2008年8月19日

講中が大山に参詣する時は、御師が経営する宿坊に宿泊・休憩するのが通例でした。その経営事情などを細かく見てみます。

その前に、御師はどのような形で収入を得ていたのかを見ていきましょう。

何と言っても、宿坊経営による収入です。講による参詣と言っても、代参者数人を立てての参詣ですが、その宿泊代が貴重な収入となっていました。

宿泊代だけではありません。宿泊した翌朝に、大山に登山して参拝するわけですが、その前に、御師は参拝者に祈祷などをして、その料金を受け取っています

同行して道案内もします。御師は先導師でもありました

参詣が終わると、講中に御札を配布します。参詣できなかった講員用の御札も配布していますが、それなりの心付けも、講中から受け取っていることは言うまでもありません。

竈祓いに伴う収入もあります。檀那廻りによる収入は後でご紹介しますが、 竈祓いとは年末から年の初めにかけて、2~3週間にわたって、檀家のもとを廻るものです。その家の無事繁栄を祈って、竈祓いをおこない、謝礼を受け取るのです。

「初穂受け」というものもあります。これは農村の講中を対象としたものです。

収穫時に、御師は天秤を担いだ供人を連れて檀家を廻り、初穂を受けています。春に御師がやって来て、豊作を祈願するのですが、秋の収穫時に再びやって来て、豊作の御礼を初穂として受け取るというわけなのです。

米の収穫時に受け取る御礼は、「米初」(こめはつ)。「麦初」「綿初」「蚕初」というものもあります。その意味は何となく分かるのではないでしょうか。このよう形で、御師は農村との繋がりを深め、自分の経営基盤も強化していたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト