地方のお寺が多額の出費を覚悟して、わざわざ江戸に赴き、ご本尊を開帳することには、いろいろな目論見があります。寺社奉行所に提出された願書にも書かれているのですが、堂社の新築・修復費を賄うだけの臨時収入を得ることが一番の目的でしたが、それだけではありません。江戸という大都市で、お寺の名前をPRすること自体に、大きなメリットがあったのです。
東京は現在、一極集中の街と良く言われますが、その原型は江戸に求められます。江戸は将軍様のお膝元として、いわゆる旗本八万騎が住む街でしたが、全国の大名とその家臣が住む街でもありました。
参勤交代という制度があります。1年おきに、お殿様たちが江戸の屋敷で住む決まりです。お殿様だけ住むというわけにはいきませんから、江戸滞在中は家来たちも大勢、江戸に住むことになります。
お殿様が、老中など幕府の役職に就任して江戸城勤めとなってしまうと、在職中は参勤交代制に関係なく、ずっと江戸にいなければなりません。家来たちも、江戸に住み続ける必要があります。水戸黄門でお馴染みの水戸徳川家のお殿様などは、水戸に帰ることはほとんどなく、ずっと江戸で生活するのが慣例となっていました。
こうして、江戸にはたくさんの武士が住むことになりました。常時、武士とその家族だけで50万人以上が住んでいたと推定されています。それも、殿様が江戸に出て来たり、地元に戻ってきたりするのに合わせて、家来たちも江戸と地元の間を移動しています。何10万人も江戸と地方を流動していたのです。ですから、人やモノはもちろん、情報の行き来も、江戸を核として自然と活発となっていくわけです。
江戸は、情報が高度に集中する巨大な情報都市でもありました。だから、江戸でお寺の名前をPRできれば、全国津々浦々に伝わっていくメリットが期待できたのです。