宿坊の経営事情を教えてくれる資料はあまりないのですが、村山坊という宿坊の資料が残っています。それを見ていくことにしましょう。
村山坊は、222の講中を持っていました。天保2年(1831)の事例ですが、夏山(22日間)の時期に宿泊した講中は213でした。その人数ですが、総計857人だったそうです。
1つの講中で平均4人ほどが代参してきているわけですか、その人数にはかなりの幅がありました。1人でという事例が、33組もありました。一方、10人以上という事例は14組あります。
宿泊料ですが、1泊300文というのが通例でした。かけ蕎麦1杯が16文という時代ですから、蕎麦代の20倍弱ということになります。旅篭の宿泊料が1泊250文というのが相場でしたから、それより少し高めということになるでしょう。
ただし、講中は宿泊料だけ宿坊に支払ったのではありません。茶代と称して、その1割ぐらいを渡していました。他に、心付けもあります。
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"九章十二話 宿坊経営"