参院選がいよいよ月末に迫っている。タレント活動で名を売った論客?たちが立候補、街角ではあちこちで選挙演説合戦が繰り広げられているし、テレビをつければ朝から晩まで各党政治家同士の討論が続き、最近ではCMにまで政党の主張が入り込んで来るので、そろそろうるさく感じている人もいるかもしれない。
そんな方には、ぜひ世俗の喧噪を束の間離れて心静かに築地本願寺へお参りください、と言いたいところなのだが、今年はそうも言っていられない事情がある。どんな事情か。それは築地本願寺へ実際に行ってみればよく分かる。普段ならもっとこう、かわいらしいキャラクターをあしらった幼稚園児募集とかのポスターが貼ってありそうなところに、ひたすら袈裟をまとったお坊さんのポスターが貼ってある。近付いてみると、顔の横には民主党のマークが。そう、今度の参院選に比例代表で立候補した浄土真宗本願寺派のお坊さんのポスターなのだ。
一体何のポスターだろうかと足を止めて覗き込む人も多いが、そりゃそうだろう。せっかく厳かな気持ちでお参りに来たのにお寺の中まで選挙のやかましさが入り込んできては、こりゃかなわん、と思うのが無党派層をはじめとする多くの人の感覚なのだろうということを、その反応を見ていると感じざるを得ない。また、もう少し政党感覚のある人であれば「本願寺さんは、民主党支持なんだなぁ」というふうに決めつける人もいるが、このポスターを見れば無理もないだろう。しかし、私は浄土真宗本願寺派に所属する僧侶として参院選に関する宗派の公式なスタンスについて説明を求められるならば、分かりやすく言えばこう答える。
「宗派としては、特定の政党を支持するわけじゃありません。宗派に属するお坊さんが立候補するんだから、もちろん宗派としても特別に推薦し、応援していきましょうということです」
今、浄土真宗本願寺派は、比例区は民主党から藤谷光信氏、大阪選挙区は自民党から谷川秀善氏という、政党の異なる二人のお坊さんが立候補しているのを、どちらも「宗門特別推薦」ということで公式に応援しているのが現状である。比例区候補者と選挙区候補者が混在しているので、全国的に見れば本願寺派は民主党支持と見られがちだろうし、大阪に限れば本願寺派は自民党と民主党の両方を応援しているように見えるという、きわめて複雑な状況が生まれている。
では、それに対して宗派に属する全国3万人のお坊さんたちの反応はどうだろう。本山(国政と同じような仕組みで成り立つ宗派内の司法・立法・行政府であり、ここを構成しているのも宗会議員と呼ばれるお坊さんたち)の政治的決定に対し、一般寺院の住職さん方は賛否両論。「やっぱり同じ宗派の住職さんががんばってるんだから、応援しなくちゃなぁ」という人もいれば、「宗門として直接、政治に手を染めるようなことは政教分離の原則に反し、認められない」という人もいる。中には「出家の僧たるもの、世俗のことには一切関わりを持つべきではない」という強者?の噂も耳にする(念のため補足すると、この強者のようなスタンスまでいくと、すでに浄土真宗の教義すら超越してしまっていると思われる)。いずれにせよ、本山と末寺の関係がフランチャイズ・チェーン的な体系で成り立っている伝統仏教の組織では、新宗教系の宗教組織と特定政党の関係のように、一枚岩ではいかないのだ。
ところで、「政治と宗教」と聞いた時、おそらく最も多くの人が連想するのが「政教分離」という言葉だろう。でも、よく知られている言葉のわりには、「政治と宗教が切り離されねばならない」という以上の具体的なイメージのないままに曖昧に使われることも多いのではないだろうか。たぶん「お坊さんは宗教者なのに、どうして選挙に出ていいのだろう」と素朴な疑問を持っている人もいるかもしれないが、冷静に考えてみれば、今だって僧侶や神職の資格を持ちながら国会議員を務めている人もいるし、政治家個人の宗教的背景が立候補の妨げになるわけではない。政教分離の原則の前提として、「信教の自由」というものがあるのだ。政治家が個人として宗教活動をしてはいけないのであれば、盆暮れに自分の先祖へのお墓参りもできなくなってしまう。まぁこのあたり、ちょっと調べてみただけでも微妙な問題が山積みなのだが、規定路線のように改憲が叫ばれる昨今、「政教分離」や「信教の自由」についても、改めて学びなおしたいところだ。
ちょっと話はずれるが、さきほど話に出てきた「お坊さん業界の国会議員」である宗会議員にも、国政と同じように選挙がある。全国の教区毎に投票され、有権者は僧籍(僧侶の資格)を持っている人。選挙区平均1000人程度の有権者数だから、否応にも有権者実名レベルで票読みができる選挙になってしまう。公職選挙法が適用されるわけでもなく、もともとが接待社会のお坊さん業界だから、選挙区によってはかなり熾烈な泥仕合になるらしい。
そんなお坊さん業界が、今度は国政へ挑む仲間を応援しようという。いつもの調子で「こちら、ほんのお気持ちですが」などと贈ったり受け取ったり、悪気はなくてもついついやってしまう人が出てしまいそうなのが、個人的にはとにかく心配ではある。
まあそれは置いておいて、伝統仏教が新宗教に対抗して政治的な力を持っていこうとするならば、何も自分たちの中から議員を出すことだけが方法ではないはずだ。しっかり各政党の政策を見極め、仏教徒としてほんとうに投票すべき政党はどこなのか、きちんと判断できる土壌を作っていくこと。意識の高い有権者を育て、投票率もあげていくこと。世論を正しく引っ張っていこうという仏教徒市民を地道に増やしていくことが、仏教界として最も理想的な政治参画の方法かもしれない。
とにかく「僧侶は世俗には感知しない」とかいうのはあり得ないので、お坊さんだって投票へGO!
コメント (4)
どうもご無沙汰しています。
さて、「政教分離」ですが、本来は「政治権力による宗教への干渉の禁止」ではなかったですかね。
しかも、国によってスタンスがかなり異なっていて、フランスは「政治」と「宗教」を厳密に分離し、「政治」ジャンルに含まれる活動からは徹底的に宗教色を排除しようとしているのに対し、アメリカなどは、「政治活動が特定の宗教団体を利することにならないようにする」程度だったように記憶しています。
いずれにしても、「政教分離」の原則は政治側に求められることであり、宗教が政治的活動を行うことを禁ずるものではなかったように思います。
ただ、日本では「政教分離」というと宗教勢力も政治参加をすべきでないという議論がかなり強いように感じます。
宗教側が政治活動に積極的に関与することには疑問もありますが、いうべきことは強く言っていくことも大切かもしれませんね。
投稿者: a-hashi | 2007年07月18日 02:27
日時: 2007年07月18日 02:27
>a-hashiさん
コメントありがとうございます。
そうなんですよね、「政教分離」といえば、多くの人が「宗教→政治」がけしからんというふうに思われているようですが、実際のところは「政治→宗教」の介入を禁止するものなんですよね。
ただし、「特定の宗教→政治」が強くなりすぎると、結果的に「政治→特定の宗教以外の宗教」への介入という事態を招きかねないということですね。
日本の現状からすると、かなり強く「特定の宗教→政治」の力学が働いておりますので、そのせいもあって「政教分離」は「宗教→政治」の禁止だと思われているような気がします。
仏教徒も、暴力に訴えるのではなく、仏教徒として言うべきこと行動すべきことをしっかり実行していくというのは、ひとつ大事なことだと思います。
投稿者: 松本 | 2007年07月18日 09:32
日時: 2007年07月18日 09:32
「宗教が政治活動をすることはけしからん」というのが日本的常識となっていますね。だから創価学会は信用が出来ない・・・と多くの国民が思っている。では、その日本的常識はどのようにして出来たか?といえば、明治維新の近代国家立ち上げと拡大路線の原理に国家神道(天皇主義)を置いたことにあると思っています。つまり日本という国は「宗教的狂乱」によってできたといっても過言ではないと思います。ところが戦争に負けた。国家神道を排除するというアメリカのねらいと敗戦による宗教的狂乱への拒否感情が相まって日本的常識(宗教感情)ができたと考えられます。
しかし宗教と政治が不可分の関係にあることは歴史的な事実ですし、今日でも世界の大多数の国が宗教国家あるいは宗教の影響下にあります。つまり「宗教が政治活動をすることはけしからん」という日本の常識こそが世界の非常識だと考えます。
創価学会を原理とする新自由主義国家、あるいは新自由主義による貧困層の増加と創価学会の勢力拡大が公明党の戦略であると言われています。もしそうであるならば、由々しき(いまわしい)問題です。かといって学会の政治活動を軽々に批判非難するのも非常識です。
日本の伝統的仏教教団はあまりにも政治に無関心すぎます。世俗化の極みにあるといっても過言ではないのかもしれません。政治と宗教の緊張関係の保持、あるいは構築に力を注ぐべきでしょう。
にもかかわらず、宗教の直接政治活動、特に今回の宗門を挙げての選挙活動には疑問を禁じ得ません。あまりにも唐突で場当たり的で思慮深さに欠けた暴挙であるように思うからです。
政治と宗教の緊張関係の保持あるいは構築には、先ず「仏教ダイナミズム」(大乗仏教原理主義と言い換えてもよいと考えます。)を明らかにすることが優先課題だと思います。
投稿者: 藤谷文孝 | 2007年07月21日 13:09
日時: 2007年07月21日 13:09
①「宗教」⇒「政治」について
「宗教」⇒「政治」で怖いのは、信仰心を利用した票の獲得かと思います。宗教家が、100%良い人で、善人しかいないなんてことは、ありえません。
そもそも、お釈迦様の教えがありがたいから一票いれるんじゃ、あんまりですよ・・。
②「宗派として公式に応援」について
いち僧侶が、個人の信念をもとに政策を掲げて出馬するのは、全く問題ないと思います。例え、そこに宗教的な信念・解釈があっても、それはあくまで個人の信念・解釈ですから。
しかし、宗派を挙げてとなると、全く違うと思います。宗派として公式に応援ということは、「宗派の教義を政策に落とし込むと、こうなります」という公式見解をしたに等しいわけです。仲間が出馬したから公式に応援なんて安易な気持ちじゃまずいですよね。政策に反対!の信者は・・・。
投稿者: 大島 | 2007年07月27日 01:17
日時: 2007年07月27日 01:17