2008年11月23日

ダライ・ラマ14世が、政治的役割から引退を希望されている、とのニュースを目にしました。73歳という年齢も、その判断の一因となっているようです。世界的な宗教的カリスマが政治的にも亡命政府のトップとして人々を引っ張ってきたということは、大変なことだったと思います。実際、政治のために世界各地を飛び回る日々は体力的にもそうとうヘビーなものだったのではないでしょうか。政治の仕事からは離れても、宗教的指導者として、長生きをしてさらにご活躍いただきたいです。

オリンピックもサミットも終わり、チベットに関連するニュースはテレビや新聞などからほとんど消えてしまいました。知るべきことというのは、自分から知ろうとしなければ、いくらテレビや新聞を見ていても知らないままに終わってしまいます。人が主体的に動かなくても受動的に見ているだけで「自分は人並みに情報を得ている」と勘違いさせてしまう点で、マスメディアというのは「無いよりはあったほうがいいもの」と必ずしも言えないと思います。(松本圭介)

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.higan.net/apps/mt-tb.cgi/2693

コメント (4)

坂本州栄:

コンテンツに対する感想ではないですが、私はことばが先に浮かぶタイプのようで十代前半に「被害者の論理」という言葉が浮かびました。そしてある時期以降は「型式倫理」という言葉が私から離れませんでした。
「型式倫理」というのはもちろん形で「それは良いこと、悪いこと」と決めて行く倫理のありようです。
私はこれは間違っていると思い、憎くもあったのですが、それ以上の認識の深まりが私の中で生まれませんでした。そしてやっと今年の秋になって小さいけれども、輝いている倫理を発見しました。ある意味私は自由になったと言えるのでしょう。
「被害者の論理」という言葉は四十四歳の今年の夏に、この言葉が何を意味しているのかが分かりました。女性学者の田島陽子さんと政治評論家の三宅先生がテレビで言い争っていたのです。
田島先生は「自分は女性、つまり被害者だ。男性は加害者。自分は被害者なんだから何でもあり」という言動を取られていました。
三宅先生は死刑廃止論者の方の論理も援用して「あんたら人殺しをつかまえて被害者(かわいそうな人)だから勘弁してやれというが、その論理を使えば殺された方も遺族の方も被害者なんだから何でもありのはずだ」という論理展開で仇討を復活させるべきだとおっしゃっていたのです。
そのことを考えてしまった私には精神的危機が訪れました。
何故なら私は精神障害者だからです。私はある種の洞察で自分が病む道を選んだと思っていたのです。つまり私は被害者であり、加害者なのです。
その後考えがまとまり「普通に暮らしていて被害をこうむらないことはないし、自分以外の存在に加害を加えないこともない。つまり純粋被害者も純粋加害者も存在しない。だから被害者の論理は無効だ」という結論に達しました。
今の日本では「被害者の論理」と「型式倫理」があふれかえっています。
この二つの言葉を重ねるとニーチェの言う「奴隷道徳」と重なると私には思えるのですが、圭介さんはいかがお考えになりますか。

坂本州栄:

誉める人、貶す人、好きな人、嫌いな人がいる方ですが(こういう時のために毀誉褒貶とう四文字熟語はある訳ですが)久米宏さんがニュース・ステーションの司会をしながら「やっぱり、記者クラブには問題があるな」と思っていらしたそうです。
優秀な資質を持っているほど記者クラブに入る訳ですが、記者クラブに入ればニュースソースは基本的に同じになってしまいます。そして記者クラブ発のニュースがたいていの場合トップニュースになります。
そして、いわゆるマスメディアはプラスの競争ではなくて、記者クラブ発のニュースを取りこぼさないというマイナスの競争から、なかなか逃げられないというのが現状のようです。
週刊誌はいわゆる記者クラブとは関係ないと思うので、期待も大きいのですが、素晴らしい記事とともに小学生レベルの悪口も書いてあり読む気が失せます。
プラスの競争にするための打開策が浮かぶわけではないのですが、テレビだけに関して言えば民間放送の有料化が妥当だと思っています。NHKは完全全国ネットが前提の放送局ですから、「全体ワンパッケージいくら」になる訳ですが、民間放送の場合は個別の番組の独立採算が望ましいと思っています。そして「お代は観てのお帰り」です。
今日の番組は面白かった100円。
今日の番組は寄付したいくらい面白かった400円。
今日の番組はつまらなかった。だからお金は払わない。
今日も番組は異常につまらなかった。嫌味で10円。
という風にするのです。
民間放送ですから広告はのせますが、「スポンサーからのお知らせ」ではありません。ただの広告です。
ですから広告を載せたい人に頭を下げさせたうえでお金を取ります。
面白い番組であれば一つの番組だけで大儲けすることが出来ますし、何よりもテレビにかかわる人たちの「意識」が変わると思うのです。
料金回収システムはNTTのダイヤルQ2を使えばいいのです。
インターネットに押されテレビは後退し始めていますが、民間放送を「お代は観てのお帰り」にすれば、盛り返すと思っています。
報道を娯楽にしてはいけないのでしょうが、「寄付したくなるくらいの報道をしよう」という意識が芽生えれば、報道がプラスの競争に転ずるかもしれません。

松本:

> 坂本さん
おっしゃる通り、テレビの番組毎に課金するのも、ひとつの手ですね。
そうして、主要局だけではなく番組毎に中小の制作者が参入できるようにすれば、適正な競争がなされるような気もします。

松本:

> 坂本さん
自分自身のことを考えてみると、人間は純粋被害者でもないし純粋加害者でもないというのは、確かにそうかと思います。
仏教的に考えれば、あらゆるものはつながっており、いかなる人間も常にある意味では加害者であり被害者でもあるといえるでしょう。虫も微生物も、何ものをも殺さずに生きるということはできません。
何かひとつの出来事に関していえば、加害者側であろうと被害者側であろうと、双方の立場に思いを巡らせて、どのようにしたら根本的に今より平安な結果をもたらすことができるのか、できるだけ感情にとらわれず冷静に建設的に見つめていくことが大切であるように思われます。
田嶋先生と三宅先生の論争に関していえば、お二人の仰る内容以前の問題として、双方ともに冷静に丁寧になるべきだということも、言えそうです。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)


彼岸寺周辺で起こっているさまざまな出来事を、彼岸寺の僧侶たちが輪番としてみなさんにご紹介します。
松本 紹圭(まつもと しょうけい)
神谷町光明寺、衆徒。浄土真宗本願寺派布教使。1979年、北海道生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。光明寺仏教青年会代表として、お寺の音楽会「誰そ彼」や、お寺カフェ「神谷町オープンテラス」を企画し、2008年には財団法人全国青少年教化協議会より第32回正力松太郎賞青年奨励賞受賞。 現在、超宗派仏教徒によるインターネット寺院「彼岸寺」の運営に携わる。著書に『おぼうさん、はじめました。』(ダイヤモンド社/2005年12月刊行)。
松下弓月(まつした ゆづき)
福生山宝善院 副住職。1980年生まれ。国際基督教大学(ICU)教養学部人文科学科卒業(学士)、青山学院大学大学院英米文学専攻卒業(修士)。東寺伝法学院にて加行・濯頂。
青江 覚峰(あおえ かくほう)
浄土真宗東本願寺派緑泉寺 副住職。1977年東京生まれ。カリフォルニア州立大学よりMBA取得。超宗派の僧侶達が集うウェブサイト「彼岸寺」を運営。料理僧として料理、食育に取り組む。お寺発のブラインドレストラン「暗闇ごはん」を主催。