おなじみ、『江戸のお寺 浮世草子』の「九章八話 御師の業務」が更新となっています。江戸時代に隆盛を誇った大山講。その篤い信仰を支えたのは、御師(おし)と呼ばれる人々の地道な営業努力、だったようです。
毎年大山のあたりにある八菅神社(はすげじんじゃ)というところで、火渡護摩を修行しています。山伏の装束を身にまとい、山の中腹に設けられた祭壇で護摩を焚き、その火を裸足でわたるものです。参拝者の方々も火渡に参加することができ、毎年千人以上の方が訪れています。
いまではお坊さんでも、お寺と神社は相容れないもの、という感覚が当たり前のようですが、明治の初めまでお寺と神社とは表裏一体のものでした。僧侶が神主を勤めたり、ご神体に仏像を祀っていたりしたものです。あの有名な鎌倉の鶴岡八幡宮も、その昔は「鎌倉八幡宮”寺”」と呼ばれる、立派なお寺でした。
江戸の人々の篤い信仰心の背景には、日本人の心の奥底からわき上がってくる自然な崇敬の心があるような気がします。「ここは○○だから」とか「わたしたちは××だから」とか、理性や論理の整合性ばかりにこだわる社会からは、それは産まれてこないと思うのです。