2007年10月23日

千住大橋を渡った成田不動が向かった先は、吉原の大門です。開帳札が建てられていた場所の一つですが、吉原大門に向かったのは、江戸出開帳のPR戦略の一環に他なりません。吉原は江戸っ子の注目スポットですから、ここに立ち寄ることで、江戸出開帳の前宣伝になると見込んだわけです。吉原の遊郭経営者は有力な支持基盤ですから、その要請もあったのでしょう。

当り前のことですが、吉原の大門をくぐったのではなく、成田山が来月から2ケ月間、ご開帳するとPRしたのです。歌舞伎が地方で興行する場合、同じような光景があります。これも時代劇によく出てきますが、役者たちが町の中を練り歩いて、興行の前宣伝の口上をする場面があります。まさに、これでした。

 吉原大門を出ると、今度は浅草寺の雷門に向かいます。浅草寺のすぐ裏手に吉原があった格好ですが、江戸で一番の集客力を誇る浅草寺に立ち寄るのも、江戸入りのお決まりのコースでした。成田山に限らず、浅草・吉原エリアは江戸随一の繁華街ですから、営業戦略上、最重要のポイントということになります。

浅草寺周辺で昼食を取った後は、隅田川沿いの米穀商人の店をいくつか回っています。成田山の有力な後援者である彼らの店で休憩を取っていますが、これも本尊を拝みたいという要請に応えて立ち寄ったのでしょう。

そして、江戸経済の中心地である日本橋に向かった一行は、江戸最大の呉服商・越後屋呉服店(現在の三越日本橋本店)でも休憩を取っています。越後屋に限らず、立ち寄った先の商人たちは成田山に多額の金品を奉納したことでしょう。

成田不動一行が永代寺に到着したのは、午後4時のことでした。真っすぐに深川に向かわずに、集客力のあるお寺や繁華街、江戸の大店が立ち並ぶ日本橋界隈を一日かけて練り歩いたわけですが、この大パレードがPR戦略の一環だったことは言うまでもありません。

江戸市中の話題になることを狙ったパフォーマンスですが、ご開帳の成否に関わる以上、どのお寺も、江戸入りのパレードには力を入れています。ド派手なパフォーマンスで、集客力のアップを期待したのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト