2007年11月13日

現在、JR成田駅、京成成田駅を出て少し歩いて行くと、成田山への参道が見えてきます。本堂まではかなりの距離がありますが、道の両側には、様々なお店が立ち並んでいます。

参道を上っていくと、大きな建物が見えてきます。かつては、成田山への参詣者の大半は、門前の宿屋で宿泊しました。翌朝参詣し、早朝の護摩で焚かれたお札などをいただくことになっていました。宿屋としての名残りがうかがわれる建物なのです。

山内に入ってみますと、数多くの奉納物があります。参詣記念として、信仰の証として奉納したわけですか、そのなかでも、江戸の町人たちからの奉納物の多さは目を見張ります

そこには、いつ、誰が奉納したのかが分かるように字が彫られています。成田山に限ることではありませんが、お寺の境内に奉納された石造物や石碑などを見ることで、そのお寺がどういう人たちに、どの時代に、どのくらい信仰されているのかが、何となく分かります。

言い換えると、そのお寺がターゲットにしていた人々の層が分かるのです。江戸のお寺の実像を復元するための貴重なデータと言えるわけです。

境内の石造物だけではありません。堂社の数々にしても、成田山を篤く信仰する江戸っ子たちの浄財に大きく支えられていました。つづめて言えば、奉納されたことと同じです。成田山に参詣せずに、多額の浄財が集まることはないでしょう。実際に成田山に参詣して本尊を拝んで縁を取り結ぶことが、その大きなきっかけになったことは間違いありません。

江戸出開帳が、成田山と江戸っ子との縁を結ぶ上で、限りなく大事な行事であることが分かります。その時に集まる浄財だけが、出開帳の目的ではなかったのです。たとえ、出開帳の収支が赤字になったとしても、江戸っ子の誘致に成功すれば、目的は達せられたと言えるのかもしれません。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト