2007年10月16日

年が明けて文化3年の2月17日、いよいよ成田不動が江戸に向けて出発します。5日前の12日に、成田山は江戸の寺社奉行所に届書を提出していますが、そこには17日に成田出発。20日に江戸到着。江戸市中に入ったら、どういう経路を取って深川永代寺に安置されるかまでが、細かく書かれていました。

お祭りの時に、御神輿が通る経路はあらかじめ警察などに届け出ることになっていますが、それと同じです。既に、成田山の先発隊が江戸に入っていることも分かります。準備や話題づくりに奔走していたことでしょう。

17日の午前9時、ご本尊が成田山を出発しました。本尊を納める厨子や仏事に必要な諸道具を運ぶ人数などで、総勢130人ほどです。大人数の行列ですが、この人数を勤めたのが成田村の農民でした。江戸出開帳は、村を挙げてのイベントでもありました。

成田から江戸までは、本来1泊2日の道中でした。しかし、街道の宿場で休息するたびに金品の奉納を受け、成田山も奉納者に赤飯やお酒を振る舞ったりするため、ゆっくりとした行程になっています。御祭り騒ぎのような賑やかさだったことでしょうが、成田山としては、それは望むところでした。

こうした賑やかな光景に関する情報は、これから向かう江戸にも電光石火のように伝わり、成田山への関心を一気に高めたでしょう。江戸への大行列は、開帳を盛り上げるのに不可欠なツールでしたが、江戸に入ると、その盛り上がりは最高潮に達します。

成田から江戸に入る場合、現在の京成本線に沿った経路をたどります。この大行列も、同じ経路で江戸に向かいましたが、江戸入りの前夜は日光(奥州)街道の千住宿で宿泊することになっていました。松尾芭蕉が奥の細道に出発したのは、この千住宿です。隅田川に架かる千住大橋を渡ると、江戸の町はすぐそこに広がっていました。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.higan.net/apps/mt-tb.cgi/1727

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
→ブログに登場する江戸名所の地図
安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
→著者公式サイト
→著者ブログ「江戸探訪記」
→著者ブログ「大江戸グルメ日記」
加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト