2008年3月11日

高尾山は、高尾山薬王院真喜寺と言います。新義真言宗智山派の大本山です。

高尾山と言うと、天狗が代名詞にもなっていますが、高尾山の信仰の中心は飯縄(いづな)権現堂です。中興開山とされる俊源は高尾山中で修行中、その夢に現れた飯縄権現を祀りました。これにより、以後高尾山は飯縄権現を本尊とするのです。

飯縄権現は、不動明王を本地とする習合神です。不動明王のほか、迦楼羅天、荼枳尼天、歓喜天、宇賀神の五相合体の姿をしています。その御影ですが、火炎を背負い、剣を捧げる不動明王の肢体に嘴と翼を備えているというものです。そして、足首には蛇を巻き、白狐の背に乗った姿をしています。

高尾山は寺院ですが、飯縄権現を祀ることで修験道の霊場としても知られるようになります。修験たちの活動により、高尾山信仰は庶民にも広まっていくのでした。こうして、江戸周辺の霊場として、江戸からも多くの参詣者が訪れるようになります。ですから、山上に行くと、飯縄権現堂(本社)と薬王院真喜寺(本堂)があるわけです。

つまり、神仏習合神である飯縄権現が高尾山の本尊なのですが、別当寺は薬王院真喜寺でした。この薬王院が、高尾山内の僧侶たちを統括していたのです。江戸時代には醍醐寺三宝院の院家・無量寿院を本山としていましたが、明治に入ると、智山派に所属します。

以下、高尾山が所蔵している資料から高尾山信仰の基盤を見ていきますが、残念ながら、江戸以前の様子を教えてくれる資料はほとんどないのが現状です。

高尾山の地元である東京都多摩地域に基盤があったことは間違いありませんが、家康が江戸に入り、将軍のお膝元として百万都市に発展していくにの合わせて、江戸の町に信者を増やしていきます。こうした努力が、現在の高尾山が東京からの参詣者で賑わう最大の理由となるのです。

 まずは、護摩関係のデータから、江戸の町での高尾山の活動の様子をみていくことにしましょう。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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