2008年5月13日

高尾講も成田講や川崎大師講と同じく、多彩な講中から構成されていましたが、江戸ならではの講中があります。江戸の華と称された火事に関連する講です。

江戸の消防を担ったのは、いろは47組から構成されている江戸町火消などですが、彼ら町火消たちも、高尾講を結成していたのです。本尊飯縄権現の本地が不動明王であるため、火難除けにご利益があると認識されていたからでした。講中を結成して高尾山を厚く信仰することで、火難を避けようとした町火消たちの心理が読み取れます。

ですから、高尾山に参詣すると、◎組講中が寄進したとある石造物を見ることができるのです。そうした事情は、成田不動を本尊とする成田山にもあてはまります。成田山に参詣すると、ここかしこに、◎組講中の寄進物を見付けることができます。

多彩な江戸の高尾講に対して、高尾山は貫主自ら、その関係を継続的なものにしようと奔走しています。高尾山は、江戸からはさほど遠くはないため、貫主が江戸に出府してくることは珍しくありませんでしたが、その折は、講中との交流を積極的にはかります。

貫主が江戸に出てくるのを契機に、新たな講中が誕生することもままありました。江戸滞在中は、新講中の届け出があったり、講中からの相談を受けるということも度々でした。檀家に赴いて、加持祈祷することもありました。逆に護摩檀家からは、土産物が次々と届けられています。

1日に、100軒ほどの講中を訪問したこともあったようです。それだけ、江戸の高尾講を高尾山は重視していたということなのです。こうした努力が日の目を見る時が、江戸出開帳の時だったのです。言い換えると、江戸の高尾講の助力なしに、江戸出開帳は実現不可能でした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト