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親しくしている長野のお寺の人たちが上京してきたので、昨日は皆で鍋を囲みました。寒い夜はやっぱり鍋に限りますね。温まるし、お腹いっぱいになるし、経済的だし、準備と片付けも楽だし、言うことなしです。
自分のところと違う地方のお寺の人と話をすると、地域によってお寺を取り巻く雰囲気や文化がこんなに違うのかと思い知らされ、とても勉強になります。お寺に関して封建的な地域性がずいぶんと強いところでは、昔ながらの寺格の上下によって今でもお寺同士が差別をしあっているようなところもあるようです。お坊さんが率先して人を差別するなんて、何のためのお坊さんなんだか分かりませんね。
お寺はやっぱり、仏様の前に出ればどんな人でも肩書き関係なく丸裸で付き合いができる場所だから、いいんですよね。お寺には、誰でも分け隔てなく受け入れる、広い心が似合います。
この彼岸寺というのは一体どのように運営されているんだろうと不思議に思われている方もいらっしゃるかもしれません。確かに、運営スタッフのプロフィールのページとかがありませんので分かりにくいかもしれませんが、お坊さんやお寺を取り巻く若いスタッフ数名で、この彼岸寺は運営されています。
特別どこかに事務所があるというわけではありませんが、スタッフ同士は電話やメーリングリストなどで連絡を取り合いながら、ときどきは集まって会議を開催して方向性などを確認しあいながら、最近は割とちゃんとしたかたちで運営されるようになってきたなぁと実感します。会議の後は、一緒に食事をしたりしてよい距離感を保っています。
今も水面下では、いろいろな新しい企画を練ったりしています。公開するときまでのお楽しみですが、さらに有意義なサイトにしていけるよう頑張りたいです。
「仏像ア・ラ・モード」更新です。お寺の人だか何だか分からない人に料金を徴収されたみたいですが、確かにお寺のスタッフって制服が決まっていないところが多いから、誰が誰だか分からないことが多いんですよね。お坊さんだと思って質問したら、単なる観光客のお坊さんだったりするし。
そういえば観光でお寺に行くと、よほど収入源を拝観料に頼っているお寺は別として、「ふつうにお寺をやっているだけで成り立っているけど、地元のちょっとした名物になっているのでついでに拝観料ももらっています」という程度のお寺って、拝観チケット売り場に人がいなかったり、いくつかある入り口の一箇所にしかチケット確認ゲートを設けていなくて別ルートからはタダで入れてしまったり、けっこういい加減なところありますよね。観光客としてはお寺はそれくらいのスタンスでいてくれたほうが、なんかがっついてなくていいような気がしますけどね。
今日は料理僧KAKUさんの企画「暗闇ごはん」の日。私は煌煌のついた明るい事務所で仕事をしているので暗闇ごはんには参加できないのですが、同じ時間に真っ暗闇の中でごはんを食べている人たちがいると思うと、なんだか面白いですね。
しかし東京に住んでいるとほんとうの暗闇に出会うことがまったくないので、多くの人は急に真っ暗な状態になると恐怖を感じるように身体が変わってしまっているのではないでしょうか。電気があることが当たり前になりすぎていて、もしも大災害が起こったときには対応できないくらいひ弱になっているような気がします。
便利に暮らすために生きているわけじゃないと分かっていても、便利さを手放すことができない。でも、暮らしはより便利にシンプルになっていくのだけど、人生は逆に複雑さを増し重さを増していくばかり、、、人間って難しいものですね。
「江戸のお寺、浮世草子」更新です。現在は「講」シリーズが続いていますが、やはり歴史を辿ってみることは今のお寺の運営のためにも大変勉強になりますね。よく、観光などで各地のお寺をめぐると、柱の部分に「○○講」とか書かれていることがあると思いますが、あれは主に檀家ではないけれどもお寺のファンであるという人たちの集まりのことです。愛されるお寺作りが、いつの時代も求められているのですね。
ところで最近の江戸ブームにより、著者の安藤さんは執筆以外の活動も増えてきたそうで、テレビ朝日の「ガリベン!」という番組ではテーマ「大奥」の回の監修もされたとか。江戸専門家と歩く浅草ツアーなども大変な人気だそうで、さすが400年もの歴史を持つ江戸・東京の街の奥深さを感じますね。
一年を二十四に区分すると1月20日前後は「大寒」で、一年で寒さが一番厳しい時期ということになっています。この「大寒」という文字、見るからに寒そうですよね。 では、この次は何かといえば、2月4日前後に「立春」が来ます。「大寒」から2週間くらいではまだまだ寒さが厳しいはずですが、それでも季節の名前に「春」という文字が見え始めるだけで、なんとなく暖かいような気持ちがしてくるのは面白いものですね。
さて、今週は少し遅れてしまいましたが、「そもさん、せっぱ」の更新です。受験シーズンの皆さんは、最後は神頼みということでお寺や神社へお参りに行くものなのでしょうか。神社で絵馬に書かれたメッセージなど見ると、切実なものからちゃっかり屋さんのものまでいろんなパターンがあって面白いですよね。泣いても笑っても、最後は自分の力を信じて、頑張れ受験生!
ここのところ東京はかなり冷え込んでいますが、この寒さは全国的なもののようですね。私の実家の北海道でも最高気温がマイナス5度とか、例年よりも寒い日が続いているようです。でも、寒いからといってたくさん雪が降るというわけでもなく、札幌では雪祭りに展示する雪像のための雪が例年通り不足していて、あちこちからかき集めているのだそうです。やはり世界的な環境の変化が、いよいよ日常生活にも本格的に影響しはじめているのでしょうね。 日本は少子化のことが問題にされていますが、相変わらず世界規模では人口は増え続けています。もう、65億は超えたのでしょうけれども、正確な数は誰にも分からないのではないかと思います。このまま人口が増え続け、みんなの消費レベルが上がっていったら、これは立ち行かなくなるのは目に見えています。近い将来、今のような暮らしを見直さねばならない時期が必ず来るのでしょうね。来るべき日に備えて、できる限り省エネな暮らしに慣れておいたほうがいいかもしれないと思うこの頃です。
世の中にはいろんな人生があるものです。最近とあるお坊さんのもとをお訪ねしたのですが、その方の歩んで来られた人生がとっても面白かったので、ちょっとご紹介。
お経の中でも翻訳の少ない論蔵を読みたいと思って13歳でチベット語を独学で学びはじめ、気付けばアメリカのTV企画の雪男探検隊の一員に。その様を諭し、研究のチームに誘ってくれた考古学の権威の教授を慕ってフランスの大学へ学ぶことを決意し、飛行機で渡仏する際に経由したインドにてカルカッタ北部に住む博学のチベット僧を訪ねたところ、何の間違いか自分が僧院に入る話になっており、行きがかり上チベットの僧侶として修行生活が始まってしまった。。。
これでもかなり話を省略していますし、続きの話も面白いのですが(この後、この方は医者になってしまいます)、しかしいろんな人生があるものです。「気が付いたら」とか「行きがかり上」とか、それをポジティブに捉えて何事にも一生懸命取り組む姿勢に頭が下がりました。
体調があまりよくないせいもあるのですが、お正月が明けてから、なんだか気持ちがピリっとしません。ゴールデンウィーク明けや夏休み明けなどにも「〜休みボケ」ということがよく言われますが、なぜそのようなことが起こるのか。
「仕事」は給料をもらってメシを食べるために切り売りした時間、「休み」は仕事から解放されて好きなことをする時間、というふうに「仕事」と「休み」はまったく別ものであると捉えるならば、あまり長く「休み」が続き過ぎると「仕事」モードに順応できない身体になってしまう、ということから「休みボケ」が起こるのでしょう。 あるいは、「仕事」でも「休み」でも好きなことをしていたいと考える人が「休みボケ」になる場合は、「休み」の間に受けた刺激によってかたち作られる自分の興味方向が現在の「仕事」と噛み合なくなってしまったということも考えられます。
とまぁ、こんなことをあれこれ考えている時点で、十分に「休みボケ」ですね。
さてこんな私は置いておいて、元気な料理僧KAKUさんの「暗やミール」が充電期間を経て「暗闇ごはん」として再開するようです。今回もきっと楽しくためになる企画として話題を呼ぶことと思います。皆さんぜひチェックしてみてください。
松本です。年末年始にお暇を戴いておりましたが、やっと復帰しました。その間はKAKUさんが毎日欠かさず書いていてくれて、頭が下がります。私が書くよりもいいんじゃないか?という声も聞こえてきます。 この日日是好日も糸井さんの「ほぼ日」のように毎日書き続けることができればと思ってやっていますが、毎日欠かさず続けるということは想像以上に大変だということを、自分でやってみて実感しますね。なおさらのこと、糸井さんや、築地本願寺輪番さんは、すごいなぁと思います。
さて、今年の干支はネズミということですが、テレビでは渋谷の生ゴミに大量発生しているネズミを駆除する番組をやっていました。一方で、期限切れ前に大量廃棄される食品を活かすフードバンクの取組みを取り上げる番組も見ました。いのちの循環がうまく行っていない社会の仕組みを直していく取組みはとても大切なものだと思います。ちょっと見方を変えれば、ゴミも生きてきます。
日本の昔の社会では、人間の大便も肥料として売買されていましたし、今でもインドなどでは牛の大便を乾燥させて燃料として活用したりもしています。なぜ大便の話になったのかよく分かりませんが、みなさん今年もよろしくお願いします。
→「江戸のお寺 浮世草子」更新です!
「お寺に嫁ぐということ」がアップされました。今回は着物についてです。 一般的なイメージなのか、お寺の奥さん=着物が一人で着られるというのがあるようです。 確かに僕の母も祖母も、伯母に至るまで一人できっちりと着物を着ることができるので、これはあながちイメージだけではないのかもしれません。 それにしても不思議なのが、着物にしろ、帯にしろ箪笥にしまっているときは真四角の布に見えるのにどうして着付けが終わるとあんなにも立体的に出来上がるのでしょうか。本当に昔の日本人の叡知を感じさせられます。
さて、松本に代わってこの「日々是好日」を書くのも今日が最後となりました。明日からは通常通り松本が更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
現在京都の本願寺(西本願寺)では御正忌報恩講が行われている。これは浄土真宗の年中行事の中で最も大切にされるもので、知り合いのお坊さんも何人か京都に行っております。 さて、先ほど本願寺のサイトを見てみると、この報恩講の中継をストリーミングしているのですね。 一見、お寺の法要をPCで流しても誰が見るんだろうと思いますが、実は年配の方から「寒い時期に出歩くのは大変だから、テレビで中継でもしてくれないかねぇ」などといわれることがあります。 こういう流れはどんどん主流になるかもしれませんね。
松下電器が社名をパナソニックに統一するというニュースを見ました。長年なれた松下の名前が消えてしまうことにさみしさを感じますが、社名ブランドは企業の重要なポジションですので、仕方がない気もします。
さてこの松下電器の名前は僕たち江戸っ子(浅草っ子)にとってもとても縁の深い名前でもあります。浅草を代表するランドマークの雷門は、1960年に松下幸之助さんが寄進したものです。ですのでこの提灯の下には「松下電器」と書いてあります。松下電器の社名が変更されるということは、浅草っ子としては雷門の今後のことを考えずにはいられません。
そもさん、せっぱ。の記事が更新されました。今回は東京の「大きなお寺」についてです。 大きなお寺、というか有名なお寺ですね。このあたりのことは江戸のお寺御伽草子で安藤さんが詳しく書いてあります。 そう思うと、本山級のお寺として有名なお寺以外の有名なお寺というのはすでに江戸時代に出来上がっていたものなんですね。明治や大正、昭和といった時代に有名になったお寺はすぐに出てこないのですが、どんなところがあるのでしょうか。
僕にとって築地は買出しに行くだけでなく、一日を過ごすための元気をもらう町でもあります。朝早い時間から元気に走り回る河岸の活気の中に身を置くと体の芯からやる気と元気がわき起こります。 普段は週に3度は足を運ぶ築地ですが、今年は予定が立て込み、まだ築地に出かけられておりません。
ようやっと今日は時間が空くので、いつもよりも少し早起きをして築地に出かける用意をしました。出がけに天気予報と築地ニュースをチェックしたところ、今日は休市日で河岸はお休みとのこと。がっかりしながらいつもよりも長い朝の時間をもてあそんでおります。
浅草の町を歩くとつくづく変わった町だと思う。
一般的には繁華街といわれる街なのによる10時を回ると途端に人が出なくなってしまい、閑散としてしまいます。それではもううらぶれた繁華街なのかといわれるとそうでもありません。 昨日は5時前に晩御飯を食べに行こうと普段よくいく居酒屋に足を運んだ。がらがらと引き戸を開けると、すでに真っ赤中をした人たちでいっぱい。 「ごめん、今日は新年会だから満席~!」 と大将に言われてすごすごとほかの店を当たるが、どこの店も似た調子でした。 いくら新年会とはいえ5時前にみんな出来上がっているとは、皆さん何時から飲んでいるんだろう。
でもそんなゆるい、ほのぼのとしたことが許される下町に住んでいることが、なんだかすごく心地よく感じてしまいます。
今日1月7日は七草粥ですね。七草といえば、セリ、ナズナ、スズナ、スズシロ、ホトケノザ、ゴギョウ、ハコベラですが、僕は記憶も定かでないほどの小さい時からこの七草を暗唱していたようです。 春の七草がどんな植物なのかは知りませんでしたが、この七草を呪文のように口に出すと、どうも心地よく、癖になって口ずさんでいました。
今になって思うと、この言葉はちゃんと五・七・五+七になっているんですね。 五・七・五が俳句であることはもちろん知りませんでしたが、口にした時の心地良さは小さな子どもでも同じだったんですね。
早いものでお正月も過ぎ、明日からは普段の生活がまた始まります。 彼岸寺住職の松本はもうしばらく年始の休暇をとりますので、もうしばらくの間留守番の日々が続きます。
さて、「お寺に嫁ぐということ」がアップされました。今日もまたみちこが頓珍漢な発言をいたしました。確かにお地蔵さんに衣服を着せてあげるという話はよく聞きますし、お布施の中に衣類や手作りのレースをいただくこともあります。
でも、添い寝は!? 僕は「添い寝なんかしたら罰が当たる」とか、「添い寝なんかしたら寝返り打って仏様を壊しそう」とか考えてしまいます。
ここまで行くとお寺育ちの人間とお寺以外から嫁いだ人間の感覚の差を超えて、変わった人だなぁ。と感じ入ってしまいます。
彼岸寺の古いコンテンツをゆっくりと見直していると古いコンテンツにも結構楽しいものがたくさんあることに気がつきます。
フラッシュコンテンツお坊さんの一日を体験の中から坐禅ゲーム「坐禅(禅)」を始めると、あっという間に30分ほど時間が経ってしまいました。 このゲームは揺れる天秤をマウスで操作し、上に乗っている球が落ちないようにするというだけの単純なものです。誰でもできる単純なことを続けることの難しさ。ということにこのゲームと坐禅の共通点があります。
他にもたくさん魅力的なコンテンツがあります。まだお正月休暇が続いている方はちょっと遊んでみてはいかがでしょうか。
普段選挙などのよほど大きなニュースがない限り、まったくテレビを見ない私たち夫婦にも弱みがある。僕は忠臣蔵などの講談にやられ、毎年12月にどこかの番組で流れる忠臣蔵は見逃すことができない。また、妻のみちこは古代エジプトやギリシャなどの歴史ロマンに弱く、こういった番組が流れる日は、普段部屋の隅でおとなしくしているだけのテレビに目を向ける。 昨晩見たのは新春超歴史ミステリー古代ローマ1000年史という番組で、久しぶりに長時間テレビに食らいついた。
ローマは多神教国家だったという。ローマの領地が拡大していく際に、ローマは戦で勝った周辺都市の住民に、自分たちと同等の権利を得ることのできる市民権を与えていた。さらに、周辺都市の民族が信仰している宗教もそのまま認め、ローマの神様として崇めていった結果、ローマは30万もの神様が暮らす多神教国家になった。 ほかの民族やほかの信仰を否定することなくそのまま受け入れる姿が高じて、ローマはどこよりも団結力の強い巨大国家となっていったという。
2000年も前のことですが、今の自分に置き換えると、とても大事なメッセージに聞こえます。彼岸寺に集う人はみな、同じ仏教徒でありながら宗派を超えてさまざまな人が集まります。そこに何よりも必要なのはやはり寛容と、ユリウス・カエサルの残した「自分の考えに忠実である」という信念だと感じます。
ちなみにこの番組は、塩野七生さんの『ローマ人の物語』を原作として制作したものだそうです。ご興味のある方はぜひご覧ください。
新年明けてからお寺はにわかににぎわってきた。お正月のお墓参りに来る方が多く見えるからだ。 お墓には普段の菊を中心とした花束とは違い、松などのお正月らしいお花があがっている。 普段あまり季節感を感じることのない墓地でもちゃんと季節ごとに違う表情を見せているのがうれしい。
さて、今週の江戸のお寺浮世草子は川崎大師の成り立ちについてです。この時期、初詣に川崎大師に行かれる方も多いのではないでしょうか。今年は去年よりも初詣に出かける人は増える見込みらしいのですが、お正月で賑うお寺は、足元に注意してお参りください。
毎年1月2日は駅伝があります。妻のみちこはこの駅伝が何よりも好きで、隙あらば箱根まで応援に行きたいとすら思っております。 とはいっても正月早々寺をあけるわけにもいかずその夢は生涯にわたって達成できないものでもあります。
僕の場合は自分の母校の文化祭が毎年秋のお彼岸の時期にあります。僕は自分の出身高校がとても好きで、できればいまだに文化祭くらいには顔を出し、お世話になった先生にあいさつに行きたいと思っていますが、それもかないません。
普段なかなかできないことなどないように感じておりますが、よく考えるとそれは無理だと思ってすでに考えることをやめてしまったものなんだと気がつきます。 今年はいろんな物事を無理と決めつけずにもう一度再考する年にしたいものです。
慈光照護のもと、彼岸寺ウェブサイトをご覧の皆様方にはご健勝にてご活躍のこととお慶び申し上げます。 旧年中は大変多くの皆様にお世話になり、無事に新年を迎えられたことに感謝申し上げます。
本年も彼岸寺一同佛祖崇敬の念を抱き日々精進してまいります。 引き続きのご高配を賜りますようよろしくお願い申し上げます。
平成二十年元旦 彼岸寺副住職 青江覚峰 拝