2008年9月16日

御師は檀廻りする時、どんな格好をしていたのでしょうか。

腰には大小の刀を差していました。従者も連れています。そして、「御膳籠」を担がせていたのですが、この籠の中には何が入っていたのでしょう。

八大坊から受け取った御札のほか、買い入れた檀家へのお土産も入っていたのですが、村山坊の御師が相模原台地の農村地帯8ケ村245軒を廻った時に、従者に持たせていたお土産品についてみてみましょう。今回は、嘉永7年(1854)の事例です。

この8ケ村は大山の近隣でしたので、年に4回も、御師は檀廻りをしています。正月の檀廻りから見ていきましょう。

お土産と言っても、一般の講員と講元では違っていました。一般の講員用として、大札を260枚。小判を1800枚。八寸はし(木はし)も550膳も持参しています。

大札というのは、御札のことです。ほぼ檀家数ということになるでしょう。小判とは何でしょうか。

小判とは本物の小判ではなく、模造品でした。大山が模造した小判ですが、いわばグッズのようなものでしょう。玩具のようなものだったのではないでしょうか。8枚ぐらいずつ、配付したのでしょう。八寸はしも、大山に参詣すれば、お土産として販売されていたのでしょう。

これは一般の講員へのお土産でしたが、講元へは別の品も持参していました。以下列挙してみます。

御膳供木札1つ。お守り2つ。半紙17把。海苔6包。昆布90袋。名古屋菓子17包。氷豆腐2つ。奉書1。扇子1対。

いかに、御師が講元に気を遣っていたかが分かる品目なのではないでしょうか。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。近著に『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)、『大名屋敷の謎』(集英社新書)、『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)『徳川将軍家の演出力』(新潮新書)。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」講師も勤める。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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