2007年10月23日

3月1日より、ご開帳がはじまりました。永代寺には、江戸や近郊から多くの参詣者が押し寄せ、まるで祭礼のような賑やかさでした。開帳場を見ると、成田講の中核である日本橋や深川の商人から奉納された金品が、所狭しと並べられていました。

永代寺は、浅草寺に匹敵するほどの巨大なお寺でした。その境内は、飲食店や娯楽を提供する店が立ち並ぶ歓楽街でしたので、元々集客力はありました。それに加えて、江戸に居ては拝めない地方のお寺の秘仏のご開帳となると、物見高い江戸っ子が押し掛けるため、人出はさらに増えるのでした。成田山はもとより、永代寺にとっても集客力ある成田山のようなお寺が開帳してくれるのは、悪い話ではありません。

ご開帳中、お寺は様々な仕掛けをして、参詣者のアップをはかっています。例えば、人気を呼んでいた見世物があれば、開帳場に誘致しています。ここで言う見世物とは、精巧な芸術品や珍奇な展示物などです。見世物を展示する小屋は、今で言えば博物館・美術館のようなものでした。お寺としては、その人気にあやかろうとしたわけです。小屋の興行主としても、開帳中は集客力はアップしますから、同じ目論見のもと出店してきたわけです。

開帳中、大護摩と称して、大勢の山伏に烈火の中を渡り歩かせるパフォーマンスを展開したお寺もありました。たいへんな人気を呼び、見物客が殺到したと言いますから、話題作りとしては大成功です。ところが、余りの人気のため、それを見ようと怪我人が出てしまいます。ついには、幕府から中止を命じられるという結末になりました。どのお寺も、それだけ話題作りに必死だったということなのでしょう。

その点、成田山は市川團十郎という人気スターを後援者としていたことは、非常に大きかったと言えます。開帳中、團十郎は芝居の舞台で成田不動を演じて、そのPRに大きく貢献しましたが、それだけではありません。團十郎自ら、開帳場を訪れて、参詣者に挨拶をしたと言います。当日は團十郎を一目見ようと、人々が殺到したことは間違いありません。成田屋は、成田山の営業戦略にしっかりと組み込まれていたのです。

成田山に限らず、開帳の際には歌舞伎役者は引っ張りだこだったようです。当時の歌舞伎役者の人気ぶりが、このこと一つ取ってみても、よく分かります。本来でしたら、ご本尊のご利益に頼って集客力のアップを目指すべきですが、イベントを成功させるには背に腹は返られなかったのは、どのお寺も同じなのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト