2008年1月 8日
第3話「将軍の身代り」.jpg

将軍様のお陰で、江戸に住む武士や町人の間での川崎大師の知名度はアップしたのですが、運命が変わったのは、この後に起きた出来事でした。

家斉は25才本厄の前後年に参詣したわけですが、次の本厄は42才ということになります。この前厄の年と後厄の年に参詣しているのですが、前厄の年とは文化10年(1813)のことです。家斉41才の時でした。

家斉が参詣したのは、この年の9月28日のことです。ところが、その直前に、34世山主の隆円上人が急死してしまいます。このことが表沙汰になれば、家斉の参詣が中止になるのは必至でしょう。だから、その死を伏せて、川崎大師は家斉をお迎えしました。

江戸城から川崎大師となると、ゆうに10キロぐらいはあるのですが、家斉は日帰りで帰城しています。将軍に限らず、お殿様たちが参詣する時も日帰りだったようです。日帰りの旅行には、ちょうど適当な距離にあったのですが、宿泊するとなると何と言っても警備が大変です。ですから、朝早く城を出て、お昼を川崎大師で済ませ、夕方に帰城するというタイムスケジュールになります。

さて、家斉はその日のうちに城に戻ったのですが、参詣から帰った後、その事実を知ります。どういう経緯が良く分からないのですが、お側の者から、自分の身代りで隆円上人は死去したと、家斉は伝えられたそうです。

家斉は大変感動し、以後、川崎大師に対して強力なバックアップを展開します。寺領の寄進、境内の堂社整備、境内地の拡張などの援助を、川崎大師は引き出すことができたわけです。そして、将軍の身代りとなったという話が江戸の町に広まると、江戸から大挙、参詣者が押し寄せるようになります。

山主の急死という事実を伏せたこと、それを知りながら家斉に参詣してもらったということが幕府に知れれば、普通に考えると、何らかの処罰が下される危険性は当然あったでしょう。ところが、川崎大師は災い転じて福となしたのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト