ご開帳の成否は天候に左右されるところが大きかったわけですが、季節で見ると、春から夏の盛りになるまでの時期に主に企画されたようです。暑過ぎず、寒過ぎずといったところでしょう。
時代で見ると、元禄の頃(1700年頃)がピークだったようです。元禄期というと、1810~20年代の文化・文政期(化政文化)と並んで、華やかな江戸文化の象徴のような時代ですが、ちょうど、人口も百万を越えようとしていた時期でした。江戸経済の高度成長もピークに達していた、まさにバブルの時代です。そうした時代が、華やかな元禄文化を生んだわけです。紀伊国屋文左衛門の豪遊などは、そのシンボルでしょう。
この元禄文化を背景に、ご開帳ブームが生まれたのですが、成田山が最初の江戸出開帳を行ったのが、この時代でした。このイベントは大成功を収めました。ここに、明治神宮・川崎大師と並んで、初詣の人出ベスト3としての地位を確立するレールが敷かれたのです。
俗に、江戸出開帳四天王と呼ばれたお寺があります。この4つのお寺が図抜けて、多くの参詣客を江戸のマーケットで集めていたのです。京都嵯峨の清涼寺(釈迦如来)、長野の善光寺(阿弥陀如来)、山梨身延山の久遠寺(祖師像)、千葉の成田山新勝寺(不動明王)の4つです。
清涼寺と善光寺は、回向院を宿寺とすることが多かったようです。江戸出開帳四天王としての地位を保っていたのも、回向院の立地環境が大きかったのでしょう。
久遠寺の宿寺は、深川の浄心寺で固定していました。日蓮宗のお寺が出開帳する時は、必ず日蓮宗のお寺を選んだそうです。ご開帳は元禄期をピークとして、18世紀後半(江戸後期)に入ると、その数が減少していきます。市場が飽和状態となったことに加え、娯楽が多様化していたことが、マイナス要因となっていたようです。ただし、日蓮宗は逆に、江戸後期に入ると、江戸出開帳の数を急増させていったと言われています。
成田山は、同じ深川の永代寺を宿寺としたのですが、次回からは、この成田山を事例に、ご開帳の実際の様子を見ていきます。