2007年10月 9日

 無事に開帳が許可された照誉は、翌7日に、開帳札を江戸の各所に建てたいと寺社奉行所に願い出て、許可されています。開帳札とは何でしょうか。

開帳札とは、開帳をいつから、どのお寺の境内で執り行うかが書かれた高札のことです。江戸のオフィシャルな掲示板でした。今回の場合、翌文化3年3月から60日間、深川永代寺で成田不動が開帳になると書かれていました。

時代劇で、高札の前に人が集まり、いろいろ話をしている場面がよく出てきます。高札に貼られているのは盗賊の似顔絵だったり、文字だったりしますが、江戸の人々は普段、高札からオフィシャルな情報を入手していました。

高札を建てることができるのは、江戸では幕府だけです。公共空間に勝手に札を建てることはできませんでした。許可が必要でした。

開帳の成否を決める要因はいくつもありますが、何と言っても、事前にどれだけ開帳の情報を流せて、江戸っ子に成田山の名前を浸透させられるかが最大の決め手でしょう。そうした事情は現代と同じです。そのため、プロモーション活動が非常に重視されましたが、この開帳札は、お寺が幕府公認のもと、公共空間で情報を発信できる唯一のツールなのでした。

成田山は9日・10日の2日間で、江戸の各所(20ケ所)に札を建てました。当然ながら、建てる場所は人が自然と多く集まってくる場所にいうことになります。ですから、成田山に限らず、浅草寺などの巨大なお寺の門前には必ず建てています。

お寺ではありませんが、市谷八幡宮、平川天満宮、芝神明宮、湯島天神、根津権現などの門前にも建てています。幕府が唯一公認していた吉原遊廓には、大門と呼ばれる巨大な門がありましたが、吉原大門前にも建てているのは興味深いところです。

開帳札の製作には7両ほど掛かっていますが、建てて終わりというわけにはいきません。開帳がはじまる4ケ月後まで、札の管理責任も負わなければなりません。と言っても、成田山の関係者が江戸に居続けるわけにもいかなかったので、門前に札を建てさせてもらった寺社に謝礼金を支払い、管理してもらっています。それも、総額2両ほど掛かっています。ここでも、礼金が必要なのでした。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
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