2007年10月16日

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2月20日午前8時、成田山にとり、一番大事な日がはじまります。同時刻、千住宿を出発した成田不動の大行列には、江戸町奉行所の同心22人と岡っ引き30人ほどが加わっていました。

この日は、江戸入り当日です。成田不動の江戸入りの情報は既に江戸市中に広まり、成田山を厚く信仰する江戸の成田講の人たちや物見高い江戸っ子が、その時を待っていました。行列を出迎えた成田講の人たちは、次々と行列に加わっていきます。永代寺に入る時には、行列は1000人もの人数に膨れ上がったようです。

江戸の成田講の大半は、町単位で結成され、商人が世話人を勤めました。財力ある商人がバックアップしてくれることは、成田山にはたいへん心強いことでした。開帳のたびごとに、多額の奉納金が成田山に納められています。商人のほか、歌舞伎役者や吉原の遊廓経営者も有力な支持基盤でした。

 この大行列には、「成田山開帳」という大きな幟が数十本ひるがえり、本尊が納められた厨子は輿に乗せられていました。まるで御神輿が巡行するような光景です。

この大行列は、当然道を塞いでしまう結果となります。通行人や見物人との間で、いろいろトラブルも起きてしまうのは仕方のないところでした。そこで、江戸の治安を預かる町奉行所から同心や岡っ引きが派遣され、行列の警備とトラブルの防止にあたったのです。

八丁堀と言うと、時代劇好きの人でしたら、町奉行所の与力同心の姿が思い浮かぶでしょう。八丁堀に組屋敷があったのですが、八丁堀から千住となると、10キロ近くありますから、午前8時に千住に着くとなると、夜明け前に屋敷を出る必要があります。当然、朝御飯も食べずに出てくるわけですから、成田山では朝御飯を用意しています。

千住から深川まで、この日は一日中、八丁堀の旦那たちは行列と同行することになりますが、昼御飯も成田山が用意します。心付けは当然です。これも、開帳の必要経費なのでした。

町奉行所の同心たちに警備されながら、千住大橋(隅田川)を渡り、江戸に向かった行列ですが、まっすぐ深川に向かったのではありません。なんと、吉原に向かっているのです。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト