2007年12月11日

江戸の頃の話に戻ります。

成田講の面々に限らず、檀家にも精進料理は出したでしょうが、成田講に出す精進料理には、たいへん気を遣っています。檀家との関係は、ずっと続くわけですが、成田講の場合は必ずしもそうではありません。檀家と講の違いです。そのため、メニューには細心の注意を払ったわけです。

成田山には、料理の献立記録が残っています。一口に精進料理と言っても、季節そして奉納金額で、かなりの違いがありました。食材や料理数に格差があったわけです。つまり、奉納金額で、メニューはランク付けされていました

文政9年(1826)に成田山に御参りに来た本所堅川御手長講の献立を見てみます。隅田川から見て東側にあたる本所堅川地域のメンバーで構成されていた成田講です。御手長講は、以前取り上げました。護摩修行中に、講中全員が供物を順次手送りにして奉献し、それを各自いただくのです。

記録には、煮染め、吸い物、硯蓋、大鉢、大平、丼、大鉢、吸い物、大鉢、と書かれています。最初の吸い物で見ると、千本しめじ、白玉、かゐわり(貝割菜)うどが具でした。最後の方の吸い物は、水前寺のりとまつたけです。最後の大鉢には、葡萄と梨が盛られていました。

そのほか、メニューは奉納金額によってバラエティーに富んでいましたが、どんな食材が使われていたのでしょう。

順不同で列挙しますと、しめじ・きくらげ・まつたけ・しいたけ。これは地衣類ですが、野菜では、ゴボウ・しょうが・長イモ・れんこん・竹の子・ワラビなどがあります。

実に多彩な食材ですが、当時、これだけの食材を取り寄せるのは大変なことだったと言われています。それだけ、成田講には気を遣っていたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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