成田まで旅してみましょう。
現在は、東京から成田に電車で行くには2つの経路があります。JRと京成本線ですが、江戸時代はどうだったのでしょうか。
成田不動が江戸に入る前日は、千住宿に宿泊しましたが、江戸っ子はその千住宿(隅田川)を通過して、東に向かいます。次に出てくる江戸川を越えて、船橋宿に入ります。その日は、船橋で一泊するというのがお決まりのコースでした。
翌日、船橋宿を出発して佐倉城下を通過し、成田に入ります。大体、現在の京成本線に沿った経路ということになるでしょう。
成田山の門前町の宿屋で一泊します。その翌朝、成田山に参詣するのです。お参りが終わると、帰路に着きます。再び船橋宿に入り、一泊。そして、翌朝出発して、江戸に戻るという3泊4日の行程でした。
この江戸から成田に向かう街道は、元々は佐倉街道と呼ばれていました。佐倉城は、有力譜代大名に与えられたお城でした。関東のお城のなかでも、北の川越城、西の小田原城、そして東の佐倉城は、江戸城を守る城として、たいへん重要視されていた城です。そのため、徳川家の家臣の中でも、選り抜きの大名に与えられることになっていました。
小田原城は東海道沿いですが、江戸から川越に至る道は川越街道、佐倉に至る道は佐倉街道と呼ばれていました。幕府からは、五街道に次いで重要な街道とされています。川越城や佐倉城は、江戸城を守る要衝だったからです。
ところが、佐倉街道はいつしか、成田街道の方が通称になってしまいました。成田山に向かう参詣客が増えていくことで、人々は成田街道と呼ぶようになってしまったわけです。お寺が作り出した人の流れが、道の名前を事実上変えたのです。こんな所にも、江戸のお寺のパワーを見つけられるのでした。