2008年5月 6日

護摩檀家は武士だけではありません。裕福な江戸商人たちも、高尾山の護摩檀家でした。「江戸田舎日護摩講中元帳」から、どんな商人たちが檀家だったかを見ていきましょう。

呉服問屋、米穀問屋、炭薪問屋などの商人の名前が多数みられますが、呉服問屋のなかには、三井越後屋や伊豆蔵の名前があります。江戸を代表する豪商でした。成田講の事例でみたように、江戸の富裕層を護摩檀家としていたことが分かります。

高尾山としては、江戸の豪商を護摩檀家とすることで、その富を経営基盤に組み込むことができたわけです。三井越後屋などは成田山の江戸出開帳の時、成田不動を守護する行列が休憩する場所になっていました。成田山の有力スポンサーでもあったからです。

成田不動の江戸での足取りを追って行くと、成田山の支持基盤が自然と浮き彫りになっていくことは、成田講の事例でみたとおりです。スポンサーであるからこそ、成田不動はわざわざ三井越後屋にやって来たわけです。

豪商の側からみると、成田山のスポンサーとなることで、信者への好感度はアップすることでしょう。それが狙い目だったわけですが、三井越後屋が高尾山の護摩檀家になったことにも、同じ思惑があったことは言うまでもありません。

高尾山にとっても、三井越後屋が護摩檀家であることは、物心両面での強力なバックアップが期待できたでしょう。さらに、その事実は越後屋の御得意さんへのアピールにもつながります。ですから、江戸に貫主がやって来た時には、豪商の家をわざわざ訪れ、関係の維持強化につとめています。

大商人だけでなく、小売り商人や様々な職種の職人にも、護摩講中のメンバーでした。成田講や川崎大師講と同じく、高尾講もたいへんバラエティーに富んでいた講中だったわけです。これは職業別の講ですが、地域で結成された講もあります。「新宿講中」「鎌倉河岸講中」「堺町講中」などがあります。

「御膳講」「杉筍講」という講中もあります。それぞれ、御膳や杉筍を奉納するために結成された講なのでしょう。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト