2007年9月11日

ご開帳の成否は天候に左右されるところが大きかったわけですが、季節で見ると、春から夏の盛りになるまでの時期に主に企画されたようです。暑過ぎず、寒過ぎずといったところでしょう。

時代で見ると、元禄の頃(1700年頃)がピークだったようです。元禄期というと、1810~20年代の文化・文政期(化政文化)と並んで、華やかな江戸文化の象徴のような時代ですが、ちょうど、人口も百万を越えようとしていた時期でした。江戸経済の高度成長もピークに達していた、まさにバブルの時代です。そうした時代が、華やかな元禄文化を生んだわけです。紀伊国屋文左衛門の豪遊などは、そのシンボルでしょう。

この元禄文化を背景に、ご開帳ブームが生まれたのですが、成田山が最初の江戸出開帳を行ったのが、この時代でした。このイベントは大成功を収めました。ここに、明治神宮・川崎大師と並んで、初詣の人出ベスト3としての地位を確立するレールが敷かれたのです。

俗に、江戸出開帳四天王と呼ばれたお寺があります。この4つのお寺が図抜けて、多くの参詣客を江戸のマーケットで集めていたのです。京都嵯峨の清涼寺(釈迦如来)、長野の善光寺(阿弥陀如来)、山梨身延山の久遠寺(祖師像)、千葉の成田山新勝寺(不動明王)の4つです。

清涼寺と善光寺は、回向院を宿寺とすることが多かったようです。江戸出開帳四天王としての地位を保っていたのも、回向院の立地環境が大きかったのでしょう。

久遠寺の宿寺は、深川の浄心寺で固定していました。日蓮宗のお寺が出開帳する時は、必ず日蓮宗のお寺を選んだそうです。ご開帳は元禄期をピークとして、18世紀後半(江戸後期)に入ると、その数が減少していきます。市場が飽和状態となったことに加え、娯楽が多様化していたことが、マイナス要因となっていたようです。ただし、日蓮宗は逆に、江戸後期に入ると、江戸出開帳の数を急増させていったと言われています。

成田山は、同じ深川の永代寺を宿寺としたのですが、次回からは、この成田山を事例に、ご開帳の実際の様子を見ていきます。

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江戸時代、お寺参りは町人たちのレジャーでした。当時世界一の人口規模を誇った観光都市江戸では、お寺がありとあらゆる工夫を凝らし、現代の広告代理店さながらの参詣客の争奪戦が繰り広げられておりました。江戸研究家の安藤優一郎が語る、お寺にまつわる江戸の人間模様。
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安藤 優一郎 / 文
1965(昭和40)年千葉県生まれ。歴史家。江戸時代を専門とする。文学博士(早稲田大学)。NHK文化センターなどで生涯学習講座の講師を勤める。著書『徳川将軍家の演出力』『観光都市江戸の誕生』(新潮新書)では寺社の経営戦略を、新刊『江戸城・大奥の秘密』(文春新書)では、大奥とお寺の深いつながりを明らかにした。
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→著者ブログ「江戸探訪記」
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加藤 円正 / イラスト
昭和51年愛媛県生まれ。人口100人ほどの瀬戸内に浮かぶ島にある、お寺の住職。イラストレーション、板目木版を中心に絵を描く。妖怪と時代劇とロックンロールを好む。2005年『怪』(角川書店)「第二回怪大賞」にて京極夏彦氏より妖怪版画で京極賞を受賞。
→イラストレーター公式サイト