2007年12月18日

成田山に参詣したのは、江戸の成田講だけではありません。檀家はもちろん、一般の参詣者もいます。しかし、今まで見てきましたように、成田講は成田山にとって大切な存在でした。特に、経済力ある江戸の成田講がそうでした。

お寺にとって、檀家の記録である過去帳はこの上なく大事な記録です。ですが、こうした講中のデータが記録されている帳面も、成田山のように、江戸っ子の浄財に大きく依存するお寺にとっては、この上なく貴重な情報なのです。

だから、こうした情報が記録されている帳面は大切に保管されました。現在まで残った結果、今まで述べてきたようなことが分かるのです。もし、その記録を失ってしまうと、江戸での足場を失い、戦略も立てられず、経営には大打撃ということになるでしょう。

お寺はこうした個人情報を元に、経営戦略を立てていました。その戦略の舞台は江戸とは限りませんが、成田山の場合は江戸が最重点地区であったことは間違いないでしょう。

檀家に経営基盤を置いていたお寺はたくさんあるわけですが、寛永寺・増上寺など将軍様を檀家としているようなお寺でしたら、それだけで良かったのかも知れません。経済力ある檀家を抱えていれば良いわけですが、そういうお寺はごく一部に過ぎないでしょう。

そのため、経営基盤を強化するための努力を、江戸時代のお寺は重ねています。いろいろな手法がありますが、講を組織化して、自分のお寺の境内まで江戸っ子を誘致する手法は、その代表的なものでした。

つまり、成田講という基盤を江戸で作り上げることで、成田山に江戸の富を誘導していくことが可能となるのです。こうして、成田山は地方の一寺院から全国区のお寺に飛躍していきました。成田山の現在の威容は、元をたどれば江戸に遡れると言っても決して言い過ぎではないでしょう。

となると、成田講との結び付きを維持強化するための江戸出開帳を、それのみの収支で評価するのは一面的ということになります。繰り返しになりますが、檀家や成田講への入会という形で成田山まで誘致できれば、目的は達せられたと評価することも可能でしょう。

そうした構図は、成田山だけにあてはまるものではありません。これから見ていく江戸近郊の巨大なお寺にも、共通してあてはまることなのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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→著者ブログ「江戸探訪記」
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト