2008年3月18日

高尾山に残された檀家関係の資料のうち、「永代日護摩家名記」(えいたいひごまかめいき)という帳簿から見ていきます。

この帳簿は護摩檀家への加入者を記録したものなのですが、護摩檀家とは一体何でしょう。
お寺の檀家と言うと、そのお寺にお墓があるというイメージがあります。実際、そうなのですが、ちなみに辞書を引いてみると、「一定の寺院に属し、これに布施をする俗家」という意味が出てきます。

檀那という言葉もあります。「仏家が財物を施与する信者を呼ぶ言葉。施主。檀越。檀家」という意味です。同じような意味であるわけですが、要するに、語義からすれば、お墓があるかどうかが檀家・檀那である絶対条件というわけではないでしょう。もちろん、一人、一家族で一つのお寺の檀家・檀那という事例が大半なのでしょうが、複数のお寺の檀家・檀那であっても、別に問題はなかったはずです。

高尾山にも檀家は大勢いましたが、ここで言う護摩檀家とは、高尾山に永代護摩供養料を納めた者のことです。帳簿を見ると、名前の横に、加入の年次と居住地が記されています。つまり、そのデータを集計することで、高尾山の支持基盤が見えてくるというわけなのです。

永代護摩供養料とは、どれくらいの価格なのでしょうか。
その額は金2分です。金4分で1両なので、1両の半分ということになりますが、1両は現在の貨幣価値に換算すると、どれくらいになるのでしょう。

これはたいへん難しい問題で、時代によって全く違います。1両と言っても、物価の上昇により、購入できるモノは限られるのですが、1両10万円という換算方法がよく取られますので、10万円とすると5万円ということになります。5万円払えば、高尾山から永久に護摩の御札をいただけるというわけなのです。御札と言っても、木ではなく紙なのでしょうか。

安いのか高いのか、一概には言えません。ですが、5万円納められるのは、ある程度の経済力がある者に限られるでしょう。金2分を納めて、高尾山の護摩檀家となったのはどんな人たちなのでしょう。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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