2007年11月 6日

そもそも、ご開帳とは信者に結縁の機会を与える行事です。しかし、出開帳の場合、臨時収入を確保すれば、それで終わりというわけではありません。

もちろん、それが目的であることは間違いないのですが、お寺の側としては、ご開帳を契機として、ご本尊を祀るお寺まで参詣してもらうことが、究極の目的なのです。江戸出開帳とは、まさしく江戸っ子を対象とした、お寺の側の誘致活動に他ならなかったのです。

前章では、成田山の御開帳の様子を見てきました。成田山は江戸出開帳を繰り返すことで、江戸で多くの信者を獲得しました。となると、信者の心には、本尊の不動明王が祀られている成田山までお参りしたいという気持ちが、自然と湧き起こることになります。それは、成田山が期待したことでありました。

成田山は、江戸から片道一泊の行程で参詣できる距離(約63km)にありました。この時代、人々は旅に出ると、1日10里(約40km)ぐらい歩きましたから、朝に江戸を出れば、次の日の夕方ぐらいには成田山に到着する計算になります。

当時、東海道を京都まで旅する場合、箱根関所のような関所を通過しなければなりませんでした。関所を通過するには、関所手形が必要です。現在のパスポートのようなものです。一種の身分証明書なのですが、それを携帯していないと、関所を通過することはできません。関所手形は、住んでいる町や村の長である名主に頼んで発給してもらいました。

しかし、成田までの道でしたら、途中に箱根のような関所はないので、関所手形は必要ありません。その点、煩わしくなく、気軽な旅が可能なのでした。

片道1泊2日ですから、ちょっとした旅行気分で行ける距離でもありました。こうして、多くの江戸っ子が遊山も兼ねて、成田までの小旅行に出かけることになるのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト