年が明けて文化3年の2月17日、いよいよ成田不動が江戸に向けて出発します。5日前の12日に、成田山は江戸の寺社奉行所に届書を提出していますが、そこには17日に成田出発。20日に江戸到着。江戸市中に入ったら、どういう経路を取って深川永代寺に安置されるかまでが、細かく書かれていました。
お祭りの時に、御神輿が通る経路はあらかじめ警察などに届け出ることになっていますが、それと同じです。既に、成田山の先発隊が江戸に入っていることも分かります。準備や話題づくりに奔走していたことでしょう。
17日の午前9時、ご本尊が成田山を出発しました。本尊を納める厨子や仏事に必要な諸道具を運ぶ人数などで、総勢130人ほどです。大人数の行列ですが、この人数を勤めたのが成田村の農民でした。江戸出開帳は、村を挙げてのイベントでもありました。
成田から江戸までは、本来1泊2日の道中でした。しかし、街道の宿場で休息するたびに金品の奉納を受け、成田山も奉納者に赤飯やお酒を振る舞ったりするため、ゆっくりとした行程になっています。御祭り騒ぎのような賑やかさだったことでしょうが、成田山としては、それは望むところでした。
こうした賑やかな光景に関する情報は、これから向かう江戸にも電光石火のように伝わり、成田山への関心を一気に高めたでしょう。江戸への大行列は、開帳を盛り上げるのに不可欠なツールでしたが、江戸に入ると、その盛り上がりは最高潮に達します。
成田から江戸に入る場合、現在の京成本線に沿った経路をたどります。この大行列も、同じ経路で江戸に向かいましたが、江戸入りの前夜は日光(奥州)街道の千住宿で宿泊することになっていました。松尾芭蕉が奥の細道に出発したのは、この千住宿です。隅田川に架かる千住大橋を渡ると、江戸の町はすぐそこに広がっていました。