2007年9月26日

 人間というのは弱いもので、「こういうふうに生きよう」とか「こういうふうにあるべきだ」とかいう理想のモデルがあって、それを実現するための目標を作ったりルールを作ったりしてみても、それが必ず達成できるわけではありません。ほとんどの場合は、多かれ少なかれの過ちを犯しながら、それでもなんとかやっていくしかないのだと思います。

 あまり極端に完璧主義になりすぎると、少しでも達成できなかったりした部分の非を責めて、結果的に目標へ向かおうとしてきた姿勢すら放棄してしまうことになりかねません。でも、そうして逆方向に向かってしまっては本末転倒ですよね。あるいは、傍目からみて「さすがにこれほどまでになると、もう見放すしかない」という場合だって同じことで、もちろんやったことにきちんと責任を取っていかなければいけませんが、それでも、やり直してはいけない、ということではないと思います。

 そんなことを、「おじいちゃんへの質問」でおじいちゃんが言う、大事なことは「真剣かどうか」ということ、というメッセージから感じとりました。

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コメント (3)

こりん:

松本様

 こんにちは。
今日は「私は真剣だったけどな・・・」という話しを書き込みさせて頂きたく、ペンを取りました。(いえ、キーを叩きました。笑)
私は高校生(昭和の時代です)の頃から、無償に、本当にむしょ~~~にお墓参りが好きで、よく1人ででも行ってました。車の免許を取ってからは「ドライブがてら」と月に1度は行き、結婚で引っ越してからは年に1~2度行く程度、そしてここ3年は再び毎月1回はお参りに行っています。
お参りをすると何だか気分がスッキリして(勿論墓石に向かってお願い事などはしませんが)幸せな気持ちになるのです。
でも、去年友人(神棚の事を教えてくれた友人)に、「本当の事が分かってなければ、毎月お墓参りに行ってると言っても、それはただのパフォーマンスにすぎない」と言われました。
ショックでしたが、お花とお線香を供えて手をあわすだけのお墓参りは、実は「私はこれだけやってるのよ」と自分に酔ってただけなのでは、と思いました。
夫は「行きたい、という気持ちは本当なんだから、意味が無かったとは思わなくて良いんじゃない?」と言ってくれたのですが、周囲に「私は毎月お墓参りに行ってる」と言っていた自分がとても恥ずかしくなりました。
それからは友人に教わった作法でお参りしていますが、母と祖父母とご先祖様は喜んでくれてますかね・・・。

松本:

> こりんさん
お返事遅くなっちゃいました。すみません。
お墓参りを習慣にしている人、お墓参りをするとすっきりするという人って、けっこういらっしゃいますよね。
どんな理由であれ、続けていくことが大切だと思いますよ。何かと理由をつけてやらないことはできますが、理由はともあれ実際にしているということは、すごいことだと思います。
どうしてお参りしていたんだろう?と考えながらも、お参りを続けられたらいいと思います。

こりん:

松本様

 こんにちは。ご返信有り難うございます。
お墓参りをすると、何だかスッキリする人・・・って、他にもいらっしゃるのですね。私はスッキリに加えて、何だか晴れ晴れもします。なぜでしょうね?
松本さんのおっしゃる通り、お参りを続けながら、自問自答もしてみたいと思います。
有り難うございました。

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