2007年11月20日

お寺との関係で言うと、一番距離が近いのは檀家です。大半のお寺が、檀家との関係に経営基盤を置いていたことは、今も江戸も代わりはありません。しかし、檀家との関係だけにとどまっていたならば、今日の成田山はなかったでしょう。

成田山新勝寺の檀家の多くは、当然のことながら成田村と周辺の農民たちです。だから、出開帳の時に村を挙げて協力するのは、檀家である以上、何の不思議もありません。発言権もありますから、成田山としては、いろいろ気を遣っています。

しかし、成田山を支えたのは檀家だけではありません。成田講のメンバーたちにも大きく支えられていました。

成田講とは、成田不動を篤く信仰する講中のことです。不動明王を信仰しているので、不動講とも呼ばれていました。講員には檀家も含まれていたかもしれませんが、大半は檀家ではないでしょう。

江戸には、さまざまな講中がありました。川崎大師を信仰している人たちは大師講を構成しています。高尾山薬王院の場合は高尾講、大山不動の場合は大山講といった具合です。

講とは、お寺、神社、あるいは霊山、霊場に参拝し、奉加や寄進をおこなう集団組織のことです。信者からの動きで講が結成される場合もあったでしょうが、大半はお寺の側のアプローチで講は結成されます。成田講も例外ではありません。

もちろん、成田講は江戸だけにあったのではありません。地元の下総国をはじめ、関東各地にありました。出開帳をはじめとする成田山の布教活動の成果なのですが、江戸の成田講は経営面において、最大の支持基盤であったことは間違いありません。

成田山には、成田講についての史料が豊富にあります。その史料は、現在成田山霊光館に収蔵されているのですが、その史料から成田山を支えた成田講の姿を見ていきましょう。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト