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2007年9月 アーカイブ

2007年9月30日

もうすぐ10月だというのに夏のような暑さの日が続いたと思ったら、急に涼しくなりましたね。昨日今日と所用でお寺を見に長野の山の中まで行ってきたのですが、そちらのほうは東京よりも更に涼しくて、暖房をつけようかというくらい肌寒い気候でした。もう、知らぬ間に少しずつ冬が近づいてきているんですね。
お寺に嫁ぐということ」でお坊さんの衣替えについての話が出ていましたが、どの宗派も本山というのはなんでもかんでも統一スタンダードを全国に押し付けたがるものだから、日本全国、北は北海道から南は沖縄まであるお寺に向かってみんな一斉に衣替えをするように指示しかねないわけです。各宗派によって衣替えの時期は違うのでしょうが、お坊さんも温暖化する地球環境に適応する方法を真剣に考えた方がいいかもしれませんね。

2007年9月29日

 お坊さんというのはひとりずつ自分の意見を持っている方が多く、それぞれ参考になって有り難いのですが、ぼくが最近特に尊敬するのは「還る家ともに」の成田さんのように、お寺の現場で実際に何かしらの事業に取り組まれている方です。
 「お寺でデイサービス」というのはコンセプトも良いですし、何かやってみようと思うお寺ならやる気さえあれば始められる試みだと思うのですが、実際にこれを本気でやるとなると、相当な努力と苦労を覚悟する必要があるでしょう。試みを外野で批評するのは簡単ですが、実際にやるのとは経験と結果の上で大きな差が出てきます。行動の根拠を経典に探すヒマもなく、いてもたってもいられなくて動いてしまう身体感覚、大切にしたいものです。
 頭ばっかりでもダメ、身体ばっかりでも限界。調和のとれた仏教徒としていきいき生きたいですね。

2007年9月27日

 昨日、友人と「お寺って、動かないところがひとつの価値だよね」という話をしました。畑や田んぼなど人々が土地に密接に結びついていた昔と違って、今はどんどん人が移動する人口流動化の時代。道州制とかの議論も出てきて、自治体ですら統廃合でどんどん変化していく時代。そんなときだからこそ、ずっとそこを動かずに土地の歴史を見つづけてきたお寺の存在意義っていうのも際立ってくる、そういう話です。
 と、そこに今日のそもさん、せっぱ。「お寺も引っ越すしますよ」という話です。そうなんですよね。著者のケンユウ氏のお寺も昔どこかから引っ越してきたそうですし、今ぼくが所属しているお寺も、ずいぶん昔ですが霞ヶ関から神谷町に引っ越した(命ぜられた)そうです。最近のお寺でも、引っ越すことはあります。
 でも、お寺が引っ越したからといってそれまでの歴史を捨ててしまうわけではなくて、資料とかお墓とかすべて背負って引っ越すので、やはりお寺が引っ越したとしても、自治体の統廃合などとは違う、何か動かないものがあるのだと思います。

2007年9月26日

 人間というのは弱いもので、「こういうふうに生きよう」とか「こういうふうにあるべきだ」とかいう理想のモデルがあって、それを実現するための目標を作ったりルールを作ったりしてみても、それが必ず達成できるわけではありません。ほとんどの場合は、多かれ少なかれの過ちを犯しながら、それでもなんとかやっていくしかないのだと思います。

 あまり極端に完璧主義になりすぎると、少しでも達成できなかったりした部分の非を責めて、結果的に目標へ向かおうとしてきた姿勢すら放棄してしまうことになりかねません。でも、そうして逆方向に向かってしまっては本末転倒ですよね。あるいは、傍目からみて「さすがにこれほどまでになると、もう見放すしかない」という場合だって同じことで、もちろんやったことにきちんと責任を取っていかなければいけませんが、それでも、やり直してはいけない、ということではないと思います。

 そんなことを、「おじいちゃんへの質問」でおじいちゃんが言う、大事なことは「真剣かどうか」ということ、というメッセージから感じとりました。

2007年9月25日

 今週の「江戸のお寺 浮世草子」では、成田山が江戸での出開帳のために根回しに奔走する姿が紹介されています。村の許可を得て、領主の許可を得て、幕府の許可を得てと、順序に気をつけて一歩一歩根回しのプロセスを進めていけるかどうか貫首の力量が問われるというのです。
 これは今のお坊さん同士の世界でも同じことで、お寺や教団の中で何かをやろうとしたときに、根回しの運び方をひとつ間違うだけで企画が頓挫することはよくあります。止まってしまうだけならいいのですが、おかしな方向に進んでしまうのを止められなくなったりすることもあって、根回し作業にはとても気を使いますね。しかもお坊さんというのは概してひとこと言いたい人が多いせいか、本来は関係のないポジションにいる人でも「わし、そんなもん何も聞いてへんど〜!」と怒りだす人もいるから大変です。
 会社で働くみなさんも、きっと同じようにこういった根回し作業に悩まされているのでしょうね。

2007年9月24日

 お寺などに行って仏さまを前にすると自然と手が合わさる、ということを言いますね。何かを思い詰めて祈るような気持ちで手を合わせるときもあれば、何気ないときでも親しみを込めた挨拶をするような気持ちで手を合わせたりすることもあるでしょう。

 子どもが手を合わせているのを見かけると、見ているこちらまでなんとも優しい気持ちになりますよね。もちろん大人のまねをして手を合わせるということもあるのでしょうけれども、特に幼い子どもにとっては「どういうときに手を合わせるものなのか」ということは分からないはずです。「○○をお願いします」というふうに、祈る内容も持っていません。それなのに手を合わせるというのはとても不思議なことだし、純粋な心の合掌ですよね。自分も見習いたいものです。

 みちこさんの娘さんの場合も、姿を思い浮かべるとなんとも可愛らしい合掌ですね。そういえば、関西のほうでは「なんまんだぶつ」あるいは「ほとけさま」の幼児語として「まんまんちゃん、あん」という言葉が定着しているようですが、ぼくはお坊さんになるまでこの言葉を知りませんでした。みなさんの地方ではどうでしょうか?

2007年9月23日

 上田紀行さんとお話した内容から思ったことを、「お寺の未来」コラムに書いてみました。ここのところ、伝統仏教教団に対して書くことが厳しくなっていますが、それも思う気持ちがあるから故のこととしてお許しいただきましょう。
 さて、お彼岸の季節です。明日はお中日ということで、うちのお寺の法要にも大勢の人が訪れます。みなさんは実家のお寺やお墓へお彼岸のお参りに行かれるのでしょうか。「先祖供養をちゃんとしろ」とかいう細木数子さんのコメントに従って行動を左右される方が意外と多いそうですが、それというのも当たり前のことを当たり前に言うお寺の活動が弱ってしまっているからかもしれませんね。

2007年9月21日

 北海道へ法話に来ました。ぼくの実家はもともと浄土真宗の真宗大谷派という宗派のお寺で、ぼくの所属する本願寺派と並ぶ浄土真宗の大きな宗派なのですが、叔父が後を継いで住職をしています。そのお寺から法話の講師としてはじめて呼んでもらったのですが、地元なのでなんだか不思議な感じです。
 お坊さんの格好をして納骨堂の前でうろうろしていたら、檀家さんに呼び止められて、「ちょうどよかった!うちのお仏壇におまいりしてください」と言われ、微妙に別の宗派なのでお経の節回しとか違うから、どうかなぁと思ったのですが、「それでもいいから」ということで、おまいりしてきました。
 法話の前にはおつとめがあります。普段は本願寺派のおつとめしかしませんが、子どもの頃以来、久しぶりに大谷派のお経を聞いていると、だんだん昔聞いた記憶がよみがえってきました。小さな頃からお経に親しんでいることは、歳を取ってからもずーっと心のどこかに残っているものだなぁと実感しました。

2007年9月20日

 今日の「そもさん、せっぱ」より。子どもの頃、お寺の親戚の子として育ったぼくは、お寺の子のご多分に漏れず友だちから「坊主丸儲け」という言葉を言われたことがあったのを思い出しました。誰でも知っている言葉だと思いますが、なぜこの言葉が言われるのかといえば、その言葉を言う子どもの家庭で親たちがそういう話をしているのだろうということは想像がつきますが、それだけではなく「単に言葉のゴロがいい」ということもあろうかと思います。「坊主→丸」というつながりがいいんですね。ゴロのいい言葉って、使ってみたくなるものなんですよね。子どもの使う言葉から、親の会話が推察できるというのは、いつの時代もユーモアの種です。

2007年9月19日

 お寺イベントの話続きで申しわけないですが、今年はまだ一度も開かれていなかった、光明寺の「誰そ彼」が、今度は11月に2daysで開催されることが決まりました。といっても、2days目はお寺の都合上、お葬式が入ったら開催できなくなりますので、そこは運次第というところです。

 ところで、あまり皆さん気づかないと思いますが、お寺での催し物というのは、たいてい土曜日の夜か友引前日の夜に入っていることが多いのをご存じですか?まず、お寺というのは土日に法事が集中しますので、お寺で法事を勤めるお寺の場合は、土日をまたいで通夜・葬儀が入らないんです。お通夜やお葬式が入ると、そちらを優先しなければいけませんから、そのため、土曜日の夜は比較的間違いなくイベントができる日とされています。また、友引の日には火葬場がお休みのところが多いため、その前日の夜にはお通夜が入りにくいということで、お坊さんの会議などもこの日に設定されることがよくあります。余談でした。

2007年9月18日

 昨日はお寺カフェのブームを紹介しましたが、全般にお寺でのイベントがあちこちで盛り上がってきていますね。このサイトで紹介している先日築地本願寺で開催された他力本願でいこう!もそうですが、10月には富山で開かれるお寺座など、元気なイベントが盛りだくさんです。
 この流れに「集客のためにお寺でライブなどとはけしからん」という向きもあるかと思いますが、しかし集客がなければお話を聞いてくれる人もいないわけですからね。で、「お寺もなりふり構わず集客するとは世も末だ」というわけでもなくて、実は昔からお寺というのは集客にかなり力を注いでいたんです。
 「江戸のお寺 浮世草子」では「京成本線はもともと、成田山への参詣者をターゲットにして敷設された鉄道だった」ということも書かれているくらい、昔はすごい集客だったのですね。やはり、賑わっているお寺というのはいいものです。江戸時代に負けていられませんね。

2007年9月17日

 このサイトでも紹介していますが、私の所属する神谷町の光明寺では神谷町オープンテラスと題して、地域の方に気軽にお寺に足を運んでもらおうと、境内の一部を開放してカフェのようなスペースにしつらえて参拝者のみなさんをおもてなししています。2005年の春からはじまったこの企画は、冬を除く季節にオープンしていますが、なかなか好評をいただき、マスコミ取材などでもけっこうたくさん紹介されました。

 この流れが関係あるか分かりませんが、ここ最近、表参道に高野山カフェも期間限定オープン。私は見学できませんでしたが、けっこう盛況なようです。

 そして、こんどはあの築地本願寺にカフェ・ド・シンランが9月21日オープン。こちらは雑誌ソトコトの企画で3ヶ月ほどの期間限定で、境内にけっこう本格的なカフェが誕生してしまいました。けっこう遅くまで営業する予定のようです。ライトアップされた親鸞聖人像の足元でいただく食事もおつなもの。もちろん誰でも入れますので、ぜひご参詣あれ。

2007年9月16日

 みなさん、この連休はどんなふうに過ごしておられますでしょうか。どこかに出かける人も多いと思いますが、みなさんどういうところに出かけておられるのか、気になります。趣味のある人は、そのために時間を使うのでしょう。
 ぼくはこれといって趣味がないので休みのときは行き先に困るのですが、結局落ち着くのは、お寺や仏像を見に行くとか、仏教関係のことだったりします。ちなみにこの週末には、法事の合間を縫って出来た時間で、のこぎり山の大仏を見てきました。千葉の日本寺という古いお寺にあるのですが、なかなかの迫力でした。山全体にも見所が満載で、おすすめですよ。
 さて、「仏像アラモード」が更新されました。いよいよ牛久大仏の胎内に突入です。そういえば牛久大仏も日本一ですが、のこぎり山の大仏も日本一でした。それぞれ、違う日本一を持っているので、日本中にはいろんな日本一大仏がありますね。映画の宣伝に「全米no.1」というコピーが多用されるようなものでしょうか。

2007年9月15日

 「お寺に嫁ぐということ」で「データは更新しておきましょう」っていうから、パソコンが壊れてバックアップしてなかったから大変なことになっちゃったのかなと思ったら、そういう話ではありませんでした。
 夫婦が一緒に暮らしていくうえで、情報収集が大切だと。ぼくは人からの情報収集がとても苦手なので、参考になります。基本的な感覚がずれていると、なおさら大変です。
 さてみなさま、こちら東京はまた急に暑さがぶりかえしてしまった感じですが、体調管理に気を抜かないようにしましょう。残暑お見舞い申し上げます。

2007年9月14日

 「お寺の未来」に、「お寺が近親憎悪する理由」というコラムを書いてみました。なんだかヘンなタイトルですが、お寺に限らず人間というものは、遠くの大問題より近くの小さな問題のほうが気になるもので、それはお寺でも同じですよ、というお話です。
 あまりお寺やお坊さんを理想化して考えてしまうと、現実の部分で建設的な議論ができなくなってしまいます。宗教家とか聖人とかそういうイメージではなくて、「現状はどうなのか」「そこからどうして行ったらいいのか」という現実的な話をする必要があるのではないかなと思うんです。
 できることから始めよう!ですね。

2007年9月13日

 なんでか分かりませんが、子どもって、「はげ」にすごく反応しますよね。ぼくもお坊さんになってからずっとボウズ頭にしていますが、お寺の子どもが「はげさん」とか言ってはしゃいでいることがあります。
 そういえば自分も子どもの頃は、髪の薄くなった教頭先生なんかを、そのように呼んでいたことがあったかも。その頃は、自分が大人になってはげになったら嫌だなと、髪の抜け毛などを心配したものです。しかし今、自分にとって、髪の毛は「剃るもの・刈るもの」になってしまったので、はげることは全然気にならなくなってしまいました。
 「アデランスの最大顧客はお坊さん?」という質問が出ていましたが、これはきっと「お坊さんには毛がない」「お坊さんは丸儲け」というイメージが変に組み合わさってできてきた噂なんでしょうね。
 ちなみに親鸞さんは自分のことを「愚禿、親鸞」と言いましたが、これは「はげ」ではなくて「かむろ」のことです。「かむろ」というのは、おかっぱのような髪のことをあらわすので、親鸞さんの場合は「お坊さんとして頭をきれいに剃ることをしない、ぼうぼうの髪」ということみたいですね。というわけで、つるつるのボウズ頭を「はげ」というのは、誤りです!

2007年9月12日

 めっちゃんのおじいちゃんとの対話が更新されました。今回は、「念仏はポイント・オブ・ノーリターンを壊してしまう」というお話が出てきました。
 ポイント・オブ・ノーリターンというのは、直訳すると「戻れない点」、つまり、その先へ行ってしまったら同じところへは二度と戻れない限界点という意味です。脳死だったら、もう絶対に蘇生できなくなる限界点、環境だったら、もう絶対に再現できなくなる限界点を指します。

 では、「念仏はポイント・オブ・ノーリターンを壊してしまう」というのはどういうことかと言えば、ふつうなら人間は「これ以上堕ちてしまうと、もう戻れない」というポイント・オブ・ノーリターンに触れないように気をつけて生きていますが、念仏はこれを壊してしまうというのです。
 これは、「どこまで堕ちても念仏を称えればチャラになる」ということではなくて、「念仏はどこまでも堕ちるしかない人間の実相を明らかにする」ということが言われているのだと思います。
 念仏すれば常にポイント・オブ・ノーリターンの上にいられるということではなくて、人間は常にポイント・オブ・ノーリターンを超えてしまっていると。なるほど、とても味わい深い話です。

2007年9月10日

ぼくは4年半前に得度して以来、ずっと頭をボウズにしています。

もともと浄土真宗は髪を伸ばしてもいいことにはなっているのですが、得度の時だけは男性はみんな頭を剃らなくてはなりません。(女性は、肩にかからない程度の髪であればOKということになっています)

はじめは嫌でしたが、やってみるととても楽なので、自分で電動バリカン「すきかるくん」を買ってきて、10日にいっぺんほど刈るようにしてきました。でも、あまりつるつるなのはまだ抵抗があったので、アジャスターで3mmでやってきました。

でも昨日、なんとなしにアジャスター無しでやってみたくなって、久しぶりにつるつるにしてみたところ、これはいい!3mmと1mmの違いなんて小さなことですが、なんだかすっきりして気持ちも晴れ晴れしてきました。ただ、クーラーが直接当たるので、頭が冷えることに気が付きました。

2007年9月 7日

東京も台風が過ぎましたね。道産子のぼくはあまり台風を経験したことがないので、昨晩は試しに台風を体感しようと思ってマンションの屋上へ上がってみたのですが、ものすごい強風にフェンスがねじまがっていて、身の危険を感じました。

自然の猛威というのはすごいものですね。でも、東京にいるとそれを感じることがあまりにも少なく、その猛威に身をぶつけてみたくなる気持ちも、心のどこかにあるような気がします。都会の中に居て失いつつある身体性を取り戻そうという渇きなのかもしれません。

台風のように今週もあっという間に終わってしまいました。久しぶりに「お寺の未来」も更新しました。ちょっとグチっぽい内容になってしまいましたが、まぁそんなたまにはそんな気分のときもありますよね。でも、ここから始めるしかないわけですから、諦めず頑張ります。

2007年9月 4日

先週から『江戸のお寺 浮世草子』は「ご開帳の百花繚乱」という章に入っていますが、昔のお寺は今よりももっと強烈に参拝者集めに力を入れていたんだということが分かりますね。収入のためにはご開帳したいけど、しすぎると効果が薄くなるし、、、というジレンマに苦しんでいたんだと思います。
ところで江戸時代、全国には95万9042ケ寺のお寺があったということも記事に書いてありましたが、この数はすごいですね。今、7万数千のお寺があって「このままではやがてお寺がどんどん減ってしまうだろう」なんてことを言いますが、すでに江戸時代から10分の1以上、減ってるじゃないですか!
しかし人口30人あたり一軒のお寺なんて、江戸時代人の信仰心には脱帽です。

2007年9月 3日

「他力本願でいこう!」ライブも終わり、築地本願寺も一段落。今回は法話のご講師に、福間義朝先生がはるばる備後からお越しくださいました。今回はイベント中に3回の法話があり、それぞれ「阿弥陀仏」「仏の願い」「念仏」というテーマでお話くださいました。
福間先生はぼくのお坊さん研修中の先生でもあり、どんな法話をされるのだろうかと楽しみにしておりましたが、さすが先生、現場の雰囲気に合わせた、とても分かりやすく、そして印象に残る法話で、とても勉強になりました。
他力本願でいこう!は、初回は法話が1席、二回目は法話が2席、三回目の今年は法話が3席と、回を重ねるごとに法話の割合が増えてきています。来年はどうなるかな?

彼岸寺周辺で起こっているさまざまな出来事を、彼岸寺の僧侶たちがみなさんにご紹介します。