2008年1月15日

江戸のお坊さんたちは、自分の宗派だけでなく、他の宗派のお寺もよく回っているようです。情報収集という意図もあったのかもしれませんが、その一人に十方庵(大浄)敬順というお坊さんがいます。

この敬順という人物は、小日向(現東京都文京区)の廓念寺というお寺の住職でした。文化9年(1812)に隠居して、その後は悠々自適な生活を送ったのですが、江戸や近郊の観光名所を数多く訪れています。その中には、当然ながらお寺も含まれます。

その時の紀行文は『遊歴雑記』としてまとめられるのですが、敬順は川崎大師も参詣しています。どうも隠居する前だったようですが、その時の川崎大師の門前の様子は以下のようなものでした。

江ノ島に行く途中に参詣したようですが、その時の門前には2~3軒しか茶店はなかったと言います。ところが、山主が家斉の身代りになったという話が江戸に広まった後に参詣してみたところ、門前の光景は一変していました。

 敬順によれば、大きな茶店が10数軒立ち並んでいたそうです。それも、茶店というよりも、料理茶屋という感じの造りでした。店の規模は、間口でおおよそ察しが付くのですが、何と10~12、3間。20m前後というのですから、普通の茶店ではありません。

どうも、敬順は店内に入っているようです。風流な家作で、店内の庭には林や泉水が巧みに配置されていました。どう見ても、高級料理店という感じです。門前に立ち並ぶ店を見ると、そのお寺の参詣者の傾向が分かりますが、江戸の富裕層が川崎大師まで参詣していたことが想像できます。

将軍の身代りになったという評判の恩恵を受けていたのは、厄除け大師だけではありません。その門前町にも、莫大な経済効果を生んでいたのでした。高級料理店だけで10数軒というのですから、普通の茶店などは数知れずと言ったところでしょう。江戸から厄除け祈願を求めて、参詣者が大挙押し寄せていたことが分かります。

もちろん、川崎近郊からの参詣者も多かったでしょう。ですが、将軍様の身代りという評判で名を上げていたわけですから、その参詣者の大半は将軍様のお膝元・江戸からということになるでしょう。もしかしたら、川崎大師も、この評判を積極的に江戸の町に流していたのかも知れません。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト