2007年12月 4日
十話「坊入り」.jpg

成田講の面々は、成田山に到着した夜は旅籠屋に宿泊します。そして翌日の早朝、成田山に参詣します。護摩を焚いてもらい、そのお札などをいただくわけです。

一般の参詣者は、その後、境内や門前町を回りながら、土産物などを買い求めるのでしょう。ですが、成田講の面々などは本坊に入っていきます。そこで、成田山から精進料理やお神酒をいただくのです。これを、坊入りと呼びます。このような行事は現在も行われています。

精進料理とは、精進物のみを用いた料理のことですが、江戸時代の頃のメニューをみる前に、現代の坊入りの様子から見てみましょう。

護摩の修行を受けた参詣者は、本坊の光輪閣に向かいます。非常に立派な建物ですが、そこで精進料理が出されます。ところが、不思議なことに、成田山の坊入りでは御飯が出てこないそうです。ただし、お神酒は出ます。

御飯が出てこない理由ですが、本坊でお腹が一杯になると、参道のお食事所が困るのではという配慮が働いているということです。成田では、お昼御飯のことを中食と呼ぶそうですが、中食は参道のお食事所でという配慮なのです。お寺と門前のお店は、共存共栄の関係にありました。だから、御飯は門前町のお店で食べて欲しいというわけなのでしょう。

料理のなかでも、大浦ゴボウは珍品だそうです。大浦ゴボウは、他の地域では入手できません。千葉県八日市場市大浦地区の10軒の農家だけで栽培されているゴボウです。八日市場市の天然記念物に指定されているほどです。

このゴボウは、輪切りの直径が約20cmもあります。成田山以外のお寺では食べれないものでした。こういう所にも、成田山の参詣者への細かい配慮が見つけられます。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト