2008年9月 2日

御師は普段、大山の麓で生活していましたが、年2回ぐらい講中のもとを回っていることは、既に述べたところです。これを檀那廻りと称しました。檀廻りとも言います。

師檀関係を継続していくには檀廻りは必要不可欠な営業活動のようなものでしたが、具体的にはどんな形でおこなわれたのでしょうか。まず、御師の家の中を覗いてみることにしましょう。

御師の家には、自分の檀家に関する台帳が大事に保管されていました。そこには何が書かれているのでしょうか。

檀家が住んでいる地域を檀那場と言いましたが、その国や郡・町村名が台帳には書き上げられていました。そのほか、講元。副講元。世話人。檀家数はもちろんです。

講元というのは、講中の代表者のことです。世話人とは幹事役です。御師が講元や世話人に大変気を遣っていたことは言うまでもありません。

檀廻りについての記載もあります。廻る順番や講中に届ける品物などが記述されています。御師にとっては、マニュアルのようなものでした。そのマニュアルをもとに、御師は檀廻りの計画を立てていくわけです。

大山講の講中は関東一体に展開していましたから、この檀那廻りを効率よく実行するには、しっかりとした計画を立てる必要がありました。その際、威力を発揮した先例の記録集なのです。

檀廻りの時期ですが、大概は春山(6月27日~7月7日)、夏山(7月14日~7月17日)を除いた時期に設定されました。農村の場合は、秋の収穫が済んだ暮れから正月にかけての農閑期に廻っています。

遠方の場合は、年1回ぐらいになってしまったようです。1回の檀廻りのため、2~3ケ月要する場合も珍しくありませんでした。

ただし、近隣の農村の場合は、年3~4回廻ることもありました。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。近著に『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)、『大名屋敷の謎』(集英社新書)、『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)『徳川将軍家の演出力』(新潮新書)。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」講師も勤める。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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