東京の青山から渋谷方面には、現在国道246号線が走っています。俗に大山街道とも呼ばれています。元々は、江戸の人々が大山不動に参詣する時に使用した街道です。
大山を起点とする大山街道にはいくつもありました。七~八ケ所ほどありましたが、江戸からの参詣者が主に使った街道は、この矢倉沢往還とも呼ばれた道でした。
江戸から青山・宮益坂、三軒茶屋。そして多摩川を渡って二子・溝ノ口・長津田・厚木・伊勢原・矢倉沢を経て、駿河国に達する街道です。途中、大山の麓を通過する形を取るため、大山街道とも呼ばれていました。
江戸から駿河方面に向かう街道には東海道があります。東海道は五街道の一つですが、矢倉沢往還はそれに準じる脇往還と呼ばれていました。しかし、脇往還とは言え、その通行量は多かったようですが、なかでも大山への参詣者がかなりの割合を占めていました。
特に夏となると、大勢の参詣者が通行し、街道筋への経済効果は莫大だったようです。大山不動の門前町も、その恩恵を受けたことは言うまでもありません。
大山には江戸に限らず関東一帯から参詣者がやって来ました。後に述べますように、大山講という形で御参りしたのですが、七~八ケ所の大山街道沿いには定宿と呼ばれているものがありました。
138軒ほどあったそうですが、この宿は大山が参詣者の便をはかるために指定した宿でした。特定旅館のようなものでしょう。この宿に宿泊すれば、安全に旅することができるというお墨付きを与えたわけです。それにしても138軒という数は、大山への参詣者が相当数に及んでいたことを暗示させます。
これは大山講の場合ですが、成田講などの場合も、そうした指定旅館制度という事情は同じでした。江戸は泰平の世でしたが、旅に出るとなると、いろいろな危険が待っています。その辺りを踏まえて、旅館と提携することで、参詣者が安心してお参りできるように配慮したのです。