2008年7月15日
9章6話.jpg

江戸っ子が大山に向かう際には、両国橋東詰の下流側で水垢離(みずごり)をするのが慣習となっていました。ちなみに、大山詣をするのは男性のみでした。

江戸の名所旧跡などを取り上げたガイドブックである「続江戸砂子」(ぞくえどすなご)には、その様子が次の通り記述されています。

浅草川で17日間、水垢離をすると書いてあります。浅草川とは隅田川のことですが、17日間、具体的に毎日、どういうことをするのかと言うと、大きな木太刀を手に持って、乳の辺りまで水に浸かります。

そして、先達の法螺貝に合わせて、「懺悔、懺悔、六根精浄」(ざんげ、ざんげ、ろっこんしょうしょう」などと唱えたそうです。こうして、自分の体を清めたのです。

江戸を出立する時だけではありません。大山の麓に到着すると、今度は滝に打たれて身を清めます。その後、山を登るのです。

両国橋脇の水垢離場に話を戻しますが、「六根精浄」と唱えただけではありません。サシ(ワラシベ)を手にして、1本ずつ流したのです。大山詣に出発する前の通過儀礼のようなものだっのですが、これを17日間続けたのです。両国での水垢離は、江戸の名物として、大山詣のシンボルとして、当時は広く知られていました。

木太刀ですが、「奉納大山石尊大権現天狗小天狗諸願成就」と書かれていました。これを持って大山に向かい、奉納するのです。そして、他の人が奉納した木太刀を持ち帰って祀ったことは、既にご紹介しました。

大山に向かう姿ですが、白の行衣を着用します。半纏を着用する場合ねあったようです。そして、鉢巻きを締めて出発です。もちろん、木太刀は持っています。

大山へは1泊2日の道のりでしたが、大山ではどこに宿泊したのでしょうか。もちろん門前には宿屋もありましたが、御匠の家で宿泊する者も多数いました。

この御師とは、どんな人なのでしょうか。大山に向かう江戸っ子は大山講として参詣したのですが、大山講の組織化に御師は非常に重要な役割を果たしていたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。近著に『幕臣たちの明治維新』(講談社現代新書)、『大名屋敷の謎』(集英社新書)、『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)『徳川将軍家の演出力』(新潮新書)。東京理科大学生涯学習センター、JR東日本・大人の休日倶楽部「趣味の会」講師も勤める。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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