そもそも、ご開帳とは信者に結縁の機会を与える行事です。しかし、出開帳の場合、臨時収入を確保すれば、それで終わりというわけではありません。
もちろん、それが目的であることは間違いないのですが、お寺の側としては、ご開帳を契機として、ご本尊を祀るお寺まで参詣してもらうことが、究極の目的なのです。江戸出開帳とは、まさしく江戸っ子を対象とした、お寺の側の誘致活動に他ならなかったのです。
前章では、成田山の御開帳の様子を見てきました。成田山は江戸出開帳を繰り返すことで、江戸で多くの信者を獲得しました。となると、信者の心には、本尊の不動明王が祀られている成田山までお参りしたいという気持ちが、自然と湧き起こることになります。それは、成田山が期待したことでありました。
成田山は、江戸から片道一泊の行程で参詣できる距離(約63km)にありました。この時代、人々は旅に出ると、1日10里(約40km)ぐらい歩きましたから、朝に江戸を出れば、次の日の夕方ぐらいには成田山に到着する計算になります。
当時、東海道を京都まで旅する場合、箱根関所のような関所を通過しなければなりませんでした。関所を通過するには、関所手形が必要です。現在のパスポートのようなものです。一種の身分証明書なのですが、それを携帯していないと、関所を通過することはできません。関所手形は、住んでいる町や村の長である名主に頼んで発給してもらいました。
しかし、成田までの道でしたら、途中に箱根のような関所はないので、関所手形は必要ありません。その点、煩わしくなく、気軽な旅が可能なのでした。
片道1泊2日ですから、ちょっとした旅行気分で行ける距離でもありました。こうして、多くの江戸っ子が遊山も兼ねて、成田までの小旅行に出かけることになるのでした。