2007年9月13日

 なんでか分かりませんが、子どもって、「はげ」にすごく反応しますよね。ぼくもお坊さんになってからずっとボウズ頭にしていますが、お寺の子どもが「はげさん」とか言ってはしゃいでいることがあります。
 そういえば自分も子どもの頃は、髪の薄くなった教頭先生なんかを、そのように呼んでいたことがあったかも。その頃は、自分が大人になってはげになったら嫌だなと、髪の抜け毛などを心配したものです。しかし今、自分にとって、髪の毛は「剃るもの・刈るもの」になってしまったので、はげることは全然気にならなくなってしまいました。
 「アデランスの最大顧客はお坊さん?」という質問が出ていましたが、これはきっと「お坊さんには毛がない」「お坊さんは丸儲け」というイメージが変に組み合わさってできてきた噂なんでしょうね。
 ちなみに親鸞さんは自分のことを「愚禿、親鸞」と言いましたが、これは「はげ」ではなくて「かむろ」のことです。「かむろ」というのは、おかっぱのような髪のことをあらわすので、親鸞さんの場合は「お坊さんとして頭をきれいに剃ることをしない、ぼうぼうの髪」ということみたいですね。というわけで、つるつるのボウズ頭を「はげ」というのは、誤りです!

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コメント (8)

こりん:

 初めまして。こりんと申します。神奈川県在住の主婦です。
実家が浄土真宗なので、色々ググってる間にこちらのHPを見付け、読めるところまで遡って拝読致しました。
早速ですが、うちの実家は大谷派というらしいのですが、葬儀・法事の後にお坊さんからお話しを聞いた事が一度もありません。結婚して夫の実家の法事に参列し、初めてお坊さんから涙が出るくらいジーンと来るお話しを聞きました。
そこでフト思ったのです。
「うち(実家の法要など)では聞いた事が無いなぁ・・・」と。
祖父母(2人共昭和の時代に他界)と同居で実母もH17に他界したので、数え切れない程の葬式・法事・法要に参列しましたが、お坊さんからお話しを聞いた記憶がありません。
夫の実家関係の法事に3回参列しましたが、お経の後必ず涙がこぼれる様なお話しを聞かせて下さいました。そして、段々と私の実家のお寺の事が気になり出し・・・。
お坊さんによって違うのでしょうか?
浄土真宗と真言宗は『南無阿弥陀仏』ですよね?母が亡くなるまで実家の宗派も知らなかったバチ当たりな私です。
色々な疑問にどうかお答えが頂けたら・・・と思います。
乱文失礼致しました。

松本:

> こりんさん

はじめまして。
ご実家が浄土真宗の大谷派のお寺の檀家さんなのですね。
法事のおつとめの仕方には絶対的な決まりがあるわけではなく、
それぞれの住職さんの方針でいろいろ違って来ますので、
法話があるお寺もないお寺もあるかと思います。
ただ、浄土真宗は特に法話するのが大事な宗派ですので、
できればお話を聞きたいですよね。
そちらのお寺では難しければ、他のお寺で一般の方々対象に
開いている法話会などにも出かけてみてはいかがでしょうか。

ちなみに、浄土真宗は阿弥陀一仏なので「南無阿弥陀仏」ですが、
真言宗はいろいろな仏様を拝みます。
ただし、お坊さんに聞いてみたところ、真言宗で阿弥陀仏を拝むときには、「ナムアミダブツ」という発音では唱えず、真言で唱えるとのことでしたよ。

こりん:

松本さま。
 こんにちは。早速のご返信、有り難うございます。
私の実家は「そんな年号あったの?」という位古くのご先祖様から続いてる様なのですが、前回書きました通り、物心着いた時からお墓参りに行き、数え切れない程の法要などに参列して来たにも関らず、私が「うちって浄土真宗 大谷派って言うんだ」と気付いたのがH17年9月に亡くなった実母の葬儀の時でした。
同じ年に結婚したので、夫の実家関係の法要に3回参列させてもらいましたが、夫の実家が真言宗でした。今月義母の13回忌の法要があったのですが、そこでもお坊さんから「うんうん」と感動するお話しがありました。
私の実家は実父が昭和1ケタ生まれで、跡を取った割には私の友達曰く「お年の割には仏事に疎いわね・・・」だそうで、仏壇と神棚が同じ部屋にあり、仏壇は『大事な物入れ』だそうで保険証・手紙・書類・集めたマッチ・貰った雑貨等でリンも鳴らせない程。しかも仏壇の上は『大事な本置き』だそうで旅のDM・家計簿・梅干の作り方の本等など・・・。30センチは本が重なって積み上がってます。神棚は明治の時代にはあった様で、榊もお水もお塩も供えなければ「正月に1回手を合わすだけ」(父談)だそうで、私も友達に「浄土真宗は阿弥陀仏ただ一仏を拝む宗派だから、神棚があるのはおかしいよ」と言われ「え?そうなの?」と気付いた始末・・・。しかも母の三回忌も「体調が悪いからやらない」と言うので、私と夫が命日にお墓参りに行って来ました。
跡取りの長兄もそんな父を見習って(?)か、疎い様です。長兄の嫁に至っては「仏壇が開いてると気持ち悪いから(扉を)閉めてよ」と言う人です。母の納骨にも呼んでくれませんでした。
調べれば調べる程、実家の行く末が心配です。それとも他家に嫁ぎ苗字の変わった私は考えなくて良い事でしょうか。
今回も長文失礼しました。

松本:

> こりんさん

私はお盆のときなどには檀家さんの家を一軒一軒回ってお仏壇にお参りすることがありますが、仏壇と神棚を一緒に安置されているお宅もときどきありますね。
浄土真宗をご宗旨とされるのであればもちろん神棚を飾る必要はないのですが、ご先祖から受け継いだものもあるでしょうから、どうしても無理に処分しなければいけないというものでもないかなと思います。
気になったことは家のお寺さんにどんどん相談してみてくださいね。

こりん:

松本様
 有り難うございます。神棚の事、友人に「処分した方が良い」と言われ気になっていました。(実家の話しなので、私がどうこう出来る立場でもないのですが・・・)
宗派で色々と決め事もあると思いますが、昔から所有しているものとして、我が家(実家ですが)でこのまま祀っていったらと思います。
本当に有り難うございました。

松本:

> こりんさん
そうですね、ご友人の仰る通り、浄土真宗としては神棚を取り払ってしまってよいのですが、神様仏様のことで家族がケンカをしてしまっては、それこそ神様仏様が悲しまれますよね。
よく家族で話し合って、またお寺さんとも話し合って、みんなが納得できるかたちを模索してみるといいですよ。

太郎:

ナゼお坊さんはあたまをそるですか?

KAKU:

お坊さんがなぜ髪の毛をそるかという「正式な」理由は実はよくわかりません。
一説によると髪は生命力の象徴であることから、これをそることによって世俗からの決別を表すともいわれます。
ただ、この「世俗からの決別」は実感することがあります。
僕も毎日のように頭をそるのですが、頭をそるとき特に自分が僧侶であると実感をします。
僕にとっては頭を丸めるのは自分が僧侶であることを忘れないための戒めの行為と思っております。

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