2007年10月30日

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ご開帳は4月一杯までの予定でしたが、途中、火事で中止となった期間があり、5月27日まで延長が許可されています。開帳期間が終り、成田山が深川を出発して成田に向かったのは、6月4日のことでしたが、今回の開帳の収支決算はどんなものだったのでしょうか。

開帳を願い出る時の関係各所への礼金や開帳札の建設費は先に見た通りですが、そのほか判明している数字としては、開帳小屋の撤去費が62両。境内を貸してくれた永代寺への挨拶料が10両ほど掛かりました。しかし、残念ながら、全体の数字が分かりませんので、安政3年(1856)に執り行われた開帳の時の数字を参考までに見てみます。

この時も、開帳の企画から終了までの経緯は大体同じです。支出を書き上げた帳面を見ますと、最初に出てくるのは、開帳の願書をお殿様に提出するため、佐倉に赴いた時の費用です。願書提出から許可の申し渡しを受けるまでの滞在費でしょう。

江戸の寺社奉行に開帳を願い出てよいというお殿様の許可を得ると、早速江戸に向かうわけですが、次に書き上げられているのが、開帳準備のための江戸滞在中に掛かるもろもろの経費です。文化3年の事例で見ると、文化2年9月14日から12月2日まで、貫首の照誉は江戸に滞在しています。3ケ月近く滞在するわけですから、滞在費だけでかなりのものだったはずです。それに加えて、寺社奉行所や触頭への運動費や手数料、宿寺の永代寺への挨拶料、開帳札の製作・管理費、開帳小屋の建設費もありました。

そのほか、開帳行列に掛かる経費、警備してくれる町奉行所同心たちへの心付け、開帳期間中の滞在費、開帳をバックアップしてくれる成田村や成田講への振舞などもありますが、すべてひっくるめると、出費は3000両近くにのぼりました。

現代で言うと、3億円ぐらいです。江戸出開帳には莫大な費用が掛かること、江戸で開帳できるのは限られたお寺だけであることが改めて確認できる数字と言えるでしょう。

言うまでもなく、開帳期間中、それ以上の収入が入らなければ赤字です。収支が赤字となり、大損害を受けてしまうお寺もたくさんありました。賑やかな江戸開帳の舞台裏では、悲喜交交の光景が展開されていました。だからこそ、お寺は開帳を成功させようと、プロモーションに知恵を絞り、集客力の強化に余念がなかったのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト