現在、JR成田駅、京成成田駅を出て少し歩いて行くと、成田山への参道が見えてきます。本堂まではかなりの距離がありますが、道の両側には、様々なお店が立ち並んでいます。
参道を上っていくと、大きな建物が見えてきます。かつては、成田山への参詣者の大半は、門前の宿屋で宿泊しました。翌朝参詣し、早朝の護摩で焚かれたお札などをいただくことになっていました。宿屋としての名残りがうかがわれる建物なのです。
山内に入ってみますと、数多くの奉納物があります。参詣記念として、信仰の証として奉納したわけですか、そのなかでも、江戸の町人たちからの奉納物の多さは目を見張ります。
そこには、いつ、誰が奉納したのかが分かるように字が彫られています。成田山に限ることではありませんが、お寺の境内に奉納された石造物や石碑などを見ることで、そのお寺がどういう人たちに、どの時代に、どのくらい信仰されているのかが、何となく分かります。
言い換えると、そのお寺がターゲットにしていた人々の層が分かるのです。江戸のお寺の実像を復元するための貴重なデータと言えるわけです。
境内の石造物だけではありません。堂社の数々にしても、成田山を篤く信仰する江戸っ子たちの浄財に大きく支えられていました。つづめて言えば、奉納されたことと同じです。成田山に参詣せずに、多額の浄財が集まることはないでしょう。実際に成田山に参詣して本尊を拝んで縁を取り結ぶことが、その大きなきっかけになったことは間違いありません。
江戸出開帳が、成田山と江戸っ子との縁を結ぶ上で、限りなく大事な行事であることが分かります。その時に集まる浄財だけが、出開帳の目的ではなかったのです。たとえ、出開帳の収支が赤字になったとしても、江戸っ子の誘致に成功すれば、目的は達せられたと言えるのかもしれません。