2008年1月22日
第五話「大師講の基盤」[2] (2).jpg

将軍の厄除けの身代りになったという評判が大きなインセンティブとなって、川崎大師には江戸から参詣者が押し寄せるようになりました。川崎大師にとっては、この人の流れを確実なものにするためにも、江戸での教線拡張に力を入れます。江戸での基盤を強固なものにしようとするのです。

厄除け大師が江戸に出向いて出開帳を行うのは、その一つです。御開帳を通じて、お賽銭などの臨時収入を得ることももちろんでしたが、成田山の事例でも見たように、江戸で大アピールすることで、江戸から川崎大師への参詣者の流れを作り出すというのが、その究極的な目的なのでした。

さて、成田山の場合は、成田講が江戸出開帳で大きな役割を果たしたわけですが、川崎大師の場合も同じです。川崎大師の場合は、大師講と呼びます。

大師講のメンバーには、川崎大師を檀家する人たちも含まれていたかもしれませんが、大半は違うでしょう。他寺を檀家とする人たちも、講という形でしたら、そのメンバーに加わることはできます。

成田山は成田講のパワーを結集することで、江戸に確固たる地盤を築きました。それが現代までつながっていくのですが、川崎大師の場合も、そうした事情はまったく同じなのです。

成田講ほど、大師講のメンバーについては良く分かっていませんが、断片的には分かりますので、以下見ていきたいと思います。

講社としては、下谷竜泉木魚講、御花講、淀橋常夜燈講などが古くからの講ということです。下谷竜泉木魚講とは、下谷竜泉寺門前に住む町人たちで結成されていた講のことでしょう。下谷竜泉寺門前と言うと、樋口一葉の生まれ育った町としても知られています。恐らく、下谷竜泉寺門前の町人たちが、川崎大師への信仰の証として木魚を寄進するというコンセプトのもと結成していた講なのでしょう。

御花講は、仏前に供える花を寄進するコンセプトのもと結成された講でしょうが、残念ながらメンバーが住む地域などは分かりません。

淀橋常夜燈講とは、常夜燈を寄進するコンセプトのもと結成された講ですが、淀橋とは甲州街道内藤新宿辺りの町のことです。現在で言うと、東京都庁の辺りですが、その町人たちがメンバーなのでしょう。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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