うちには2歳になる娘がいます。最近お気に入りなのが、寝室で娘が妻と遊んでいると思うと、ととと・・・と私のほうに歩いてきて「だっこ!ママのところいく!」と言うのです。たった今までママのところにいたんだから、何でわざわざと思うのは大人の理屈。きっと大人にはわからない大きな理由があるのでしょう。
先日、読売新聞に小池龍之介さんの記事が載っていました。小池さんは新進気鋭の仏教作家として注目されている方で、彼の処女作である「『自分』から自由になる沈黙入門」は、すでに10万部を超す売り上げを記録しています。本の中で小池さんは、「飄々体」と名付けた古文に似せた読みにくい文体を使ったといいます。すらすらと読みやすい文章が蔓延する現代の出版物の中で、あえて「読みづらい」本を書くことは、同じ情報量を伝えるにも多分な無駄を含むことになる。無駄があるからこそ、読んでいる途中で立ち止まって文章を自分の中で咀嚼する余裕が生まれる。無駄の多い文体は小池さんなりの仏教的な生き方の提案だと記事にはまとめられていました。
普段、できるだけ無駄を省いて最小の労力で物事を終えようと考えがちな僕に、この二つの出来事はいったん立ち止まって考える時間を思い出させてくれました。