2008年2月12日

開帳前年の大正13年(1924)8月18日、川崎大師で開帳準備会が開催されました。そして、以下の条項が決議されます。

まず、第1条目では、開帳期間を大正14年4月11日から5月10日までの30日間と定めています。第2条目では、檀家総代を招集して、開帳実施を発表するとしています。お寺の行事に檀家の力が必要なことは言うまでもありませんが、尽力を期待したのは檀家だけではありません。豆まき世話人と講元・篤信にも大きな期待を寄せていました。

第3条目は、豆まき世話人についての条文です。開帳準備にあたり、地元の人々との連絡役を期待していたようです。居開帳となれば、門前の商店など地元の協力は不可欠ですが、その仲介役を勤めていたのが、豆まき世話人でした。豆まき世話人と言っても、節分のときだけに活躍するわけではなかったようです。

第4条目では、全ての講元のもとに推参し、尽力を依頼すると決議しています。講元とは、講社(中)を主催する代表世話人のことです。

川崎大師の大師講は、地元の川崎はもちろん、関東各地で結成されていましたが、何と言っても、東京の講社が最大勢力であったことは間違いありません。江戸の頃から、そうした事情は同じなのでした。

川崎大師が物心両面での協力を最も期待していたのは、東京各地で結成されていた大師講でした。ですから、東京の講元には、たいへん気を遣っているようです。

第5条目では、開帳の案内状を講元と篤信に発送すると決議しています。檀家、講元のほかに、篤信にも期待していたことが分かります。篤信とは、信仰が厚い人のことですが、檀家も講元(講員)にしても篤信であることに違いはありません。

つまり、川崎大師を厚く信仰している人のうち、檀家でも講社のメンバーでもない人を篤信と呼んで、尽力を期待したわけです。案内状発送後、川崎大師では講元や篤信のもとを個別に訪れて、協力を依頼して回ります。江戸出開帳の時にも、講元や篤信へのアプローチは盛んに行っていたはずです。

第5条目では、開帳ポスターの掲示の件です。駅や関東各地の町村役場に依頼して、貼ってもらおうというわけです。なかでも、最も期待していたのが京浜電気鉄道でした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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