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先日、最近のテレビはお笑いタレントばかりでどうしてしまったのか、という話を書きましたが、もうひとつ忘れていました。占い×暴力です。 疲れて家に帰ってきてニュースを見ようと思ってテレビをつけたとき、こともあろうに細木数子さんがゲストのタレントに「地獄に堕ちる!」などと怒鳴りつけているシーンが目に入ってきたときなんかは、嫌悪感のあまりその後の食事がまずくなり、それこそ自分の不運、趣味の悪いものを見てしまった不運、そのようなものがテレビでゴールデンの時間帯に恥ずかしげもなく放映されている時代に生まれてしまった不運を、呪いたくなるというものです。 ああいう番組で高視聴率が取れているというのも不思議なのですが(皆さん観てますか?)、だとしたらもうテレビというメディアは完全に終わったのだと思ってしまうのは、私だけでしょうか。
昨日、クルマで日帰り長野へ行ってきました。往復の走行距離が500キロほどあったのでかなり道程はハードでしたが、温泉に入ってなんとか乗り切ることができました。 今回は、周囲とのいろいろなしがらみを断ち切って独立独歩で歩んでいこうと頑張っているあるお寺を訪ねていったのですが、今は立て直しの第一歩として、荒れ果てた蔵をお寺の人たちで自力で再建しています。「ここに囲炉裏を置こう」「ここにはしごをつけて、宿泊のお客さんたちの部屋を作ろう」とか、子どもが自分たちの基地を作るみたいに頑張っていて、ほんとうに楽しそうでした。 リンゴ畑に囲まれた温かいお寺。手作り感あふれる蔵の、完成が楽しみです。
12月15日、東京ボーズコレクションというのが築地本願寺で開催されます。お経ラップとダンスのコラボレーションとか、超宗派僧侶が集って世界平和を願う法要とか、いろんな催しが盛りだくさん、とのこと。最近、ずいぶんいろんな仏教イベントが出てきますね。
ここ彼岸寺関係でも、11月17・18日に久しぶりの誰そ彼が開催されます。久しぶりの誰そ彼だし、初めての2days開催でやってみようというわけです。今回は名古屋から数名のアーティストが駆けつけてくれます!
先日、アメリカ人の白人のお坊さんと話をする機会がありました。その人は、日本の天台宗に所属するお坊さんで、今はアメリカで住職をしているのですが、住職になる前は日本の田舎のお寺に住み込んでお寺の現場の仕事を学んでおられたそうで、ひとつ面白いエピソードを教えてくれました。
ある時、師匠の住職さんと一緒にお葬式にお参りに行きました。師匠は導師、彼は脇導師として横に控えています。すると、外国人には日本語が分からないと思ったのでしょう、後ろの参列者からひそひそ話が聞こえてきました。「どうして外人さんがお坊さんの格好をしているのかしら。白人の人はキリスト教でしょう?」と。その時、彼は心の中でこう突っ込みを入れたといいます。「じゃぁ、お釈迦さまはどうなるの!?」
「そもさん、せっぱ」にもありますが、インドでは滅びたとまで言われる仏教徒も、最近ではほんの少しずつ数が増えてきているそうです。佐々井秀嶺さんなど、日本人のお坊さんもインドで頑張っています。日本とインドの交流を重視しようということが言われていますが、それには仏教が大きなカギを握るような気がします。
時事ネタのコーナーで紹介されているPerfumeというユニットは初めて知りましたが、ずいぶん若い人たちがやっているんですね。 映像の中で作務衣姿のお坊さんが和室スタジオのようなところでヘッドホンをしてレコーディング作業している風景が出てきます。前から思っていたんですが、つるつる頭で作務衣姿のお坊さんって、音楽機材と妙にマッチするような気がするのは、気のせいでしょうか。 私の知り合いでもお寺の地下に書斎兼スタジオのようなスペースを拵えて音楽制作をしているお坊さんがいますが、その人も仏教とエレクトロニカの融合ということで、特に海外で受けが良いようです。考えてみれば、お経もひとつの音楽ですよね。
今日は「江戸のお寺 浮世草子」が更新です。引き続き、江戸のお寺の集客合戦の模様が伝えられております。 ところで先日、yahoo!ニュースで築地本願寺のイベントが紹介されていましたが、ここのところいろいろなお寺の新しい取組みがメディアに取り上げられており、ちょっとした仏教ブームなどとも言われているようです。 で、私もこんなウェブサイトをやっていてこんなこと言うのもなんですが、仏教はブームなんかにしてはいけません。ブームというのは盛り上がるときはいいかもしれませんが、必ず凋落するときが来ます。でも仏教は、そんなふうに付き合うものではありません。その人の一生をかけてじっくり付き合っていけるような仏教のポジションを一歩一歩踏み上げるようにして、ここ彼岸寺でも作っていきたいものです。
ちょっと油断していたら、風邪をひいてしまいました。今回はノドがやられていますが、症状が出てきたのが土日の法事勤めが終わってからだったのは、不幸中の幸いです。 さて、「お寺へ嫁ぐということ」でみちこさんの言われている「表面的なパフォーマンスではなく、自分の弱さ、ズルさをいかにごまかさずに生きられるか」ということは、私も最近よく考えます。お寺というのは、なぁなぁでやり過ごしてしまえば楽にできてしまうこともありますが、だからこそそういう中でも手を抜かず精進する真剣さが、とても求められると思います。 最近、友だちからお坊さんとして「子どもの名前を付けてくれ」と頼まれました。法名(戒名)をつけることならお寺でいつもなされていることですが、子どもの名前を考えたことは初めてです。まずは想像力を働かせて、子にかける親の願いを共有してみたいと思います。
東京もずいぶん肌寒くなってきました。寒い冬にはコタツに入って鍋をつついたりテレビを観たりするのがしっくり来ますね。 ところでここ数年ずっと感じているのですが、日本のテレビってどうかしちゃってるんじゃないでしょうかね。コメディだけでなくバラエティもドキュメンタリーも何もかも、お笑い芸人ばっかりじゃないですか?吉本が悪いというよりも、テレビ局がマスメディアとしての仕事を果たしていないと思うんです。もっと視聴者に知らせるべき情報が伝えられていないのではないでしょうか。 そんなテレビの姿勢に危惧を覚える方々の個人活動に、注目すべき情報は多いです。坂本龍一さんが訴える、青森県六ヶ所村にある核燃料再処理工場の甚大な放射能汚染の問題なども、その一つ。「知るべきことを正しく知る」ということ、大切だと思います。
チベットの指導者、ダライ・ラマ14世が米議会から最高の賞「ゴールド・メダル」を贈られました。中国からの圧力で大変な苦境にある師に世界から関心が集まるよい機会になればいいですね。日本のメディアはあまり報道しませんが、今チベットはほんとうに危機的な状況にあります。チベット僧が無惨に殺される映像などもインターネットでは公開されていますが、圧力によってマスメディアも完全に腰が引けているようです。 私はまだチベットへ行ったことがありませんが、ぜひ再び笑顔を取り戻した仏教徒であふれるチベットに、いつか行ける日が来たらと思います。
徳川幕府による天下泰平の江戸時代、将軍はどのような思想をもって民を治めていたのでしょうか。もちろん徳川家の安泰を目指していたには違いありませんが、でもおそらくそれだけではなくて、社会の繁栄と民の幸せを願っていたことも確かでしょう。 その点、現代の政治家はどうなのでしょう。政治家だって人間ですから、自らの損得を考えてしまうことは仕方ありませんが、それでもやはり民のために一本筋の通ったものを持って欲しいものだと思います。 自分の得しか考えていない政治家が力を持ったら、それは大変なことになります。国を使って、世界の枠組みを利用して金儲けをしようと考え始めるかもしれません。けっこう多くのアメリカ国民が同時多発テロ事件にブッシュ大統領が関与していたと考えているとのことですが、ほんとにそんな大統領だったら、世も末です。
みなさんの生活は朝型でしょうか、夜型でしょうか。私は放っておくとどんどん夜型になってしまうので、できるだけ朝型にするようにしています。「お坊さんなんだから、朝型が当たり前だろう」と思われるかもしれませんが、前日の夜に原稿を書いたりなどしていると、どうしても夜遅くなって、翌朝早く起きられなくなることがあります。 でも、受験勉強の時などもそうでしたが、朝の仕事や勉強ってはかどるんですよね。そして何より気持ちがすがすがしい!早起きをする日数を少しずつ増やして、やがては毎朝の早起きを習慣にしたいものですね。
最近の日本では結婚式といえばチャペルでやることが多くなっていますが、お寺でも結婚式はあげられます。日本ではお寺といえばお葬式や法事というイメージが強いですが、海外の仏教寺院などではそれに限らず人生のいろんな節目に行事を行っています。 ぼくはお坊さんの仏前結婚式に参加することが多いですが、宗派によってもいろいろ特徴があって面白く、なかなか雰囲気もよいものですよ。お付き合いのあるお寺に相談してみれば、きっとお坊さんも張り切って相談にのってくれると思います。 ちなみに築地本願寺など大きいお寺でも一般の方の結婚式を受け付けています。
「インフラ」という言葉を調べてみると、学校や病院、電気やガスや水道、鉄道や通信など、いろいろな社会基盤のことが含まれます。それらは昔から社会を安定化・発展させるのに不可欠なものとして整備されてきましたが、昔と今を比べてみると、中でも大きく発展したのは鉄道や通信などの物流と情報の分野ではないでしょうか。 昔の時代を考えてみるときに、おそらく今の人と情報を共有する感覚というのは大きく違うと思います。江戸時代にはテレビや新聞などありませんから、高札が唯一の公共情報メディアだったとか。あとは口コミによる情報伝達になりますが、そうすると都会の人と田舎の人では相当な情報格差があったものと思われます。 それを考えれば、世界中どこにいてもブログを更新できてしまう現代というのは、いい面も悪い面もありますが、革命的な変化ですね。
今日は、ここ彼岸寺でも「江戸のお寺 浮世草子」でイラストを書いてくださっている加藤円正さんの結婚式でした。もちろん仏式での挙式です。光栄にも私が司会を務めさせていただきましたが、法事とは違いお寺で結婚式をやることはそれほど多くないので、けっこう緊張しました。
最近の加藤さんは妖怪界で活躍されており、角川から出た京極夏彦氏の新刊『妖怪の理妖怪の檻 (怪BOOKS)』ではカバーや帯に加藤さんの版画が挿絵として採用されていますし、近日出版される予定の妖怪関係ムックにも、京極氏の小説に関するコラムとイラストを書かれるとのこと。楽しみですね。
出版といえば、ここ彼岸寺でも、みちこさんの人気コラム「お寺に嫁ぐということ」が来月には出版予定となっています。ブログがもととなる本ではありますが、ほぼ書き下ろしというくらい気合いを入れて書いたそうですので、ブログのファンも二度楽しめそうです。
私が編集に携わっている『ジッポウ』という本なのですが、このたびついに第3号が出ます。本願寺の仏教総合研究所が「団塊世代をターゲットとした雑誌を作ろう」と、ダイヤモンド社と協力してこれまで1号2号が出されてきたのですが、今回3号からは私が編集を指揮して作ることになり、少し趣きが変わりました。10月12日の発行ですが、すでに私の手元には見本が届いてきております。がんばって作ったものが完成すると、感慨もひとしおです。全国の書店に出回りますので、ぜひみなさんお手にとってみてください。
この彼岸寺でも同じですが、モノ作りにおいて「誰をターゲットにするか」というのはひとつ大切なことですが、「何を届けたいのか」ということはもっと肝心ですよね。特に宗教に関わる者として、「この人たちに受けるものは何か、心地よく感じてもらうものは何か」という視点だけではなくて、何かハッとさせられるようなものを届けたいという気持ちを忘れずにいたいです。
皆さんは新聞をとっていますか?私は新聞はけっこう好きで、見かけると読むのですが、自分ではとっていません。ニュースは多くの場合、一番最初にインターネットで知ります。ただ、それらのニュースを新聞はどのように取り上げているのかということに興味があるので、やはり新聞は読みます。「情報を仕入れるためのメディア」というよりも「権威ある情報メディア」としての見方ですね。 紙媒体からインターネットへ、という流れの中で大手新聞社もいろいろと変革を迫られているようです。先日お会いした新聞社の方とのお話の中で、仏教界と新聞業界の共通の問題点がたくさん見えてきました。今回の「お寺の未来」では、そのことについて書いてみましたので、どうぞお読みください。 ポイントは、新規の顧客を開拓する前に、既存の顧客に対するサービスの向上が必要ではないか、ということかと思います。
今回の「そもさん、せっぱ」は、「お坊さんは政治に関わるのか?」という質問でしたが、「俗世との関わりについてどう考えるか」というのは、お坊さんをやっているとよく聞かれる質問の一つです。これについて、お坊さんの中にも「僧侶は俗世のことと関わりを持つべきではない」と言う人もいます。でも、私はそうではないと思います。お坊さんは山の中にこもって修行に専念すべき、というのであれば、街の中にお寺は必要ありません。なぜこんなにも多くのお寺が町や村の中にあるのかといえば、俗世のまっただ中で人々と共に悩み苦しみ歩むためだと思います。まして、僧侶の立場が出家者ではなく非僧非俗の浄土真宗であれば、なおさらのことです。 でも、ときどき浄土真宗のお坊さんでも「僧侶は俗世に関わるべきでない」という人がいます。もちろん「俗世」と言っても酒を飲んだりギャンブルをしたり色恋に溺れたりという、そういう俗世からなるべく身を離そうというのなら、それは分かります。しかし、「俗世で生きる人間の悩み苦しみ」から身を離してお寺で安穏としてしまっては、なんのためのお坊さんだか分からなくなってしまいます。
仏像の感じ方というのは人それぞれで、梅原猛さんの『仏像のこころ』ような見方もあれば、みうらじゅんさんといとうせいこうさんの『見仏記』のような見方もあります。どちらの本も面白く読めるのは、やはり仏像を単なる鑑賞のための美術品として見るのではなく「仏像が好きだ、仏像に会いたい」という強い気持ちがあるからこそ、読んでも楽しい本になっているのでしょう。 「仏像ア・ラ・モード」牛久篇も最終話となりましたが、今回も楽しさ満載です。イラストで広がる大仏ワンダーランドに、ぼくも久しぶりに大仏さまに会いたくなりました。
お寺が江戸に出てきて出開帳の催しを開くためには、役人への根回しや心付けが書かせなかった、そんな話が「江戸のお寺 浮世草子」で紹介されています。お寺を守っていくため参拝者からの賽銭集めに必死になっているお坊さんの苦労が偲ばれますが、心付けの世界はいつの時代も変わらないのですね。 時は平成、相も変わらずお坊さんの業界内では、誰かお坊さんが何かしようとすると他のお坊さんから「あいつは裏で何か業者からもらってるんじゃないか」と疑われる時代です。いいことをしようとしている人に対してまず最初に疑いありき、というのもどうかと思いますが、ついそういう気持ちで見たくなるくらい心付けを受け取る側に回りたがるお坊さんが多いということでしょう。 ビジネスの世界ですら社会貢献型の斬新なビジネスモデルで頑張っている会社も出てきているのに、利他の精神で人のために頑張るべきお坊さんの世界に、まだまだ自分の袖の下にばかり興味のある人の多いのは、ほんとうに情けないことです。