江戸っ子が大山に向かう際には、両国橋東詰の下流側で水垢離(みずごり)をするのが慣習となっていました。ちなみに、大山詣をするのは男性のみでした。
江戸の名所旧跡などを取り上げたガイドブックである「続江戸砂子」(ぞくえどすなご)には、その様子が次の通り記述されています。
浅草川で17日間、水垢離をすると書いてあります。浅草川とは隅田川のことですが、17日間、具体的に毎日、どういうことをするのかと言うと、大きな木太刀を手に持って、乳の辺りまで水に浸かります。
そして、先達の法螺貝に合わせて、「懺悔、懺悔、六根精浄」(ざんげ、ざんげ、ろっこんしょうしょう」などと唱えたそうです。こうして、自分の体を清めたのです。
江戸を出立する時だけではありません。大山の麓に到着すると、今度は滝に打たれて身を清めます。その後、山を登るのです。
両国橋脇の水垢離場に話を戻しますが、「六根精浄」と唱えただけではありません。サシ(ワラシベ)を手にして、1本ずつ流したのです。大山詣に出発する前の通過儀礼のようなものだっのですが、これを17日間続けたのです。両国での水垢離は、江戸の名物として、大山詣のシンボルとして、当時は広く知られていました。
木太刀ですが、「奉納大山石尊大権現天狗小天狗諸願成就」と書かれていました。これを持って大山に向かい、奉納するのです。そして、他の人が奉納した木太刀を持ち帰って祀ったことは、既にご紹介しました。
大山に向かう姿ですが、白の行衣を着用します。半纏を着用する場合ねあったようです。そして、鉢巻きを締めて出発です。もちろん、木太刀は持っています。
大山へは1泊2日の道のりでしたが、大山ではどこに宿泊したのでしょうか。もちろん門前には宿屋もありましたが、御匠の家で宿泊する者も多数いました。
この御師とは、どんな人なのでしょうか。大山に向かう江戸っ子は大山講として参詣したのですが、大山講の組織化に御師は非常に重要な役割を果たしていたのです。