2008年7月 1日

大山不動に参詣すると言っても、一年中というわけではありませんでした。参詣者が集中したのは、春山(4月15日~24日)、夏山(7月27日~8月17日)の時期でした。

春山の時期は農閑期にあたるため、近在や関東一円の農民が数多く参詣したようです。夏山の時期は盆山とも言い、特に江戸からの参詣者で溢れました。

神仏分離前の江戸時代には石尊大権現と呼ばれていた大山阿夫利神社は、雨乞いの神様として大山の麓に広がる農民から厚く信仰されていました。江戸時代の事例ですが、次のような風習があったと言います。

日照りが続いて水が不足すると、農村では、お神酒枠と呼ばれる小さな社を2つ用意します。その社を棒の前後に差して、肩に担ぎ、大山に向かいます。その中には、お神酒徳利が入るようになっていたそうです。

そして、徳利に大山から湧き出している水を入れて持ち帰ります。水不足に苦しむ農家の田畑に撒いたり、神社で奉納祈願をしたのです。雨乞いの神事に用いたわけです。

さて、江戸の人々が参詣したのは夏山の時期だったわけですが、細かく見ていくと、7月27日から31日までを初山。8月1日~7日を七日道。8月~12日を間(あい)の山。8月13日から15日までを盆山。16日~17日を仕舞(しまい)山と呼んでいました。

この時期には、奥の院まで開放されました。そのため、門前町はもちろんのこと、周辺も参詣客などで賑わいました。大山街道沿いの店のほか多摩川や相模川の渡し場も、参詣客でごった返しました。

そうした賑わいに目を付けて、別のお寺が大山不動への参道に自院のお地蔵様を持ってくることもありました。出開帳というわけですが、自然とお賽銭が溜ってしまったそうです。これを2~3年続けると、自院の本堂の建設資金が賄えたとまで伝えられています。大山詣の参詣者がいかに多かったかが良く分かる話です。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト