2008年7月22日

御師(おし)とは、どういう人たちなのでしょう。

御師とは特定の寺社に属して、参詣者を自分の属する寺社に導く者のことです。人々を導くだけでなく、祈祷を行ったり、参詣者に宿泊所も提供したりしました。導いた参詣者を檀那(信者)として、師檀関係を結んだのです。

大山だけでなく、この時代、特に伊勢神宮に参詣する人は物凄い数にのぼりました。年間、100万人前後が参詣したと伝えられています。その場合も、伊勢神宮に属すの御師が江戸の人々を伊勢神宮に導いていたのです。

こうした事例は枚挙に暇がないほどあります。当時は富士山信仰も根強く、富士山に参詣した人も多かったのですが、江戸の各所には富士山に模した富士塚が造られています。

富士山は女人禁制だったということもありますが、富士山まで行けない江戸の人々が富士塚を造って、そこに参詣することで、富士山参詣の代りにしていました。もちろん、富士塚でしたら、女性でも登ることができました。

さて、大山の場合ですか、御師の数は170人前後でした。どこに住んでいたかと言いますと、現在の伊勢原市の伊勢原口と秦野市の秦野口の2ケ所に分れて、集落を作っていました。これを御師集落と呼んでいました。

つまり、大山の麓に住んでいたのですが、伊勢神宮の御師にしても、神宮の近くに住んでいました。御師は、その寺社の麓に住むのが普通でした。

さて、御師は参詣者を檀那として師檀関係を結んだわけですが、具体的には講という形でした。つまり、これから述べていきますように、講中(大山講)の結成とその維持こそが、大山御師の最大の役割であり任務でした。

大山講そして大山御師の存在なくして、江戸っ子の心に大山信仰が浸透していくことなど、到底有り得なかったのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト