開帳前年の大正13年(1924)8月18日、川崎大師で開帳準備会が開催されました。そして、以下の条項が決議されます。
まず、第1条目では、開帳期間を大正14年4月11日から5月10日までの30日間と定めています。第2条目では、檀家総代を招集して、開帳実施を発表するとしています。お寺の行事に檀家の力が必要なことは言うまでもありませんが、尽力を期待したのは檀家だけではありません。豆まき世話人と講元・篤信にも大きな期待を寄せていました。
第3条目は、豆まき世話人についての条文です。開帳準備にあたり、地元の人々との連絡役を期待していたようです。居開帳となれば、門前の商店など地元の協力は不可欠ですが、その仲介役を勤めていたのが、豆まき世話人でした。豆まき世話人と言っても、節分のときだけに活躍するわけではなかったようです。
第4条目では、全ての講元のもとに推参し、尽力を依頼すると決議しています。講元とは、講社(中)を主催する代表世話人のことです。
川崎大師の大師講は、地元の川崎はもちろん、関東各地で結成されていましたが、何と言っても、東京の講社が最大勢力であったことは間違いありません。江戸の頃から、そうした事情は同じなのでした。
川崎大師が物心両面での協力を最も期待していたのは、東京各地で結成されていた大師講でした。ですから、東京の講元には、たいへん気を遣っているようです。
第5条目では、開帳の案内状を講元と篤信に発送すると決議しています。檀家、講元のほかに、篤信にも期待していたことが分かります。篤信とは、信仰が厚い人のことですが、檀家も講元(講員)にしても篤信であることに違いはありません。
つまり、川崎大師を厚く信仰している人のうち、檀家でも講社のメンバーでもない人を篤信と呼んで、尽力を期待したわけです。案内状発送後、川崎大師では講元や篤信のもとを個別に訪れて、協力を依頼して回ります。江戸出開帳の時にも、講元や篤信へのアプローチは盛んに行っていたはずです。
第5条目では、開帳ポスターの掲示の件です。駅や関東各地の町村役場に依頼して、貼ってもらおうというわけです。なかでも、最も期待していたのが京浜電気鉄道でした。