2007年11月 6日

地方のお寺が多額の出費を覚悟して、わざわざ江戸に赴き、ご本尊を開帳することには、いろいろな目論見があります。寺社奉行所に提出された願書にも書かれているのですが、堂社の新築・修復費を賄うだけの臨時収入を得ることが一番の目的でしたが、それだけではありません。江戸という大都市で、お寺の名前をPRすること自体に、大きなメリットがあったのです。

東京は現在、一極集中の街と良く言われますが、その原型は江戸に求められます。江戸は将軍様のお膝元として、いわゆる旗本八万騎が住む街でしたが、全国の大名とその家臣が住む街でもありました。

参勤交代という制度があります。1年おきに、お殿様たちが江戸の屋敷で住む決まりです。お殿様だけ住むというわけにはいきませんから、江戸滞在中は家来たちも大勢、江戸に住むことになります。

お殿様が、老中など幕府の役職に就任して江戸城勤めとなってしまうと、在職中は参勤交代制に関係なく、ずっと江戸にいなければなりません。家来たちも、江戸に住み続ける必要があります。水戸黄門でお馴染みの水戸徳川家のお殿様などは、水戸に帰ることはほとんどなく、ずっと江戸で生活するのが慣例となっていました。

こうして、江戸にはたくさんの武士が住むことになりました。常時、武士とその家族だけで50万人以上が住んでいたと推定されています。それも、殿様が江戸に出て来たり、地元に戻ってきたりするのに合わせて、家来たちも江戸と地元の間を移動しています。何10万人も江戸と地方を流動していたのです。ですから、人やモノはもちろん、情報の行き来も、江戸を核として自然と活発となっていくわけです。

江戸は、情報が高度に集中する巨大な情報都市でもありました。だから、江戸でお寺の名前をPRできれば、全国津々浦々に伝わっていくメリットが期待できたのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト