2007年10月 9日

成田山は永代寺を宿寺として開帳をおこなったのですが、本尊などはどこに安置したのでしょう。永代寺に限らず、宿寺側が安置する建物を貸すことはありませんでした。江戸にやって来たお寺は、宿寺から境内の一部を借り、そこに本尊を安置する開帳小屋を建てなければならなかったのです。開帳期間が終了すれば、それを撤去し、借りていた土地を戻すわけです。

成田山の場合、富岡八幡宮本殿近くの494坪の地所をレンタルしています。当時、富岡八幡は永代寺の境内に含まれていました。当然、地代を永代寺に納めることになります。

約500坪の地所のうち、小屋の建坪は195坪でした。開帳小屋としては最大級の規模です。その内部を見てみると、本尊や霊宝を安置する空間はもちろんのこと、玄関、お勝手、台所、風呂場、座敷、廊下、物置までありました。

開帳期間中、成田山の僧侶たちはこの小屋に寝泊まりすることになっていました。2ケ月間、この小屋で生活するため、そのような間取りになっているわけです。こうした小屋の内部も、寺社奉行に一々届け出ることになっていました。

一ヶ月も掛からずに、小屋の普請は終わりました。その費用は良く分かりませんが、回向院の事例が一つの目安になります。

回向院では、開帳小屋が成田山ぐらいの規模の場合、設営費が300両でした。土地のレンタル料だけでも、40両掛かりました。現代で言うと3000万円以上ですから、巨額の出費ですが、開帳に実際に掛かる費用はこんなものではありませんでした。

成田山の開帳は最大級の規模でしたが、小規模の開帳でも、設営費が150両、土地のレンタル料が20両ですから、資金力のないお寺が江戸で開帳すると言うのは、夢のまた夢でした。江戸で開帳ができるのは、限られたお寺だけだったのです。

小屋の建設は、1ケ月も掛からずに終わりました。11月晦日、照誉は普請完了を届け出ました。ここに、江戸での下準備は一通り終了しました。12月2日、照誉は江戸を出立して、成田に帰りました。成田山の僧侶たちが再び江戸にやって来るのは2ケ月後、開帳がはじまる半月ほど前のことでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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