊さんについて語るスレ」にて。

あれ、なんだかあまり笑えないような…?

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