2007年12月11日
十二話「精進落とし」決定.jpg

成田山で精進料理を食した後、成田講の面々は境内や門前でお札やお土産を買い求めます。成田山の境内を見てみると、さすがに江戸の浅草寺ほどではありませんが、飲食店はもちろん、様々な店が誘客合戦を繰り広げていました

土産物屋は定番ですが、現在の成田の土産物と言えば羊羹と漬物でしょう。ですが、江戸時代後期の事例で見ますと、苺おこしが有名だったと言います。

なかでも、見世物小屋は人気がありました。その見世物を見ると、動物の見世物、からくり人形、軽業、曲馬など多種多様でした。曲馬というのは、馬に乗って曲芸を見せるパフォーマンスです。

成田山も、江戸の芸能文化の発信地に他なりません。香具師の名前を見ますと、ほとんどが両国や浅草など江戸の香具師でした。地方興行していたわけです。まさしく、浅草寺などの空間が移転していたような光景が展開されていました。

さて、成田山を後にした成田講の面々や一般の参詣者は、江戸への帰途に就きます。いわば、往路と同じく復路でも船橋宿で宿泊するのがお決まりのコースでした。気が抜けたのかどうかは分かりませんが、船橋宿では精進落としと称して、宴会になってしまうのが実態でした。

精進明けとも言いますが、精進料理を食した日の夜には精進落とししてしまうわけです。むしろ、これが楽しみだった江戸っ子もかなりいたようです。

そのため、船橋宿は歓楽街として発展することになりました。ですが、このことは成田詣だけにあてはまることではありません。大山詣を終えた後に、藤沢宿などで精進落としと称して、どんちゃん騒ぎになってしまうことは良く知られています。通過儀礼のようなものでした。

しかし、いずれにしても、ここにも成田山の御利益が確認できるのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト