高尾講も成田講や川崎大師講と同じく、多彩な講中から構成されていましたが、江戸ならではの講中があります。江戸の華と称された火事に関連する講です。
江戸の消防を担ったのは、いろは47組から構成されている江戸町火消などですが、彼ら町火消たちも、高尾講を結成していたのです。本尊飯縄権現の本地が不動明王であるため、火難除けにご利益があると認識されていたからでした。講中を結成して高尾山を厚く信仰することで、火難を避けようとした町火消たちの心理が読み取れます。
ですから、高尾山に参詣すると、◎組講中が寄進したとある石造物を見ることができるのです。そうした事情は、成田不動を本尊とする成田山にもあてはまります。成田山に参詣すると、ここかしこに、◎組講中の寄進物を見付けることができます。
多彩な江戸の高尾講に対して、高尾山は貫主自ら、その関係を継続的なものにしようと奔走しています。高尾山は、江戸からはさほど遠くはないため、貫主が江戸に出府してくることは珍しくありませんでしたが、その折は、講中との交流を積極的にはかります。
貫主が江戸に出てくるのを契機に、新たな講中が誕生することもままありました。江戸滞在中は、新講中の届け出があったり、講中からの相談を受けるということも度々でした。檀家に赴いて、加持祈祷することもありました。逆に護摩檀家からは、土産物が次々と届けられています。
1日に、100軒ほどの講中を訪問したこともあったようです。それだけ、江戸の高尾講を高尾山は重視していたということなのです。こうした努力が日の目を見る時が、江戸出開帳の時だったのです。言い換えると、江戸の高尾講の助力なしに、江戸出開帳は実現不可能でした。