2008年6月24日

東京の青山から渋谷方面には、現在国道246号線が走っています。俗に大山街道とも呼ばれています。元々は、江戸の人々が大山不動に参詣する時に使用した街道です。

大山を起点とする大山街道にはいくつもありました。七~八ケ所ほどありましたが、江戸からの参詣者が主に使った街道は、この矢倉沢往還とも呼ばれた道でした。

江戸から青山・宮益坂、三軒茶屋。そして多摩川を渡って二子・溝ノ口・長津田・厚木・伊勢原・矢倉沢を経て、駿河国に達する街道です。途中、大山の麓を通過する形を取るため、大山街道とも呼ばれていました。

江戸から駿河方面に向かう街道には東海道があります。東海道は五街道の一つですが、矢倉沢往還はそれに準じる脇往還と呼ばれていました。しかし、脇往還とは言え、その通行量は多かったようですが、なかでも大山への参詣者がかなりの割合を占めていました。

特に夏となると、大勢の参詣者が通行し、街道筋への経済効果は莫大だったようです。大山不動の門前町も、その恩恵を受けたことは言うまでもありません。

大山には江戸に限らず関東一帯から参詣者がやって来ました。後に述べますように、大山講という形で御参りしたのですが、七~八ケ所の大山街道沿いには定宿と呼ばれているものがありました。

138軒ほどあったそうですが、この宿は大山が参詣者の便をはかるために指定した宿でした。特定旅館のようなものでしょう。この宿に宿泊すれば、安全に旅することができるというお墨付きを与えたわけです。それにしても138軒という数は、大山への参詣者が相当数に及んでいたことを暗示させます。

これは大山講の場合ですが、成田講などの場合も、そうした指定旅館制度という事情は同じでした。江戸は泰平の世でしたが、旅に出るとなると、いろいろな危険が待っています。その辺りを踏まえて、旅館と提携することで、参詣者が安心してお参りできるように配慮したのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト