2008年6月10日

現在の神奈川県伊勢原市に、大山(おおやま)という標高1253メートルの山があります。この辺りは、ハイキングでも知られる丹沢山系の地域に当たりますが、その最も南東に大山は位置しています。

この大山には、阿夫利山(あふりさん)という名前がありますが、雨降山とも呼ばれていました。雨を降らせてくれる山として、古くから厚い信仰を集めていたのです。特に農民にとっては雨は大切ですから、雨乞いの対象として、その心に深く根付いていったようです。

大山の頂上には、大山阿夫利神社の本社が鎮座しています。そして山中に、阿夫利神社の下社そして大山寺があります。

阿夫利神社には、石尊大権現、大雷神、高おかみ神、鳥石楠船神(とりのいわくすふね)などが祀られています。大山寺の本尊は不動明王です。成田不動、高幡不動、そしてこの大山不動が、関東の三大不動と呼ばれています。

大山は石がご神体ということですが、大雷神は気象を司る神様で、高おかみ神は竜神。祈雨の神様でした。鳥石楠船神は航海の神様でした。そのため、雨乞い、豊漁の神様として、農民や漁民に厚く信仰されていきます

大山寺の方ですが、天平勝宝7年(755)に華厳宗の祖であり、東大寺建立に尽力した良弁が開山と言われています。空海も入山したと言います。その折、錫杖を立てると泉が湧いて井戸になったそうです。平安時代以降、神仏混淆の修験道の霊場として栄えていきます。

鎌倉時代以降で言うと、時の武家の統領である源頼朝、足利尊氏の帰依を受けました。戦国時代には、関東の雄である後北条氏、そして豊臣秀吉により滅ぼされると、代って関東の主となった徳川家からの帰依を受けることになります。

特に、3代将軍徳川家光は伽藍の再建を強力に進めます。将軍の強力なバックアップのもと、本堂などの堂社が落成し、大山不動は隆盛の道を歩んでいくのです。

今回は、この大山不動や大山阿夫利神社への参詣、すなわち大山詣をめぐる光景をご紹介していきます。江戸の人々は大山講と総称される講を結んで、大山に向かいました。ここでも、講の果たした役割は大きかったのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト