2007年11月13日

成田まで旅してみましょう。
現在は、東京から成田に電車で行くには2つの経路があります。JRと京成本線ですが、江戸時代はどうだったのでしょうか。

成田不動が江戸に入る前日は、千住宿に宿泊しましたが、江戸っ子はその千住宿(隅田川)を通過して、東に向かいます。次に出てくる江戸川を越えて、船橋宿に入ります。その日は、船橋で一泊するというのがお決まりのコースでした。

翌日、船橋宿を出発して佐倉城下を通過し、成田に入ります。大体、現在の京成本線に沿った経路ということになるでしょう。

成田山の門前町の宿屋で一泊します。その翌朝、成田山に参詣するのです。お参りが終わると、帰路に着きます。再び船橋宿に入り、一泊。そして、翌朝出発して、江戸に戻るという3泊4日の行程でした。

この江戸から成田に向かう街道は、元々は佐倉街道と呼ばれていました。佐倉城は、有力譜代大名に与えられたお城でした。関東のお城のなかでも、北の川越城、西の小田原城、そして東の佐倉城は、江戸城を守る城として、たいへん重要視されていた城です。そのため、徳川家の家臣の中でも、選り抜きの大名に与えられることになっていました。

小田原城は東海道沿いですが、江戸から川越に至る道は川越街道、佐倉に至る道は佐倉街道と呼ばれていました。幕府からは、五街道に次いで重要な街道とされています。川越城や佐倉城は、江戸城を守る要衝だったからです。

ところが、佐倉街道はいつしか、成田街道の方が通称になってしまいました。成田山に向かう参詣客が増えていくことで、人々は成田街道と呼ぶようになってしまったわけです。お寺が作り出した人の流れが、道の名前を事実上変えたのです。こんな所にも、江戸のお寺のパワーを見つけられるのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト